草村礼子一人芝居・じょんがら民宿こぼれ話
         
あ ら す じ

主人公は、焼物の町伊万里で昭和20年8月15日に生まれた“みやび”
母親は長崎で被爆し、みやびを産み落とすと同時に死亡。
父親も戦死したため祖父に育てられた。

恋人健司の父親が、朝鮮人だったために結婚を許されないが、みやび21歳の夏
健司の子を宿し、育ての親でもある祖父の宝・古伊万里その他を秘かに持ち出し
健司と駆け落ちを企てるが、彼は翻意。
やむなく当てもない一人旅に出たみやびは流れ着いた札幌で、出会った男
十三湖からの出稼ぎ者の、太一と結婚。
健司の子供も含め四人の子供を生み、姑に仕え、貧しくとも幸せな生活を営む。
高度成長の波に乗るべく始めた民宿は、一家総出演の余興その他で順風満帆。
しかし昭和58年5月の大津波に足をすくわれた。

長男太郎の交通事故死で得た金もあって津波の後に建て替えた
村で一番立派な民宿やどは、あらぬ噂の素となり、花子が家出。
花子が、歌舞伎町の風俗店で働いていると聞いて上京したみやび
くまなく聞き込みをしたが探し出せず
新宿駅アルタ前で“娘探し”のビラ配りを開始した。
娘を探したい一心で家出人探しのテレビ番組にも出演したり
見ずに通り抜ける通行人の目を引くための、デタラメ踊りもするが
花子を探せぬまま三十日。
今日もみやびはアルタの前に来て、娘探しのビラをまく。

そのみやびの隣に、三人の孫と東京見物に来たと言う老婆がいた。
普段は愛媛で遍路宿をしているという
老婆の、何気なくかけた"優しいひと言"に、誘われて
みやびは、身の上話を始めた。
家族自慢から始まったその話は
数日前の話、20年前の話、5分前の話とコロコロ転がってゆく。
そのいくつものエピソードの中から
終戦の日に生を受けた女の半生が、透けて見える。


ご 案 内
物語は大津波などの事実に基づく部分もあるために、書き下ろした1987年のまま演じますが、 現在の東京の話です。

尚この芝居は、舞台装置を飾らずに、演者の心と身体を通過させた言葉=セリフと、 お客さまの想像力が出会う事だけに、演者とスタッフ一同が心を砕き、上演致します。

観る人と演る人とが心をひとつに合わせられる一人芝居こそが、 面白くって楽しいお芝居の原点と云われて居りますが、どうぞ御自身の目で、お確かめ下さい。

「この芝居は全部津軽のことばで語ります」と言うと「判らないのでは?」と不安にお思いになる人が多いのですが 芥川作家の辻亮一先生『この芝居の津軽弁は、観客にわかりやすい津軽のことば としての推こうが成されている』とお褒め頂きましたように、耳に優しい “ひらがな風の、津軽ことば”なので、どうぞご安心ください。

時には(びっくりした!の意味で)「どってんしてまった!」な〜んて
聴きなれない言葉も出てきますが
「どってんしてまった! ンでも、ビックリしたついでに、びらを・・・」というように‘置き換えの言葉’がありますので心配はご無用。

言葉は、人と人が解かりあう為の道具。
その言葉の中でも気取らない言葉が、地方語です。
津軽の言葉には「言ったんだびょン」「悲しかったンだびょん」
なんて、可愛いく美しく、きれいな音が
いっぱいあります。
演劇ならではの、地方語の楽しさや
地方語の持つ“あたたかさ”も
お愉しみ下さい。
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