今週のダイジェスト。
・棋院の棋譜保管室でヒカルは秀策…昔の佐為の棋譜を初めてじっくりと読んでいた。棋譜からヒカルは佐為が天才碁打ちであったことに改めて気がついた。そしてヒカルは佐為にもっと打たせてやればよかったと後悔した。
・ヒカルは虎次郎は佐為と会ったときに佐為の才能のすごさがわかるほどの碁打ちだったから、虎次郎は佐為に全部打たせたのではないかと思った。ヒカルは、自分が打ちたかったから佐為に打たせなかったことを、「バカだ」と自分を責める。全部佐為に打たせればよかった、とヒカルは号泣した。
・二日後の大手合、和谷とアキラが待っていたがヒカルはやってこなかった。ヒカルは学校で授業をぼんやりと受けながら、佐為に「戻ってこい」と心の中で呼びかけていた。
・若獅子戦にもヒカルはやってこなかった。アキラは苛立ちを壁にぶつけていた。
・学校で社会の先生に「藤原佐為」について調べてもらったが、文献には一切残っていなかった。佐為の存在の証はヒカルの記憶の中にしかない。ヒカルは佐為が戻ってくるまで、碁は打たないつもりだった。学校であかりがヒカルに話しかけても、ヒカルは冷たい返事をするだけだった。
・一人暮らしを始めた和谷の部屋に、小宮・本田・奈瀬がやってきた。和谷は部屋に若手のプロを呼んで研究会もやっていた。和谷は奈瀬から、伊角が九星会の棋士たちと共に中国棋院に勉強に行ったことを聞いた。
・放課後、アキラは葉瀬中にやってきた。図書館でぼーっとしていたヒカルのところにやってきて、アキラはヒカルを問い詰めるが、ヒカルは自分ではダメなのだ、もう打たないといい、「ごめん」と言って逃げ出した。アキラはヒカルを追いかけるが捕まえることができなかった。
今回は原作2.1話をアニメ1話にしています。今回のヒカルの慟哭は「ヒカルの碁」における見せ場のひとつですが、作画がもうひとつだったのは残念でした。アップはまだマシだったけれども、動きがなあ… でもその分、声優さんの演技のがんばりがカバーしてたのではないでしょうか。
それにしても、神さまは残酷です。この場合の神さまは原作者である「ほったゆみ」さんなんですが… 同じ別れを描くにしても、もう少し悔いが残らない形にすることはいくらでもできたはずなのに、こういう唐突なものにしてしまうとは。この後の展開を知っていても、ヒカルの「オレなんかいらねぇ」という痛切な叫び声に、「せめて佐為が消える前にヒカルに佐為の苦しみを気を付かせてあげてほしかったなあ」とかつい思ってしまうんです。
こうして大きな喪失を知ることでヒカルの無邪気な少年時代は終わり、長く苦しむことで人間的にも成長を遂げるのですが…
さて、原作コミックス1巻でのおまけの話題によると、この「ヒカルの碁」の話が初めて書かれたときに原作者によってつけられたタイトルは「九つの星」だったそうです。それがわかりにくいということから、編集者が「ヒカルの碁」というタイトルを提案、そしてそのまま今に至るのですが。
その「九つの星」の時から「ヒカルが自分を打つことで佐為を消してしまう」ことが決まってたんでしょうか。それともその時は、物語が文字どおりに「ヒカルの碁」になるとは決まってなかったんでしょうか。
ヒカルが、自分でない力(佐為)によって人に認められることを良しとせず、自分の力で認めてもらう道を選んだこと。それは「安易な道を取らなかった」とむしろ誉められるべきことであって、ヒカルが自分をあれだけ責めなきゃいけないようなことではないと思うんです。いくら佐為が天才であっても、ヒカルの人生はヒカルのものなのですから。
でも、ヒカルもアキラがいなければ、佐為の情熱に押されて佐為に打たせる道を選んでしまったかもしれません。虎次郎が佐為に打たせる道をとったのは、彼には「アキラ」にあたる人がいなかったのかもしれないな、とふと思いました。
アキラからすると、絡め手から探ることをやめてヒカルに真正面から向きあおうと思ったときに、「もう打たない」とまたしても不可解な態度をとられて翻弄されてしまうわけですが。なんとも間が悪いというか… 前にヒカルの不可解な拒否にあったアキラは、ヒカルと対局するために囲碁部に入るという道を選びましたが、あの頃からすると成長したアキラがとる手段は…
さて、次からはしばらく伊角さんのお話になります。ヒカルがあんな状態なのでその展開にヤキモキするかもしれませんが、いずれ物語はつながりますので、見守っていてほしいな、と。
アニメと原作の違い。今回はほぼ同じ展開で、和谷くんの部屋のシーンと、アキラが葉瀬中に追いかけてきたシーンの順番が原作とアニメでは入れ替わっているだけです。あとは、最後にアキラに追いかけられているヒカルが、何度も佐為の名前を呼ぶシーンはアニメで追加された分です。