第122局「ヒカルのばかっ」。いよいよヒカルのプロでの実質初対局が始まった。対戦相手の三段を圧倒する力を見せるヒカル。しかもヒカルは守っていれば勝てる状況でも、果敢に攻める。「これがヒカルか これが」「ここまで成長していたとは」そんなヒカルの強さを暗い瞳で見つめる佐為。そして、遂に対戦相手は投了した。
一方アキラも余裕の勝利。アキラの対戦相手の石原は、対局の感想を知り合いに聞かれたときに絶望的に呟いた。「…一生勝てない どれだけ碁の勉強をしてもアイツには一生勝てない」
棋院から駅への道を辿りながら、アキラの思考はまたしてもヒカルに囚われていた。「saiの一件以来整理のつかない頭でボクは考える 進藤 なぜキミはボクの前に現れたのだろうと なぜボクはキミを追い キミはボクを追うのかと」
その日の夜、ヒカルの部屋。佐為と対局をしながら、今日の手合いのデキを満足気にヒカルは語っていた。そんなヒカルに苛立ちを覚えたように、ヒカルの今打った手の不用意さを責め、「神の一手」に向かって健やかに成長するヒカルに嫉妬して、佐為は「ヒカルなんか私に勝てないくせに」と口に出してしまう。魂では、「もっと碁が打ちたい! 永遠の時間がほしい!」と叫びながら。そんな佐為にヒカルはついムッとして「おまえなんかオレがいなきゃ 碁石も持てねーくせにっ」とやり返してしまう。その言葉に傷ついた佐為はヒカルに背中を向けてしまった。ヒカルもつい言い過ぎたと思いながら、なんとか取り繕うと対局の続きを促す。それに答えない佐為にすねたヒカルはベットに寝転がって本を読み出した。少し考えこんで、そして「ヒカル 打ちましょ」と言った佐為に、今度はヒカルの方が拒否する。
次の日。ヒカルのおじいちゃんの家の蔵に泥棒が入ったという話がヒカルの家にももたらされた。幸い祖父母にはケガもないようだ。蔵にあった碁盤のことを心配する佐為に押されて、ヒカルはおじいちゃんの家に向かった。佐為が宿っていた碁盤は盗まれていなかったようだ。蔵の二階に足を踏み入れ、碁盤を確かめたヒカルは訝しい顔になる。ヒカルにだけ見えていた、あの吐血の跡が昔に比べると薄く見えるのだった。驚愕する佐為。
ぐわっ。……容赦ない攻めをするのはほったさんの方です。今回、ヒカルに絶対に言ってはいけない言葉を言わせてしまいました。佐為はヒカルを通さないことには、外部との接触を全く持てないこと。そのことについての佐為の悲しみは今までも何度も描かれているから読者は佐為の切実さを分かっているけれども、佐為はヒカルには直接ぶつけてないから、ヒカルはもうひとつ分かってないところがあるんですよね。かといってそれについてヒカルを責めることはできません。なぜなら中学生でそんな複雑な人の気持ちなんてわからないものでしょう。たとえば親がどんな思いで子供に接しているか、とか。人の気持ちがわからないことですれ違って、傷ついて、少しずつ相手の気持ちを思いやることを覚えてゆくものなのですから。
自負心が邪魔するから素直に気持ちをヒカルに告げることができない佐為。その苛立ちをついぶつけてしまう佐為も大人げないけれども。それでも、碁が好きなんだねぇ。気持ちは切ないほど伝わってくる。でも「永遠」なんて特権はたぶん神様…ほったさんは与えてくれない。ほったさんは「ネームの日々」をみるかぎりは佐為のことがかわいくて仕方がないようだけれども、それでも物語については容赦のない人だからなあ。
ここしばらくの展開は、ヒカルにも佐為にも特別の思い入れのない私にもキツいんですから、ヒカルや佐為のファンの人にはどれだけ辛いのか。
意味付けの話。今回アキラが自問自答してましたが、アキラとヒカルが「君の名は」ばりにすれ違っているのも、単なる物語上の趣向ではなく物語に深く関わる意味があるのかもしれません。普通ジャンプでの主人公と第一ライバルは戦いを通して友情や共感を育んでいくものです。(第一ライバルが固定ではなく、パワーインフレで代替わりしていくのもよくある話ですが) それなのに、アキラが別れを告げてから2年間、物理的距離は近いのにロクに言葉さえ交わしてない二人ってば。
「ヒカルの碁」自体は、手法がジャンプバトルものではなく「恋愛ドラマ」に近いと思うんですよ。誤解と思い込みとすれ違いが物語を加速させる。アキラとヒカルのすれ違い、そして佐為とヒカルの齟齬。これらが解消され、お互いの本当の気持ちを打ち上げたときこそが物語のクライマックスとなるはず。
…そこで今後の展開勝手に予想。佐為がヒカルとの葛藤を解消をしないままで消滅。ヒカルは失って初めてどれだけ佐為が大切だったか、また佐為を自分が傷つけてしまったことに気がつき、自分を責めるのだった。それで精神的に参ってしまい、衰弱するヒカル。その辛さを誰かに分かってもらいたくて佐為のことを周りの人やカウンセラーなどに打ち上げるが、誰もがそれは妄想だと決め付ける。極度の落ち込みの中、ヒカルはアキラと偶然出会った。ヒカルの様子がおかしいことを気にしていたアキラに、ヒカルはついに佐為とのことを打ち明ける。アキラだけはヒカルの言うことを信じてくれるのだった。アキラは何度も佐為と対局したし、それだと(幽霊だという非科学的なことさえ棚上げすれば)初期のヒカルの奇妙な強さと弱さが全部説明されるから。アキラが信じてくれたことでヒカルは救われたのだった。……えっとですね、私はアキラとヒカルが本当にケリをつけるためには、アキラが佐為の影ではなく本当にヒカル自身をみなきゃダメだと思ってるのです。その上で、佐為ではないヒカル自身をちゃんとライバルとして認めなければならないと。またアキラがヒカルのことをずっと理解できず不思議に思ってしまうこと、互いにすれ違ってることは、その誤解が解けてちゃんと向き会う時を盛り上げるために必要な展開なんじゃないかと考えているので。でもこの展開だと佐為があまりにかわいそうですから、佐為とヒカルがもう一度交信することができるとか、佐為の転生を匂わせるとかそういう救いがないと…ただ佐為がもう一度ヒカルの元に戻ってきてずっと一緒にいるというようなことにはならないでしょう。「ヒカルの碁」はある意味「オバケのQ太郎」「ドラえもん」の系譜である異界生物同居型物語なのです。物語の世界がギャグで時間がループしているのであれば「永遠に一緒」でもいいかもしれませんが、シリアスであれば「依存関係の解消」と「主人公の精神的成長」がワンセットで乗り越えるべき壁として登場します。…その葛藤を避けて「仲良く暮らしました」に逃げちゃう作品もありますが、ほったさんはそんなことはしないでしょう。物語中でも佐為とヒカルがいつかは別れるということは何度も示唆されてますし。…それでもこんなに早い段階でその日がくるかもしれないとは思ってもいなかったなあ。1年前は。
私の予想(というより願望?)ではネットを通じて世界中に広がったsai伝説やら、佐為と名人との因縁やらの伏線が全く解消されないままになってしまうんですよね。ほったさんが私程度が考えられるような展開にはしないだろうし。
ほったさんであれば、物語上の必然の葛藤を正面から描きながら、それをちゃんと昇華させてくれると思うのです。それを期待しています。
巻末の小畑先生の作者コメント「とにかくカラー原稿をいっぱい描いています。それが何に使われるか?夏をお待ちください。」と。カラー原稿……画集発売とかだといいんですけどねぇ。それともアニメ化発表がらみで色々と使われるとか?
図書館で「囲碁未来」のバックナンバーを2年分ほど読みました。ここの雑誌にほったさんの囲碁の師匠である水野春香棋士(注意:男性)のエッセイが載ってるんですが、それにほったさんが挿し絵と3コママンガをつけてまして。白川先生のモデルだという水野棋士は優しくてユーモアのある人ですし、ほったさんのマンガはヘタな囲碁愛好者への愛にあふれていてなかなか楽しかったです。残念ながら2001年の5月号あたりで連載は終了していますが、第一回から単行本化してくれないかなあ。