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【ヒカルの碁 第102局「再戦を期して」】 01/01/29

第102局「再戦を期して」。
ヒカルの新初段戦、名人vs佐為は佐為の罠不発で自滅に終った。しかし対局後、名人はヒカル(佐為)が自らにハンデを課して対局していたことを見抜く。ハンデのことだけではなく、佐為の強さまで分かったのか?と焦るヒカルに、さらに名人は「対局中、まるで歴戦の古豪のような気迫をキミに感じた。この次に打つときは互戦で」と告げるのだった。その言葉に佐為は名人を見据え「…ええいつか」と答えた。その後天野記者、和谷くん、越智くんが対局室に入ってきて感想戦に。
控え室。桑原本因坊にヒカルがハンデを自らに課して打っていたのでは?…と聞いたアキラは理解できずに訝しむ。ヒカルの不思議さをおもしろがる桑原本因坊に、アキラは自分はヒカルのことがわからないと、ヒカルとの出会いの経緯を説明する。初めて対局したときには恐ろしいほど強かったのが、突然別人のように弱くなり、そして今はプロになっている…と。そんなアキラに桑原本因坊は「ではアヤツをプロの世界に来させたのはキミということか」といい、アキラの名前を聞いて「覚えておこう」と呟きながら帰っていった。アキラは控え室に戻ってきたカメラマンから、感想戦でヒカルが何を聞かれてもひと言も喋らなかったことを聞く。
さて、ヒカルの家。名人との再戦、「いつかはなんとかなるのかな」と言葉を濁すヒカルにワガママを言う佐為。それにカチンときたヒカルは、ヒカルにとっても大事な一局を佐為のワガママで潰されてしまったことを文句を言う。さすがにしゅんとする佐為だった。そこから本因坊秀策…虎次郎に佐為が取りついていた時の話になる。その時は佐為が思う存分打ってたけれども、秀策が碁打ちなのに自分で打たなかったのはなぜ?と疑問に思ったヒカルに、佐為は「私がいけないんです。現世に戻って、次があるとは知らなかったので焦ってワガママを言ってしまった」と。ひょっとして、秀策が早死にしたのは佐為がとりついたためか?…と読者が一度は考えるような疑問を佐為にぶつけるヒカル。佐為は即座に否定して、虎次郎(秀策)は優しかったから、自分に感染するかもしれないのに流行り病に臥せった人を看病したのだと。秀策と比べられてヒカルは不機嫌になる。しかし追憶に沈む佐為をみて、ヒカルは気分転換にどこかにつれていってやろうと考えるのだった。一方佐為は、なぜ神は自分をヒカルのもとに蘇らせたのか?と悩む。ヒカルは強くなっていって、自分が打つ機会はないのに…
結局、ヒカルは佐為を地方のアマチュア囲碁イベントにつれていった。そんなヒカルの気遣いを知って、自分のわがままを反省する佐為。これからはもう打ちたいなんて…時々しか言うまい、と。
その囲碁イベントには8万の碁盤を20万で売る悪徳業者がプロ棋士・御器曽の手引きで潜りこんでいた。


前半部分は名人・本因坊・アキラあたりとの因縁の再構築で、中盤が佐為のヒカルの関係の修復と整理。終盤は次回への展開。
名人はさすがに懐の深い人ですね。表面的にわからないものであっても、本質を見分けることができる。名人であればヒカルが「平安時代の棋士の霊がとりついていて」というバカバカしく思えるような打ち明け話をしても、それなりに受けいれ、本気で対局をしてくれるんじゃないかしら。緒方さんはリアリストゆえにそんな話は頭から信じないだろうし、アキラだってヒカルの表面に現れる整合性のなさに振り回されている。そのあたりが二人ともまだまだ若く未熟であるということでしょうか。
今、佐為に一番近い外部の人間は間違いなく名人でしょうね。佐為との次の対局も実現するでしょう。いつかきっと。
ここしばらくの展開は佐為もすこしワガママが過ぎたわけですが、そういう風に読者が思っているようなことをヒカルが代弁。佐為も反省してますが、「打ちたいなどと、時々しか言うまい」とあんまり懲りてないあたりがやはり佐為らしいですね。囲碁をやりたい一心で怨霊にまでなった彼がそう簡単にあきらめるわけがないですもの。それに佐為がヒカルの影に甘んじる展開だとおもしろくないですし。
前から疑問に思ってた、佐為と秀策の関係についての説明が。秀策が自分が打たずに佐為に打たせてあげたことは、佐為のワガママと秀策の優しさゆえのことだと書かれています。でも他にも出会ったときの年齢だとか、お城碁の持つ意味の大きさなども関わってきてるんでしょう。秀策が佐為と出会ったのは、おそらく五歳から七歳の間です。(この点については、ヒカルの碁ファンサイト「九路盤」に詳しい解説があります。)その位の年齢では、まだ確固たる自我も芽生えてなかったでしょう。ヒカルが佐為と出会ったのは11歳から12歳の間ですから、それと比較すると出会った年齢のせいで佐為との関係がかなり違っていたことは容易に想像できます。佐為が秀策のことを幼名の「虎次郎」という名前で呼んでいるのは、親しい間柄であったというだけではなく、子離れできてない親みたいな部分があったのではないかと推測しています。(元服して改名した後に、たとえ親しい関係であっても幼名で呼び続けるものなんでしょうか? 私は時代モノは幕末あたりしか読んだことないのでわからないんです。このあたりについて詳しい方がいましたら、教えてくださるとありがたいです。)それにお城碁というのは一族の隆盛をかけた勝負であるために、自分個人の責任だけでは済まされないんですよね。その立場にたったら、より確実に勝つために佐為に打たせるのも無理はないと思います。ヒカルは秀策に比べると一局で背負うものが小さいために、自分のプライドを優先できるので自分で自由に打てるけど。
でも佐為がいうように「優しさ」が一番の理由で秀策は佐為に自由に打たせてあげたんだろうと思いたいですね。佐為の気持ちが分かるから、佐為を喜ばせてあげたいから打たせてあげる、と。色々な齟齬はあっただろうけど、佐為と秀策の間には暖かい絆があったんじゃないかしら。
さて、話変わって。なぜ「ヒカルの碁」が「平安時代の棋士の霊がとりついた」物語であって、「本因坊秀策の霊が直接とりついた」話ではないのでしょうか。個人的な考えでは、一番の理由は「ビジュアル」だと思います。狩衣は絵になりますからね〜。それと、「二人目」であること、が重要なのではないかと。一人目があまりに特別だったために、二人目の人とつい比べてしまって。そういうのってやるせない。三人目だったら「いろいろなタイプがあるな」ということでまだ割り切れる部分がありますもの。「十二国記」シリーズ(小野不由美 講談社文庫)の景麒と景王の関係もそれがあるから切ないですよね。他の大部分の麒麟にとっては王様はひとりしかいないのに、景麒にとっては二人目。しかも一人目が無念なことになっただけに、簡単に「昔は昔、今は今」と割り切れない。…そういうのと相似的なものをヒカルと佐為の関係にも感じます。

後半部分に唐突にでてきた悪徳棋士と悪徳業者の話。…これがどうエピソードに絡んでくるのかまったく予想もできないんですが。ヒカルは碁盤の価値なんて判別つかないだろうし、佐為も相場を知ってるかどうかは。まあカヤ製であるかどうかはわかりそうですね。佐為なりヒカルなりが悪徳棋士や業者をやっつけるというような単純な展開になるとも思えませんし。それは一度ダケさんエピソードでやってるし、やっつけるだけだと後の展開に結びつかず、意味不明エピソードとなってしまうからです。
「ヒカルの碁」で意味不明エピソードは現在のところただひとつ、門脇さんとの対局の話ですが、あれはまず間違いなく今後に絡んでくるでしょうし。だとすると、どういう意味ができるのか…あ、この20万の値段をつけてる碁盤とは別に「例の碁盤」という言葉がありますが、これがポイントかな? 来週の展開が楽しみです。


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