第148局「懐かしい笑顔」。ついにヒカルの中に「佐為」を見つけたアキラ。だが、アキラの口から出た言葉は、「キミの打つ碁がキミのすべてだ。それはかわらない。それでもういい」だった。ヒカルはそんなアキラに心の中で答える。「それが正解だよ 佐為はオレの碁の中にいるんだから」と。そして、ヒカルはお昼を食べるために対局場を後にしながら、「おまえには――そうだな いつか話すかもしれない」と呟く。その言葉を聞いて、アキラは慌ててヒカルを追いかけてナゾの答えを聞きたがるが、ヒカルはずっと先の話だと言って口ケンカに。
その日、ヒカルが帰宅したのは夜になってからだった。対局は早く終わったのだが、検討にずいぶん時間がかかったのだ。疲れたヒカルはすぐに眠りについた。
…そして。ヒカルは自分が夢の中にいることに気がついた。夢だと分かって夢をみているのなら、いいことがあればいいのに…と考えていると、ヒカルの目の前に人影が現れる。
佐為だった。
彼は、優しく穏やかに微笑みながらヒカルをみていた。たとえ夢でも、佐為に会えたことを喜ぶヒカル。ヒカルは嬉しそうに、佐為がいなくなってからの出来事を報告する。アキラと対局して、いい勝負だったけれども負けたこと。アキラと仲良くなって、碁会所でも打とうと約束したこと。三谷が大会に出たこと。伊角さんがプロに合格したこと… 意気込んで話すヒカルに、佐為は包み込むような笑顔を返してくれた。でも言葉をくれない佐為に、ヒカルはどうして消えてしまったのか、問い詰める。「消えるときはどんな気持ちだった? 悲しかった? それとも今みたいに笑ってた? …笑ってたら …いいな」
そしてヒカルはアキラが自分の中の佐為に気づいたことを嬉しそうに報告した。その佐為はどこか遠くから差す光をみている。そんな佐為に、ヒカルは「行くな 何か言えよ 消えるな! 佐為」と叫んだ。
佐為は、黙って扇子をヒカルに渡す。
ヒカルはそれを受けとって、
…夢から覚めた。
「佐為」と名前を呼んで、ヒカルは少しだけ涙を流した。
そして、朝がきて、日常が始まる。
ヒカル、よかったねぇ…
泣きました。つい何度も読みかえしたけど、夢のシーンを読みかえすたびに泣いてしまいます。
佐為の笑顔が優しくて。でも一番泣けたのは、「笑ってたらいいな」のところ。ヒカルが佐為に向ける笑顔の無邪気さがまた泣ける。
それにしても見開きで1コマというのは「ヒカルの碁」ではこれがはじめてですね。佐為が消えてから、本編にも表紙にも一切出てこなかった(ジャンプ表紙にはでてきましたが)のは、これを効果的に見せるためだったんでしょう。…でも佐為の笑顔がきれいだなあ。
そういう「特別の、大切なできごと」を日常生活の中にサンドイッチして描くあたりがうまいですね。
まさかアキラとヒカルが仲良くなる、とは… それでもベタベタな仲良しではなく、アキラは相変わらずヒカルだけには感情をむき出しにして食ってかかったりとか、そんな感じになりそうで楽しいですね。ヒカルがアキラに佐為のことを「いつか」話すかもしれないと描かれてますが、おそらく連載中ではその場面がでてくることはないでしょう。でも、いつかヒカルがアキラに話せるようになったときには、アキラならきっとありのままで受けとめてくれるんじゃないかなあ、と思います。
先週の感想で書いたように個人的には「アキラとヒカルの関係のねじれ」はもうすこし後まで引き伸ばすのかと予想してたんですが、アキラがあっさりと今のヒカルを肯定して、ねじれは完全に解消しちゃいましたね。今にして思えば、142局でアキラとヒカルが向かい合ったときからするとこうなるのは必然なんですが… というか、この148局は142局をもう一度「分かりやすく」言いなおしたものである、とも言えるかも。
同じく先週の感想で、「佐為関係で片付けなきゃいけないこと」として書いた「ヒカルが佐為が消えた理由や、その時の気持ちをわかること」も今回で処理されました。「アキラとヒカル」「佐為とヒカル」というここまで物語を引っ張ってきた柱となる構造を全部終わらせてしまって、新章はどうするんでしょうか。
…ただ、物語の構造にも耐久期限があることを考えると(あまり長いこと使いつづけていると、それに新鮮味がなくなってしまう)、ここで終わるべきものを終わらせて、しきりなおすのが一番かもしれません。
さて、新章では今までのサブ構造だったのをメインに据えるのか、それとも新しい構造を持ち込むのか。とりあえずは「新しい波」と「国際棋戦」の話になるでしょうが。
今回はまるで最終回のようなお話でしたが、まだ話は続きます。…続きを読めることにほっとする反面、あまりにも美しい終わり方に「このまま終わった方がいいのでは…」という気持ちも少しあったりします。でもきっと1年後には、「あのとき終わってくれなくてよかった!!」と思うようになっているでしょう。ほったさん、小畑さん、お二方のお手並みに期待しています。
スケジュールでは2週間お休みで12号より人気キャラの読み切り番外編連載となっています。12号がアキラ、13号が加賀くん、あとは三谷くん、奈瀬ちゃん、佐為もあるとか。番外編は楽しみですが、毎回30〜40ページを続けたら小畑さんが倒れるんじゃ… イラスト集の書き下ろしもあるだろうし、大丈夫かなあ。
ちなみにアキラの話は「アキラがヒカルと出会う前、プロ棋士になるかどうか悩んでいた頃のエピソード」だそうです。センターカラー32ページ。
新シリーズ(149局より)は「今春スタート」になってますが、もし4月スタートだったら読切終わっても小畑さん休む暇ないんじゃ? そりゃ「ヒカルの碁」が読めないのは寂しいけれども、もう少しゆっくり休ませてあげたいものです。
メモ。
去年のジャンプフェスタのビデオの全員プレゼントがスタート。「ヒカルの碁」のオリジナルアニメも収録。話としては格別面白いとは思わなかったんですが、加賀くんのファンなら絶対にみるべきかもしれません。このビデオは一般発売はないか、あってもかなり先ではないかと思います。先週号、今週号(9号)、次週号の「ジャンプ」のどれかを購入し、600円+80円の切手で申し込みすれば手に入れることができます。締めきりは3月5日。
また、1/23よりMekke!(http://mekke.shueisha.co.jp/)という集英社作品のグッズを販売するサイトの会員登録が始まりました。ジャンプフェスタで販売されたオフセット・リトグラフの販売も2月から開始するそうですが、小畑先生のは「ヒカルの碁」の「合体ポスター」の絵で、35000円。
さて、この後は「感想」というよりは「邪推」モード。
(1)新章は(作中時間で)どこから始まるか?
私の予想は、2002年3月。「ヒカルの碁」はほぼリアルタイムで物語が進行していますから、突然何年も話が飛ぶということはないと思います。3月というのは、葉瀬中の卒業式を想定しています。三谷くんとヒカルの確執の解消を描くとしたら卒業式あたりになるかなあ、と思いまして。ただ、三谷くんの番外編がその話になるかもしれない… でも日中韓Jr.杯という伏線からすると、1年以上話が飛ぶことはないと思います。
(2)単行本を考えた構成。
流れとしては見事なために全然気にならないんですが、よく考えると(考えなくても?)「ヒカルの碁」が単行本を中心に構成された物語だというのがわかるんですよね。だから週刊誌連載だけで読んでると「もっと話を早く進めろ」とイラだつこともあるわけで。
ちなみに15巻はヒカルが佐為を失ったことで虚脱状態になったところで終わってますが、16巻は伊角さんとの対局で自分の中に佐為を見つけて泣くところまで。で、17巻はというと今回の148話まででジャスト1冊となるわけです。
…そのことを考えると、番外編も単行本1冊分ちょうどになるかなあ、と。各話30〜40ページで、5人分程度であれば計算が合いますし。
単行本に収録されたときにどういう「ヒキ」を作るかを考えた上で物語の構成をしているというのはさすがだなあ、と思います。
(3)ほったさんの当初の構想ではどのあたりまでだったのか?
今回の話があまりにも美しかったのと、ジャンプの前例(?)のために「作者はやめたがったのに、編集部に引き伸ばしをしろといわれて続けてるのでは?」と思う方もいるようで、いくつかの掲示板でそういう意見をみました。
私はマンガ関係者でもないんで、流れている噂話は全然知りませんが、いくつかの推測(邪推?)から「引き伸ばし」ではないと思っています。
理由のひとつは、エピソードの構成の仕方から。第13話(小学生編終了)までは、物語を拡散させるエピソードや伏線は極力避けられています。連載当初に人気がなくて打ちきられた場合のことを考えて「ここで終わっても流れが不自然じゃない」程度に押さえていたのではないかと。ただそれでも何気に後で重要な伏線を仕込んでいますが。例として「海王中の囲碁部の先生が韓国人であったこと」を取り上げてみます。ユン先生が韓国人である意味は、アキラとの対局でのわずかな会話しかありません。あれは"海王中囲碁部のレベルの高さの説明"であると同時に"「韓国の事情」を説明させる→将来の日韓戦への布石?"にもなってるんですね。…当初その程度かと思っていましたが、本当は秀英がらみのエピソードが本命だったのでしょう。アキラに成長しつつあるヒカルの力を伝える役割と、何より佐為の存在不安へのトリガーとしての役割。また、これの延長からくる日韓戦自体は、まだ本格的なエピソードではなく、春からの新章に関わってくる話ですしね。ユン先生の設定以外にも、エピソードや伏線の連鎖のさせ方はそりゃもう見事なものですが、もしこれが最初からの仕込みではなく、後付での利用だとしたらそっちの方がすごいんじゃないかと思います。
二つ目の理由は、ほったさんは物語作成の方法論をよく知っていて、物語を読む時にもごく当たり前に構造解析をしてしまうタイプであるということ。2000年32号のジャンプにて「天下一漫画賞」の審査員をほったさんがつとめてたんですが、その選評が非常に具体的で、テクニカルだったのです。そこから考えると、ほったさんは物語を編むときにもテクニカルに考えながらやるタイプじゃないかと思います。
三つ目の理由は、ほったさんに感じる「主婦魂」。実は私が「ヒカルの碁」を読むときに妙にひっかかるのは「やけにお金のことに細かい」ことでした。ヒカルがネットカフェの利用料金や碁会所でもタダにしてもらっているのを読んで「そこまで細かく書かなくても…」とずっと思ってたんですが、最近これは「"お金のことはちゃんとしておかなければいけない"という、ほったさんの主婦魂がそうさせているのではないか?」と邪推するようになりました。あの無駄のないエピソード配置にしても、「食材をムダにできない」主婦としての脅迫観念かも…と思ったり。(いや、主婦でも平気で食べ物を腐らせる人もいますから個人差でしょう。ちなみに私は後者です…) もしほったさんが「ムダ」なことができないタイプだとしたら、将来物語に描くつもりもない伏線を引くことはできないんじゃないかと思うんですが。
以上の三つの理由から、新章も含めての構想が最初からあったのではないかと思います。ただし、人気がなかったり、諸般の事情で終わらざるをえない状況も考えて、「ここで終わってもうまくまとまる」ポイントをいくつも用意していたのじゃないかと。
(4)小畑さんの絵の変遷。
長期連載で絵柄が変わってしまうことはよくあることですが、「ヒカルの碁」でもそれは顕著です。緒方さんや伊角さんの「整形」は言うまでもないことですが、他のキャラも変化が激しいですし。私は小畑さんのマンガは「ヒカルの碁」がはじめてだったので、「描くにつれてうまくなっていったんだなあ」と単純に思ってたんですが、実はそうでもない様子。
実際、1991年から1992年に連載されていた「ランプ・ランプ」のコミックス最終巻のタッチやトーンワークなんて、息を呑むほど凄く、今の絵に近いものがあります。だから「うまくなった」のではなくて、「ヒカルの碁」の当初では人気がでるように今風の「アニメ絵」にわざとしてたのではないでしょうか。(「あやつり左近」もどちらかといえばアニメ絵ですね)それが連載が続くにつれ、元の絵に戻ったんじゃないかと。もちろん、物語に描かれる気持ちの揺れの表現方法として「リアル」を選んだのもあると思います。
ただリアルに傾いていても、ヒカルやあかりちゃんなど「子供」のキャラはアニメ的なかわいらしさをうまく残しているんじゃないでしょうか。私は小畑さんの描かれるリアルな「オヤジ」も凄く好きですが。
(5)最近小畑先生キツい?
今週のカラーの扉、第一印象は「…きれい…」だったんですが、よーくみるとこの絵って小畑さんのカラーにしては「手間がかかってない」部類では? ざっと下書きした上に、ラフに色を重ねてるだけで、背景が真っ白。しかも二人とものポーズは(別々にですが)昔の扉絵で描いたのと似ていますし。それでもこれだけラフでも丁寧に描き込んだカラーよりも美しく感じさせてしまうあたりが、小畑さんの絵のうまさなんでしょう。ため息がでます。
あと、カラーページのアキラのセーターに模様が入ってたり入ってなかったり。…やはり時間なかったんでしょうなあ。1ページ目もヤケに背景白いし。
でも、モノクロページは気合が入ってすばらしいデキでした。カラーはモノクロよりも入稿が早いから、モノクロはまだ時間をかけられたのかもしれません。それにしても、いくら写真トレースをやってたとしても、ヒカルの家や町の様子も、あまりにも手間がかかりすぎてるんじゃないかなあ。一巻の頃と比較して今は背景やトーンワークの手間は倍増しているのでは? 特にここ数巻分は「光の表現」にかなりこだわっていてますし。よほど優秀なアシスタントがついたんでしょうか… いくら原作(ネーム付き)とはいえ、小畑さんがそこまで手をいれるのは時間的に不可能でしょうし。
ジャンプフェスタでのサイン会での担当編集者の話によると、小畑さんの原稿が最近は遅くなってるそうですし、このままのペースでは小畑さん壊れちゃうんじゃないかと心配です。