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 私には、影がありません。光があたって出来る、あの影が無いのです。『影が無くなるとその人は一週間以内に死ぬ』、という言い伝えを子どもの頃に聞いたことがあります。でも、私は影を無くしてから、十年以上も経ちました。人というものは意外に鈍感で、私に影の無いことに気づかないものです。時々敏感な人が通りがかりに、不思議そううな顔をするぐらいです。だから、私は自分に影が無くてもほとんど不自由なく暮らしてきました。あのことさえなければ、これからもいつものように過ごせるはずだったのです。
 
 私が影をなくしたのは、小学校の六年生のとき。その日は十三夜でした。
『十三夜の夜に影を踏まれると、影が自由になって人を襲う。』私は、そんな話を聞いたばかりでした。「今日は人に影を踏まれないようにしなくちゃ。」そんな思いで、塾帰りの夜道を急いでいたときです。私の家は住宅地として家が建ち並び始めたばかりのところにあり。まわりには空き地が多く、こわがりの私は、塾のある月曜日と木曜日が大嫌いでした。「よりによって十三夜が塾のある日に当たらなくてもいいのに。」私は、不機嫌な思いで、みんなの遊び場となってる空き地の前を通り過ぎようとしました。そのとき、空き地から女の人が飛び出してきました。何かに怯えるようにその人は、私の前を横切り走っていきました。「影を踏まれた。」その人の後ろ姿を見送りながら、私は、何かがおかしいことに気づいたのです。その人には影が無いのです。私の影は、はっきりと地面に映っているのに、その人の足もとは月明かりで、明るいのです。「十三夜の夜。影が人を襲う。」その話が頭に浮かび、私はその場から逃げ出そうとしました。ところが、身体が動かないのです。叫ぼうとしましたが声もでません。家までわずか十メートルほどのところにいるのに、私は空き地の前に立ちつくしたままなのです。
 怖さと焦りで泣き出しそうになりながら、私は何かが自分に迫ってくることに気づきました。見たくない気持ちと、それが何なのか確かめなくてはいけないという気持ちで混乱しながら、空き地の方を見ると、そこには影が、黒い影が長く尾を引きながら、私に向かってきているのです。「あの女の人の影だ。」とっさに私は自分の影を見ました。私の影は、私から離れようとしていました。ふっと身体が自由になりました。影は完全に私から離れると、私をおいて、迫ってくる影の方に向かっていったのです。
 何故か私は、そのころには恐怖は薄れていて、これから何が起こるのか見とどけたい気持ちになっていたのです。「きっと私の影が私を助けてくれるんだ。」
確信にも似た思いが、私の頭に浮かびました。
 私の影はどんどん大きくなっていったかと思うと、迫ってくる影をおおい、木立の中に消えて行きました。
 しばらくの間私は、ぼーっとそこに立ちつくしていました。私の影は戻ってはきませんでした。たった今、目の前で起こった恐怖より、影を無くしたという不安の方が大きかったのです。とても大事なものを無くしたような。
 私は家に帰っても、そのことを話しませんでした。信じてもらえないことはわかっていたし、影を無くしたことで怒られるののがいやだったのです。その夜から、私は原因不明の熱で一週間寝込みました。近所のお姉さんも同じ原因不明の熱で寝込んでいたそうです。私の熱が下がった日に、その人が亡くなったそうです。「あの女の人だ。」私は、自分が助かったのが不思議でした。それから影の無い生活がはじまったのです。

 自分のなかでは影の無いことも気にならなくなったある十三夜の夜、私は、今は公園になっているあの空き地で自分の影を見つけました。私はそっと近づいてみました。私を助けるために大きくなった影に、私は、ちょうどいい年齢になっているみたいでした。「影が取り戻せるかも知れない。」そのとき、影が私に気づきました。影は私を助けてくれたときの影とは違っていました。私に襲いかかってきたのです。私は必死にその暗闇から逃げました。公園を出るときに女の子の前を横切りました。「影を踏んだかも知れない。」これからのその子に起きることが何なのか、私には理解できましたが、私はその場から逃げることに必死だったのです。 
  
 その夜から私は熱を出して寝込んでいます。近所の小学生が同じように寝込んでいると母から聞きました。
 明日で一週間目です。


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