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【ボーダーライン】 01/11/16 22:38
突然ですが。「ドリーム小説」というのをご存知でしょうか? アニメやマンガのキャラを対象に、キャラ(♂)×自分(♀)な小説を指します。同人誌で見かけることはまずありませんが、Webではかなりの数のサイトが存在します。製作者も読者も主に10代の少女、Javascriptを利用して自分の名前を予め入れると小説中で好きなキャラが自分の名前を呼んでくれてラブラブな話に…という感じで。
前に友達に「こういうイタいサイトがあるよ」と教えてもらってみたけれども、それは私は少ししか読んでない作品だから何も感じなかったのですが。この前たまたま「ヒカルの碁」のドリーム小説サイトに漂着して、つい怖いもの見たさで自分の名前を入れてみました… ぐっ…
うーん、やっぱりもぞもぞする。でもなぜ「やおい萌え」よりも「ドリーム小説」の方をイタいと思っちゃうのかなあ。そういえば芸能系でもドリーム小説はありますが、こっちの場合はやおい萌えの方がイタく感じるんですね。(念のため、私もかつてナマモノ同人に大ハマリしていたことがありました… 今も萌えなナマモノカップルはあるんですが、ここでは絶対に言えません。)
あれこれ考えてみたところ、たぶん私が受けたドリーム小説への違和感は「世界の違いを踏み越えてしまったところ」なんじゃないかと思いました。
ナルトやワンピの世界は完全別世界なのでおいとくとしても。「ヒカルの碁」は佐為の存在以外は現実世界となんら変わりない世界で、日本棋院はマンガに描かれた通りニセモノの魚もいるし、ヒカルいきつけの碁会所も現実に存在しています。それでも、ヒカルもアキラも緒方さんも現実には存在しない「異世界」の住人。「テニスの王子様」でも以下同文。
「やおい」は「世界が違う」ことを分かってて第三者視点から楽しむようなもの。それがドリーム小説の場合は異世界の中に自分が入っていっちゃうんだから、その「世界の境界」を分かってないように見えるところをイタく感じるのかも。
逆に芸能人相手の場合、同じ世界に存在してるので実際に触れ合える可能性はゼロじゃない。だからこちらの場合はそれほどイタさを感じないかも。(ただし20代後半にもなってマジで「●●くん(芸能人)と結婚するもん!!」とか言ってる人はちょっとねぇ。)
もちろん、ドリーム小説を書いてる/楽しんでる人たちも「世界の違い」を分かった上でちょっとだけ夢みてるだけの人がほとんどでしょう。ただ外からみたらそう見えなくもないということで。
そんなこと言いだしたらゲームはどうなるんだ、って感じですが。主人公に好きな名前を入れる作品は多数存在するわけで。まあドラクエみたいな異世界ファンタジーを舞台にしているものは別として… 一昔前のエロゲーやギャルゲーでは、主人公のグラフィックがないか、あっても顔を隠すとかしてましたよね。それで自分の名前を入れることができるわけですが、ああいう形でやってるときには「主人公=自分」なんでしょうか? 自分×萌えキャラなのかな? それとも「自分と同じ名前のキャラ×萌えキャラ」みたいに心の距離があるんでしょうか? ちょっと聞いてみたい気がします。
ちなみに女子向け恋愛シミュレーションの代表作「アンジェリーク」の場合、浮世離れした世界を舞台にしているし、主人公の分身は金髪碧眼の女の子なので、主人公=自分と没頭することはできないんじゃ… 女の子キャラグラフィックもたくさんでてくるし。もちろんアンジェに自分を投影して夢みてる子もいるだろうけども、=自分とは微妙に違うんですよ、それは。
…とても小さかった頃、デパートでやってる仮面ライダーショーか戦隊ショーかを見にいった記憶があります。それで悪の組織の下っ端が幹部の命令で(見に来てた)子供を攫ってステージに連れていくのですが、それが当時の幼い私にはとても恐ろしくて。泣いたかもしれない。記憶がはっきり残ってないけど。たぶんあの頃は、テレビの中で行なわれてる出来事が「絵空ごと」であることが分かってなかったんでしょう。テレビの中も、目の前の怪人たちも「ホンモノ」の存在だった。だからこそ、攫われるのが怖かったんです。たぶん。
小さい頃はフィクションが「作り物の世界」であるということがわからないんですよね。それがいくつになると「現実」と「夢物語」の区別をつけてフィクションとして楽しめるようになるのかなあ。自分の場合は「いつの間にか」だったのではっきりと覚えていませんが。
ボーダーラインを見極められるようになるのは、「大人」になる一歩なのかも。
アニメやマンガやゲームを趣味にしている人が世間から白い目で見られることがあるのは、「現実と虚構の区別がついてない」→「ナリが大きいが中は子供」みたいに思われる部分もあるのかな。外からみたらそうかもしれないけれども、実際はちゃんと分かった上で「夢物語」を楽しんでるだけなんですけどね。…いや、たまに本気で区別つかない人がいて、そういう人たちがとんでもない事件を起こしてしまうから白眼視されるんだろうなあ…
話に飛躍がありすぎる上にまとまりなくてごめんなさい。
【ボーダーライン2】 01/11/17 18:30
昨日のボーダーライン話から、あれこれ。
●「現実とフィクションが区別がつくのは10歳頃である。」
…と朝日新聞のコラムに書かれてあるのをみたような、というメールをいただきました。ありがとうございます。ちなみにその趣旨は「だから親は気をつけてください」だったそうです。
でも10歳といえば小学校4年生なわけで、その頃にはもうサンタクロースは実在しないことやゴンタくんの中には人が入っていることや、大人は必ずしも正しくもないことを分かっていたような気がしますが。…自分が10歳の頃に何をどう考えて生きていたかをはっきりと覚えてないので曖昧だけども。
●「外から与えられた虚構」と「現実」の区別はつくようになっても、「頭の中だけに存在している空想」と「外部で本当に起こっている現実」の区別はつくのだろうか?
思春期の頃って肥大した自我をもてあまし気味だから、自意識と外部からの認識のギャップを埋めるために脳内妄想で補完するのはよくある話かと。前世がなんとかの戦士だとか、自分には超能力があるとか、オーラが見えるとか、宇宙人とのコンタクトとか。今なら「なんちゃって多重人格」あたりかな。それでも大人になるにつれて、完全に区別はつかなくてもある程度妥協できるようになってくるものなのでしょう。できない人もいるけども。
…なんか、昔「僕の地球を守って」(日渡早紀 白泉社)で「フィクション宣言」したことを思い出しました。前世と生まれ変わりがからんだ大河恋愛マンガの傑作なんですが、この世界観に共鳴して同じようなムーンドリームを見る少女たちがでてきて、別のマンガのせいで「前世をみるために」自殺した少女がいたこともあって、異例の「これはフィクションです」宣言をしたのでした。そんなこともあったなあ。
●脳内キャラとの恋
少女マンガからさらに連想。昔、「ぴーひょろ一家」という美形4兄弟が悪霊退治をするという話のそこそこ人気のマンガがあったんですが、コミックスに収録されていた作者のはみ出しコメントにひいたことがあったなあ。作者は主役キャラのひとり(たしか次男だっけ?)に本気で恋していて、彼のことを考えるだけで涙がでてくるとか… 自分の脳内キャラに本気で恋するなよ… いや、恋するのはいいとしても、それを表に出されると思いっきりひいてしまいます。
特定のキャラに惚れるあまり、物語が歪んでしまうとかいうのも… 「グイン・サーガ」も最初はいい話だったのにねぇ。
もちろん作者が自分のキャラに愛情を持つのは悪くないんですが、ただそれを表に(特に物語に!!)露骨に出さないでほしいなあ、と。
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