日記  今の日記 / 「ヒカルの碁」感想INDEX     …………… 本の感想ページ

【ヒカルの碁 第189局「あなたに呼びかけている」】 03/04/28


今週のダイジェスト。
・整地の結果、ヒカルは永夏にわずかに及ばず、半目差負け。
・大盤解説室では、渡辺がここまで永夏をおいつめたヒカルの検討をたたえたが、一部の客は不満を呟く。いくら検討しても負けは負け、日本は最下位なのだ。そんな客に食ってかかる河合。
・負けちゃった、と呟きながら苦笑いをするヒカル。永夏はそんなヒカルをにらみながら、力の差を思い知っただろう、と言う。あれだけの碁をみたなら力を認めただろう、と安太善らは永夏をたしなめようとするが、子供のような意地を張る永夏。
・永夏はヒカルに、対局前に答えかけた、「なぜ碁を打つのか」の答えを聞かせろと問い詰め、秀英がそれを通訳した。
・答えは、ヒカルの中にはっきりとある。「…遠い過去と、遠い未来をつなげるために」負けても答えはゆるぎないが、ただ負けたことが悔しくて、ヒカルは涙をこぼした。
・大盤解説室では表彰式の準備が始まっていたが、和谷は日韓戦の検討をするために帰るという。伊角、越智、本田もそれに続いた。
・対局室に選手たちを呼びにきた戸刈は、対局室の雰囲気に足を止めた。永夏はヒカルの答えに「オレたちはみんなそうだろう」と答え、秀英に通訳するなと言って立ち去っていった。
・その頃、行洋はひとり会場を後にしていた。
・戸刈はヒカルに、来年も北斗杯はあるから勝ち上がってまた参加してほしいと言った。楊海は今年限りの大会ではなかったのか?と聞いたが、戸刈は北斗杯が予想以上の注目を集めて目的を達したので、来年以降の開催を社長に進言するつもりだと答えた。
・大盤解説室に移動しながら楊海はさきほどの永夏の答えについて話していた。楊海はその答えを「ガキの青くさいセリフ」だという。過去と未来を繋げるためにというのは、碁打ちかどうかも、どこの国にいるのかも関係なく、それは生きてゆくということと同じなのだ、と。
・アキラはまだ座ったまま立ち上がらないヒカルに「行こう」と声をかけた。「これで終わりじゃない。終わりなどない」ヒカルはアキラの言葉に、扇子を握り締めて立ち上がる。
・最後に、誰のものと知れない言葉が。「私の声が聞こえるのですか」

呆然。「北斗杯で終わるらしい」という噂は聞いていたものの、つい先週まで伏線をひいていたし(というよりはもっと露骨にトリガーを仕込んでいたという感じですが)、まったく風呂敷を畳もうとする気配がみえなかったので、あくまでも噂だと思っていたんですよ。 …え、続きは? 読みきりだけ? 唖然としました。
「北斗杯編 終」とはなっていますが、前の佐為編終了の時と違って「夏に番外編が本誌に載る」こと以外書いてなくて、本編が続くことが明記されていないし、ほったさん、小畑さんのコメントも終了ムードが漂っているからなあ… それより矢吹健太朗氏のコメントの「次回作も期待しています」というのが… 続きはないの? 「ヒカルの碁 完」となっていないことに、一縷の望みを託してもいいのでしょうか。(それとも「完」がつくのは夏の読みきりなんですか?)
とにかく、私は彼らのこの先の物語を、どんな形であってもいいから知りたい。今までファンレターを書いたことはなかったんですが、今回は思い切って出してみます。読みたいんだ、という気持ちだけは伝えておきたい。あとはジャンプ編集部にも。

終了に関するあれこれは後でまた語るとして、本編について。
ヒカルの答えは、佐為が消えるときにたどり着いた考えと同じものでした。佐為の考えていたことがヒカルの心の底に残っていて、それが広瀬さんの言っていた「神様の100万年計画」の話と永夏の問いに刺激されてぼんやりと浮かんできたのか。それとも多くの棋士たちとのかかわりを通して、先人から受け継ぐこと、それを次の人たちに伝えていくこと、その絆に思い至ったのか。
そうやってバトンリレーを行っていくことは囲碁だけに限らず、生きてゆくことがそのものだということ。それが最後に示された答えでした。

一番最後の誰とも知れないモノローグは、第一話で佐為がヒカルに呼びかけた言葉と同じです。このシーンは色々な解釈の仕方ができるでしょう。
・「過去から未来へと繋いでいくこと」の象徴して、すべての始まりの佐為の言葉を過去の回想して最後に持ってきた。
・もう一度生まれかわった佐為が誰かに呼びかけている。(それが「台湾の才能ある子」説…これは嫌。)
・囲碁の神様の御許にいった佐為は、時折地上の様子を眺めては声を届けようとしている
…などなど。私としては佐為が天からヒカルに呼びかけている、というのがいいなあ。遠く離れてはいても、ずっと見守ってくれているんだ、と。

この北斗杯の熱戦にしても、神の一手を目指す棋士たちの絶え間ない戦いの一つで、彼らのその営みは過去から未来へと、ずっと続いていく… って示されたからといって納得できるかというと、やはり納得いかないんですよね。「向こう」で彼らの物語は続いていても、それを「こちら」からみることができないのは寂しすぎるから。
来年度の北斗杯もみたかったです。来年には楽平は代表になれたのかなあ。もし来年があれば、今度は日本が優勝!!というのもありえるかなあ、と思うんですが。アキラは磐石だし、ヒカルもどんどん成長していけば。
永夏は口ではあれこれ言いながらも、ヒカルの力は認めたし、自分と共鳴する部分も感じ取ったようですが、それを口に出さない永夏の生意気なお子ちゃまぶりが、かわいいったらありゃしない!! 北斗杯が終わったら永夏に会えなくて辛いだろうなあと思っていたら、「ヒカルの碁」自体が終わってしまう(?)とは。
悪役顔の韓国のオジさん、最後は永夏をいさめたりといい人ぽかったです。でもあの人は一体何者だったんでしょう… 正体不明のままで終わるんですか?
楊海さんは最後においしいところどりでした。楊海さんは度量の深さとバランス感覚(あの碁バカばかりが出てくる作品の中では飛びぬけていいのでは?)が大人で素敵だなあ、と思います。楊海さんにも会えなくなるのも辛いよ…

最後の最後がヒカルの悔し涙で終わるのが切ないです。ヒカルの悔し涙は、第11局の勝たなければいけない対局において、自分の力では勝てないから佐為に打ってほしいと告げるシーン以来。悔しい思いを乗り越えてこそ強くなれる。それはもちろんわかるんですが、読者としては、物語が終わるのであれば、アニメのように満面の笑みで締めくくってほしかった。

今回の絵は、北斗杯編ラストということもあって、すばらしく美しいです。線の微妙な加減が見事。特に扉絵はすばらしい。漂う空気も素敵で。今までの中で好きな扉絵のひとつになりそうです。アオリから考えると、5/7発売の赤マルジャンプには、この表紙のカラー版のポスターがつくのかなあ。だったら保存用もあわせて少なくとも二冊はかわないと!!


さて。連載終了ということについて。以下の話は危惧どおりに物語はこれで終わりだとしたら…の話です。
本来の物語着地点でないところにピリオドを打ったのは、なんらかの連載を続けられない事情があったのでしょう。
今回の終わり方はかなり唐突です。つい先週まで伏線をはっていて、いきなり終わりというのはまるで「打ち切りマンガ」のようですが、「ヒカルの碁」のコミックスの売り上げから考えると商業的な理由での「打ち切り」は考えにくいですし。
かといって、「作家が壊れる寸前、限界に」という切羽詰まったものも感じられませんでした。小畑さんの絵に時折見られる疲れは気になったものの、物語を紡いでゆく一手一手は、石の流れに乱れはありませんでしたから。だからこそ、「唐突」な感じがするんです。
…「事情」についてはいずれわかるかもしれないし、ずっとわからないままかもしれない。これ以上、何を書いても邪推にしかならないので、頭の中でぐるぐる回っていた言葉は自分の胸の中に閉じ込めておきます。

連載の終了を知って、最初は唖然として思考停止状態、そのあと「事情」の邪推で頭がいっぱいになり、しばらくたって落ち着いてからはひとつの「疑問」ばかりが頭を占めるようになりました。

なぜ神様は奇跡を起こさなかったのでしょうか?

もしこの北斗杯で「ヒカルの碁」という物語にピリオドが打たれるのであれば…なぜ「ヒカルの碁」の物語世界での「神様」であるほったさんは「改変」をしなかったのだろうか、その疑問が頭の中をぐるぐる回っています。
「佐為編」の終わりと違って、「北斗杯編」の終わり方は、ずいぶんとほろ苦いものになってしまいました。たしかにヒカルのこれからずっと続く囲碁人生の、通過地点の一つに過ぎない「北斗杯」においては、この段階ではまだ永夏に勝つにはヒカルの力が足りなくて、悔し涙を飲むしかなかったのかもしれません。
でも、「神様」がほんの少し力を貸せば、少年マンガ的にもう少し「風呂敷を畳む」ことを考えた終わり方に「改変」することは可能でした。主に二つの件を「改変」することで物語の後味はかなりかわります。ひとつは「いたたまれずに帰ってしまった美津子さん」の件についてフォローするエピソードを入れること、そして「ヒカルが永夏に勝つ」ことです。

ほったさんの物語の作り方自体は、結構オーソドックスというか、セオリーどおりだったりします。
「ヒカルの碁」においては勝敗自体はさほど重要でないものの、物語の基本である「喪失」に対する「回復」は、(その間隔が長期にわたるものの)確実に行われています。
一度物語の区切りを迎えた148局で、ヒカルは結局アキラに勝てませんでした。でもあの対局は、アキラとヒカルが対局することで、やっと二人の関係が始まるのだ…ということの方が、勝敗よりも重要でした。ここで「回復」は、ヒカルとアキラのすれ違いの解消、そしてヒカルが佐為に(夢の中であっても)もう一度会うことができたこと…という風に描かれています。その「回復」があったからこそ、佐為編の読後感は気持ちいいものでした。
今回の場合は、「喪失」したのは「ヒカルの自尊心」、そしてそれを回復させるためには「永夏に勝つ」必要がありました。
永夏との対局を通じてヒカルは成長し、(永夏も含む)今大会に関係したプロ棋士たちにヒカルの力が認められたものの、肝心の傷ついたヒカルの気持ちは回復していません。もっとも物語がこのまま続くのであれば、この悔し涙こそがヒカルを成長させる重要なキーになるのだと思います。
でも、このあとの物語を語る予定がないのであれば、「読者の満足」を優先させるために「改変」する…という道を選ぶことができたはず。
半目差まで追い詰めることができたのであれば、永夏がわずかなミスをすれば逆転することは可能です。(元棋譜も改変してもらえばいいんだし) それで日本が韓国に勝ち、お客さんも「日本の若手は期待できるぞ」と意気揚々とする。また、美津子さんも終わり頃に結局気になって会場にかけつけて、ヒカルが大将をつとめて見事に勝ったことを知り、周りのお客さんがヒカルをほめたたえる言葉を聞く。
こうなると、物語の後味はかなりかわるはず。

もし、ここで物語に終止符を打つのであれば、なぜほったさんは「改変」しなかったのでしょうか。この先を語るつもりはないけれども、物語をいじってしまうと、それは「ヒカルの碁」ではなくなるのか。それとも、この後の物語を語りたいという意志があるから、あえて改変は行わなかったのか。それとも他の理由なんでしょうか。私はずっと物語の消費者でしかなく、生産者となったことはないので、そのあたりの「神様」の気持ちはよくわからないんですよ。他に理由を思いついた方がいましたら、教えてください。
個人的には…「その後を語りたいという意志があるから」だったらいいなあ、と思っています。


最後に。
物語上で、見たかったものリスト。伏線の延長線上のものと、妄想が入り混じっています。
・秀英とヒカルの碁会所対局
・三星火災杯。私はヒカルは予選参加すると予想してたので。(脳内ストーリーでは宿泊費を浮かすために秀英くんちに泊めてもらうことに)
・緒方さんとジジィの対決
・動く畑中さんがみたかった。現・名人なのに出番なし?
・天野記者は結局どこにいったのでしょうか?
・あかりちゃんとの約束を守って、指導碁にいくヒカル。
・ヒカルのすごさをやっとわかる美津子さん
・三谷くんとヒカルとの和解
・大きな楽平と小さい和谷とのご対面
・来年の北斗杯、ヒカルにリベンジされて、悔しげに下唇をかむ永夏
・ヒカルにsaiと対局させてほしいという塔矢先生
・ヒカルとアキラの公式手合いでヒカルが勝つ
・ヒカルの謎の答えにたどり着くアキラ
・ヒカルがアキラに約束した、「いつか」が実現する日。

リストアップしていけばキリがないけれども。夏にあるという読みきりは、どういうものになるんでしょうか。間をすっとばして、物語の本来の着地点…真のエンディング(私はヒカルがアキラに佐為のことを話すことをほのめかすシーンで終わるのではないかと思っています)の話になるのか、それとも何気ない番外編になるのか。
番外編であれば、あかりちゃんとの約束を守って指導碁にでかけたヒカルの話がいいなあ。「北斗杯」後の、そういう何気ない一日の話がいい。ずっと彼らの日々は続いているのだと、思わせてくれるような。
でも、あまり期待しすぎると自分の読みたかったものと違うとがっかりしてしまうので、気持ちはセーブしておかないと。


その他情報関係。
「週刊少年ジャンプ35周年記念 ジャンプ原画展」が日本各地で開催されるそうです。お知らせのカラーページの中には「ヒカルの碁」の絵もありました。(本当に展示されるかどうかは不明ですが。) まず最初は石川県金沢市からスタート、5/1〜5 めいてつエムザ8階にて開催。
そのあとの予定が決まっている分は、7/31〜8/6 大阪阪神百貨店、8/13〜18 名古屋名鉄百貨店。
もし金沢の分に行く人がいれば、「ヒカルの碁」のイラストもあったかを教えてください。
今回はジャンプオールキャラ企画ということで「ONE PIECE」ネタの4コママンガや連作マンガの企画ものがありました。「葉瀬中アクターズ"ONE PIECE"」、キュートでかわいかったです。

第7回手塚治虫文化賞の「新生賞」を「ヒカルの碁」が受賞しました。おめでとうございます。


HOMEへ / 麻弥へのメール