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呼ぶ寺

 ある夏の夜、私は、涼みがてら、子供の頃歩いたお決まりの散歩コースをひさしぶりに歩いてみようかと、商店街を右にまがりました。
 そこは、誰でも一度はこんなところに住んでみたいと夢に抱くような、閑静な住宅街で、私が子供の頃には、ここまで建ち並んでないにしろ、まるで異国のお城のように見え、独り遊びをするには最高の散歩コースでした。その散歩コースの最終地点である小学校は、当時とすっかり姿をかえ、近代的なコンクリートの箱のような様相を呈していました。昔は、木造で他所の学校ということもあって、ここまで来ると、何故か先に進めず引き返したものでした。
 ある出来事以来、私は、毎日のように通っていたこの住宅街に、一度も足を踏み入れなくなっていました。
 
 その日私は、捕らわれの身のお姫さまでした。三軒並ぶ洋館の一番右端に住む魔女によってカラスに姿を変えられている王子様に救い出されるはずでした。
 洋館の白壁の塀に沿って歩いて行くと、石でできた階段がありました。その階段は、どこに通じるとも無く塀と塀の間に挟まれていました。丘を切り込んで建ってるため、かつてはその階段を使って、その丘に上っていたらしいのです。その階段が私の捕われている塔に通じているという訳です。
 私が階段を上ろうとした時でした。いつからそこにいたのか一人の少年が「一緒に遊ぼうよ。」と、私を追い越すようにその階段を駈け上って行きました。「あっ!」と思った時には、その少年は階段を上りきり、振り向いて笑ったかと思うと、洋館とは反対側の塀に、吸い込まれるように入って行ったのです。私はすぐに少年の後を追おうと、階段をかけ上りました。その瞬間、私の体は、ふっと、宙に浮いたようになり、そのまま気を失ってしまいました。
 気がつくと私はお墓にいました。どのくらいそこにいたのか、そこがどこなのか。どうやって帰ったのかわかりませんが、私は泣きながら、家にたどり着いていました。
 そのことがあって以来、私はその少年の夢を見るようになりました。その少年は、最初はにこにこと笑いながら私と遊んでいるのですが、夢の中で、その洋館の側に行くと、決まって恐ろしい顔つきになるのです。そんな中で私はうなされて目をさますのですが、起きると私の首には、まるで引っかかれたような傷がついているのです。毎晩うなされる私を母が心配して、病院に連れて行きましたが、原因はわからりませんでした。
 父親の転勤などあって、引っ越して以来、そんな夢を見ることもなくなり、私も成長するにしたがって、すっかりその少年のこともその夢のことも忘れいったのです。

 就職するようになって一人暮らしを始めた私は、仕事の関係で、昔住んでいたこの土地に帰ってきました。
  
 小学校の前に建ってる洋館は昔のままでしたが、その脇にあった、あの階段はなくなっていました。何となくホッとしたような気分で、洋館のとなりの高い白い塀に沿って歩いて行くと、その塀はどこまでも続き、ふと見上げると大きな瓦の屋根が顔を出していました。「お寺だったんだ。」その時、その塀の向こうに、私が気を失っていたお墓があるのではないかという考えが私の頭をよぎり、とにかく確かめたくなってそのまま塀をたどって行きました。丁度さっきの洋館があったのとは反対側に、小さなお寺の門がありました。私が泣きながら出てきたのはこの門でした。納得すると同時に私は戦慄を覚え、その場から逃げるように自分の部屋に戻りました。その夜は、子供の頃の記憶が蘇って、なかなか寝つけませんでした。
 それからというもの、散歩をしようと家を出ると、知らず知らずのうちにそのお寺に近付いているのです。そのお寺から離れようとすればするほど、そのお寺への近道を選んでしまうのです。まるで、お寺に呼ばれてるいるように。きっとお寺と少年は何か関係があるのでしょう。私は少年のことを鮮明に思い出すようになりました。
 私は、そのお寺に少年のことを聞きに出かけました。住職さんに事情を話すと、「この話を聞いたら、もうその少年のことは忘れてください。」と、念をおしてから、話をしてくれました。
 その少年は洋館の向いの小学校に通う子供で、身体が弱く、いつも独りぼっちで体育の授業のときなどに、学校を抜け出してこのお寺の裏の階段の所で遊んでいたそうです。学校側も、その少年が授業中に抜け出しても気にしなくなり、ある日、少年が家にも帰っていないので、学校側もびっくりして少年を捜したそうです。少年はお墓の外れの林の中に倒れていて、首を絞められて死んでいました。すぐに犯人はわかったそうですが、精神障害者と判断され、殺人罪にはとわれなかったそうです。そのうえ犯人が逃げ去った後も少年は生きていたらしく、ひどく苦しんだ様子で、発見さえはやければ助かったとのことでした。それからというもの、あの階段のところで、少年を見かける人が多く、階段はおはらいの後取り壊されたそうです。
 私はその話を聞くと、可哀想な少年に同情し、さぞ苦しかったろうと、お花とお線香を手向けてきました。
 
 その夜から、少年の遊び場は私の枕許にかわりました。今晩も少年は、私の首を絞めに来るのです、笑いながら。




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