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【アニメ ヒカルの碁 第56局「千年の答え」】 02/11/10

今週のダイジェスト。
・女友達の部屋から家路についた緒方九段は、名人の顔をみるために病院に寄り、面会謝絶の札に驚くが、それがネット碁に集中するためと聞いて急いで自宅に戻り、saiと対局していることを驚いた。
・名人とsaiの対局は名人優勢で大詰めに入った。
・アキラはこの対局は父親が前もって約束していたことに気がつく。父親がどこでsaiと出会ったのかと考え、ヒカルが見舞いに来ていたことが頭に浮かんで離れなくなってしまった。
・一方、緒方もsaiの正体を考え、ヒカルのことを思い出すが、若獅子戦でみた対局からするとヒカルはsaiではないと断じた。
・アキラはsaiの百戦錬磨の強さは、進藤ではない…と思いながらも、saiが出会った頃のヒカルとどうしても重なってみえてしまっていた。
・名人はネット越しに伝わる気迫から、かつてヒカルと新初段戦のときに相対して感じたものを思い出していた。
・その時、白が放った一手に名人は驚愕。形成は一気にsaiに有利に。
・名人は終盤までヨミ切り、自分の半目差での負けが分かっていたので投了。
・アキラは「saiは昔のヒカルに似ている」と確信を抱く。「こんなの! なんの答えにもなってないけど!」
・対局終了後の佐為はハイレベルな対局に満足していた。名人に感謝し、そしてヒカルにも感謝をしようとしたが…ヒカルはなにやら考えこんでいる。
・ヒカルは、名人の終盤の一手について別の手を示し、そこに打っていれば佐為に勝てたのではないか?と指摘する。
・動かしようない、ベストの対局だったはずなのに、さらに上をゆく解答を示され驚く佐為。そのとき、佐為に天啓のようにある考えが浮かんだ。「神はこの一局をヒカルにみせるために私に千年の時を永らえさせたのだ」と。

今週も原作3話分でアニメ1話になっているために、テンポよく進みました。内容はほぼ原作通り。ただし前回の話の演出も動きも作画も素晴らし過ぎたために、ついそれと比較してしまうと演出部分の緊迫感に物足りなさが… 作画は今週もきれいでした。特にあの最後の佐為とヒカルのシーンは、絵で説得力を与える場面ゆえに心配していたのですが、原作の絵をアニメ風にうまくアレンジしていい感じに仕上がっていました。振りかえったヒカルの力強い瞳。いい作画だったなあ。

ついに、その日がやってきました。今回の話はこの作品のタイトルが「ヒカルの碁」であることを改めて思い知らせるものでした。あまりにも早すぎる頂上対決には、こういう意味があったとは。「ヒカルの碁」ではヒカルと佐為はW主役ぽい構成となってますが、ヒカルは「碁」について佐為という「初めから最強」キャラに引きずられてる部分があったんですよ。今回の対局も佐為のためのエピソードかと思ってたんですが、実はその対局もヒカルの可能性を示す踏み台となるものでした。
佐為が何度も自問した「なぜ神は私をヒカルの元に降臨させたのか」の答えがこの対局で、こんな形で見出されるとは… ヒカルの才能については、今までには「記憶力、集中力がすごいこと」「おもしろい発想の手を打つときがある」(一見悪手)ということが描かれてきましたが、佐為や名人、アキラなどに比べるとそれもさほど光るものではなかったように思います。それが今回は名人や佐為のヨミよりもさらに上をいく可能性を示しました。もっともそれをもってすぐに「ヒカルは佐為より強い」とは言えませんが。今の段階ではヒカルは時折すばらしい閃きを見せますが、一局すべてにおいて最善の手が打てるほどヨミが強いわけではないでしょうし。私が思うには、ヒカルは理屈よりも感覚的に一手が浮かぶのではないでしょうか。要するに天才型。碁の神様と対話する可能性を秘めてるのでしょう。

ものすごく失礼な言い方になってしまいますが、ヒカルのところに降臨したときには佐為にとってヒカルは自分が「神の一手を極める」ための外部へのアクセス手段の意味が強かったのではないかと思っています。…そのためヒカルに「打たせて貰えない」ことで、元々ヒカルなしでは他者へ意思さえ伝えることができない佐為はアイデンティティの危機を感じるようになりました。それで1度ヒカルとやりあって、それで気まずくなったこともあって、今回の名人と佐為の対局が実現したわけですが。
佐為にとっての価値感は今回の件である意味ひっくり返ってしまいました。アキラの新初段戦のあと、佐為は「塔矢アキラという存在はまるでヒカルを成長させるために神が用意されたかにみえる」と感じていますが、まさか自分までヒカルのために用意された存在であると考える日がくるなんて、思ってもいなかったでしょう。この日を境に佐為とヒカルの関係は変化します。佐為にとってヒカルは自分の弟子からライバルになっただけではなく、囲碁の神様の寵愛を巡る相手にもなってしまうのですから。

アキラは今まで彼を散々悩ませてきた問題にひとつの答えを見つけました。本人はそれはなんの答にもなってないと思っていますが、実はある意味正解なんですよね… 緒方さんの「saiはヒカルではない」というのもある意味正解。でも本当の答まではまだまだ遠いところに2人ともいます。 これを原作で読んでるときは、アキラはいきなり「答」を求めて、かつてヒカルをみつけたネットカフェに急ぐかと思っていました。でも最後まで対局をアキラは見守りました。そして、saiとの関わりを持つと思われる父親に対して、アキラはどんな態度をとるのでしょうか。

さて、今度は本筋から細かいネタの方に… あの緒方さんの「大人の私生活」はアニメでは子供の教育上よくないということで飛ばされるかと思ってたんですが… やっちゃいましたねぇ。原作ではほったさんはこのシーンの描写を地味にしてほしいと作画の小畑さんに頼んだそうですが、アニメでも描写や声優さんの演技自体は地味目になっていました。
緒方さんといえば、今回のメガメ外し。メガネをとったら顔がかわっています。美しい〜!! 

さて、今回の原作とアニメの違いです。
(1)韓国か中国のプロ?
アニメではsaiの正体について研究会の皆さんが推測しているときに状況を分かりやすくするためのセリフが追加されています。
「どこからアクセスしているとかわからないのか?」「インターネットに詳しければ調べるとかできるかもしれないけれども」
(2)この気迫は…
名人がsaiにヒカルとの対局のことを思い出したときの「新初段戦の…」というセリフがカット。わざわざ書かなくても絵だけで十分分かるからではないでしょうか。
(3)打たれてみるとここにしかないという絶対の一手にみえる
アニメではsaiの一手が打たれたあと、メガネくんのフォローのセリフが追加。
「この手が打てる者が この手に気づく者がどれだけいるか」
(4)名人の投了
驚く和谷くんにに母親が「ドラ焼き買ってきたよ」というセリフがカット。マンガではギャグとシリアスを同時に描くことが簡単ですが、アニメでは雰囲気を切りかえるのが難しいですからカットしたのではないでしょうか。
あと、驚くアメリカ代表のセリフ、アゴの人とメガネの人のセリフが逆なのでは?


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