目を閉じ、手を合わせて黒髪の巫女は祈っていた。 (どうか無事で……) 少女はそればかりを繰り返し祈っていた。友の安否を気遣ってのものだった。 コトン 小さく扉が音を立てた。 (誰か来たのかしら) 少女は祈るのをやめて扉の方へ向かった。 「どなたですか?」 聞いたが、返事は無かった。だが確かに人の居る気配がしていた。 少女は確認の為に扉を開けてみた。 「!」 少女が見たのは一頭の血だらけの雄獅子だった。 獅子は少女を見ると、体を震わして背に乗せていたものを地面に降ろした。そして、獅子は家から離れて行った。 少女はさっき獅子が降ろして行ったものが何なのか、確かめに近付いてみた。 「……、メルグさん、レジさん!」 少女は二人を家の中に引っ張りこんだ。 「大変。早くシーファ様たちに知らせなくちゃ」 間もなくシーファとクレヴァスが、モルスの郊外にある少女の家に到着した。 「アマルナ、メルグの様子は?」 シーファはまずそう言った。 「あまり良くありません。ひどい出血で……」 アマルナは答えた。 シーファたちはメルグとレジを見に、アマルナの家をズカズカと進んだ。 「あの、シーファ様、そっちじゃなくて、右です」 迷路のような廊下を進むのに四苦八苦するシーファたちに、アマルナは道を教えながら後を追った。 やっとメルグたちが眠る部屋に着いた。 「出血はもう止まっています。レジさんの方はただ眠っているだけみたいです」 「そうか。ありがとうアマルナ」 クレヴァスが言った。 「いえ、私が見つけたわけではないんです。ライオンが二人を連れて来たんです」 アマルナが言うと、シーファとクレヴァスは顔を見合わせた。 「ライオンが? 冗談だろ」 「そうよ。信じられないわ。ライオンがメルグを食べようとしたというならともかく、ライオンが人間を助けるなんて」 「私も、最初はあのライオンがメルグさんたちを食べようとしたのだと思いましたわ。でも、違うんです。いかにもここまで運んで来たという感じでした」 アマルナは言った。 「……お姉ちゃん…?」 「!」 メルグの声に、三人はハッとした。 「メルグ、気が付いたのね」 シーファが言って、メルグを抱き締めた。ずっと心配していたのだ。 「お姉ちゃん、わたし大丈夫よ。レジとカリスさんが助けてくれたから」 「カリス? 誰、それ」 シーファが聞いた。 「……さっき、話していたでしょ。わたしたちを運んでくれたライオンのことよ」 メルグは答えた。 「ライオンに、名前があるの?」 アマルナが言った。 「違うわ。あの人はライオンじゃないもの。人間だから、名前もあるわよ」 メルグは答えながら、言わなきゃ良かったと思わずにいられなかった。人間が獅子に変身するなど、ばかばかしいにもほどがあるだろう。 だがそれが真実だから仕方なかった。 「待て、メルグ。とにかく、空間の狭間に行ったとこから全部話してくれないか」 状況を整理するためにクレヴァスが聞いた。 メルグは最初から必要なことは言ったが、魔族のことを話すと、聞き手三人が不安そうな顔になった。 「魔族か。やはり秘宝を狙って?」 「うん、多分。でも、変なの。秘宝の力を試すとか言ってたわ」 「秘宝の力を? どうやって?」 「分からないわよ、そんなの。大体、秘宝の力って何なのよ」 ずっと質問されっぱなしだったメルグは、逆にアマルナに尋ねた。 「知らないって言ってるでしょ」 アマルナは当然のように答えた。 「……とにかく、秘宝についてちゃんと調べる必要がありそうだな。それに、いつまたメルグたちが魔族に狙われるともわからんから、対抗できる武器が必要だな」 クレヴァスが腕を組んで言った。 「武器って言っても、わたしがメルグに渡したマジック・ブレスレットよりも強い魔力を持つものはまだ無いわ」 「でもシーファ様、今の物には無いかもしれませんが、古のものならどうでしょう。杖がありますわ」 アマルナが言った。 「杖?」 「ええそうよ、メルグさん。もともとマジック・ブレスレットなんかは、杖の代わりに開発されたものなの。大きくて邪魔な杖の代わりにね。でも、やっぱり杖のような魔力は発揮できなかったみたい。今でも杖を作っている人が居るらしいわ」 「それは本当か、アマルナ」 「はい、クレヴァス様。モルスの神官ならそれも知っているでしょう」 翌日、まだ目を覚まさないレジを除く四人は、モルスの神社へ行った。 「おはようございます、フィレンジア様」 アマルナが、モルスの神官に向かって挨拶した。 「おはよう、アマルナ。そちらの方たちは?」 「始めまして。私はネリグマで神官をしております、クレヴァスという者です。こちらは一緒に働いている巫女のシーファと、その妹のメルグです」 クレヴァスが言った。 「始めまして、クレヴァス殿。私はフィレンジアと申します。記憶の片隅にでも入れておいてくだされば光栄ですわ」 彼女は言った。 そう、モルスの神官は女性だった。太りぎみで、一言であらわすなら、『食堂のおばさん』という言葉がぴったりだった。優しそうな人だった。 「フィレンジア様、今日わたくしが参ったのは、あなたに杖の作り手のことを聞きたかったからなんですの」 アマルナが言った。 「杖の? まあ、今時杖なんて使いませんよ。でも、ネリグマの神官が必要だというのなら、お教えしましょう」 そう言って、フィレンジアは『杖の作り手』の住む場所を教えてくれた。 『杖の作り手』はここからそう遠くない所で今も仕事をしているそうだ。 「ありがとうございます」 礼を言って、アマルナの家に戻った。 部屋に戻ってみると、レジが目を覚ましていた。 「おはよう、レジ。怪我はない?」 メルグはレジに言った。 レジは欠伸を一つしてから、メルグを見た。 「うん。あれ、ここどこ?」 キョロキョロしながらレジが聞いた。 「アマルナの家よ、モルスの」 「あ、そうなんだ。どうりで見たことないはずだ」 レジはもう魔力も回復したようだった。ベッドから降りて、眠そうにしながらもそこに居た四人に挨拶した。 「起きたばかりで悪いんだが、すぐに出掛けられるか?」 クレヴァスが聞いた。 「はい。でも、どこへ?」 「杖を探しに。なに、すぐそこだ」 五人は簡単に服装を整えると、すぐに出掛けた。 『杖の作り手』が住む家は、あばら家だった。一度五人はその家の前を倉庫と間違って、通り過ぎてしまったぐらいだ。 「ここにホントに人が住んでるの?」 メルグは言った。 「住んでいてはいけないか」 家から声がして、メルグたちは顔を見合わせた。 あばら家から、一人の老人が出て来た。頭は禿げているのに、顎髭ばかりふさふさとしていた。 「住んでいてもいいです」 頑固そうなおじいさんを前に、メルグは少し引いた。 「ったく最近の若いもんは……。まあいい。何の用じゃ。用が無いならさっさと帰れ」 一番付き合いにくいタイプの老人だった。こういう人は何を言っても文句をつけそうだ。 「杖を作って欲しいんです」 メルグは言った 「作らんこともないが、……まず金じゃな。いくら払うつもりじゃ?」 「……」 メルグは返答に困った。仕方なく助けを求めてシーファを見た。 シーファはクレヴァスを見た。 「杖を見てからですね。ただの棒切れにお金を払うつもりはありませんから」 クレヴァスはニコニコしながら言った。 老人が挑むようにクレヴァスを見た。 正義感の強い神官と、けちな老人の睨み合いが一時続いた。 その睨み合いを中断させたのは、アマルナだった。 「二人とも意味のないことはやめてください。……おじいさん、私たちは魔族に命を狙われてるんです。魔族に対抗できる杖はあなたにしか作れないんです! お金なら、いくらでも出せますから」 アマルナは言った。 「『あなたにしか』か。いい響きじゃな。わかった。お壌ちゃんに免じて杖を作ってやろう。ただというわけにはいかんがの」 老人はそう言って、自分の家に入って行った。 「変なじいさん」 レジが小声で言った。 「何か言ったか?」 あばら家から声がした。聞こえていたのだ。 「耳がいいのね」 妙なことで感心してシーファが言った。 「そりゃありがとうよ」 また、声がした。 「……」 もう誰も何も言わなかった。黙っていた方が老人の仕事も早く済みそうな気がしたのだ。 「あの、アマルナ、さっき、お金ならいくらでも出すって……」 メルグが恐々と聞いた。 自分達はそんなにお金は持っていない。間違えても、『いくらでも』などという台詞は言えない立場だった。 「大丈夫よ。」 アマルナが言う。 「いくらであっても、私が払うから」 「え、それってどういう意味?」 「大丈夫って意味だけど?」 そうじゃなくて、と続けたかったが、やめた。メルグが聞きたい事を、わからない訳ではないだろう。わざと答えないのには、理由があるのだろうから。 アマルナ=ルーアリン=モルゼトワネ。古いモルス語で『風の音』を現すモルゼトワネ。この家系は基本的には災難続きで、かなり以前に、火事で親戚の家の子どもが亡くなっている。それより前の世代でも、火事・地震・船の遭難等、普通の一家では一生体験しないような災難を一手に引き受けたような不幸な家庭だった。 それでも、必ず一人は生き残る。 秘宝を持つ、一人だけは生き残るのだ。 数ヶ月前、一家惨殺があった。アマルナだけは、巫女として神社に居た為、この災難を免れた。ただでさえ多額の遺産と、さらに保険金もおりてきて、アマルナは彼女の手には余る財産を手に入れることになった。 周りの神官や巫女達は、アマルナを大切に扱ってくれた。秘宝と同じ、宝のように。 けれど、アマルナには、自分が全ての災難を家族になすりつけて生き残ったように思えて、嫌だった。 秘宝は、確かにアマルナにとってはお守りだった。これがあれば、神社に帰れば大切にしてもらえる。どんな災難があろうとも、自分は生き残れる。 でも、誰かが犠牲になるのはもう嫌。 ずっと思っていた。 周りから大切にされても、自分は何も返せなかった。それどころか、災難をもたらすばかりだった。この前もそうだ。みんな死んでしまった。アマルナを妹のように可愛がってくれていた巫女も、尊敬していた巫女も。 これ以上、秘石の為の犠牲を増やしたくなかった。 一家の災難自体は、自分達だけでなんとかなる。それ以上に拡大することはない。だが、今の状況は違った。魔族が秘石を狙っているのだ。アマルナは秘石を持つ限り安全でも、周りの人たちの安全は守れる訳がなかった。 魔族の襲来すら、秘石の力だと思っていたのに、それは違っていたのだ。 それは、メルグ達を見ればわかった。 秘石の力で自分の周りの人が死ぬというのであれば、メルグも同じはずなのに、彼女は違っていた。シーファやクレヴァスといった力強い味方を得て、今まで何事もなく暮らしていたのだ。 アマルナはメルグを見た。 「まあ、本当に、この町の一年分の税収くらいなら簡単に出せるから、心配ないわよ」 自分にできることは、お金を出すことくらいだと、アマルナは思った。 杖を作るのに何時間くらいかかるのか、メルグたちにはちっともわからなかったので、とにかく老人が家から出て来るのを待って、結局十二時間くらい外で待った。 やっと老人が杖を一本持って出て来た。 「完成じゃ」 老人はそう言って杖をメルグに渡した。 「試してみるがいい。代金はそれからでいい」 「試すって、いつ?」 「その時が来てから……」 それだけ言って、老人はまた家の中に入った。 「つまり、今はお金を払わなくていいってこと?」 わざと大きな声で、家の中まで聞こえるようにメルグは言ったが、返事はなかった。 「それがちゃんと役に立つことがわかったら、また来ましょう」 シーファがメルグに言った。 五人は戻ることにした。 (戻る。戻って、どこに行くの……?) メルグは思った。本当なら、もっと前にネリグマに戻っていたはずだった。 それなのに、メルグはカリスを見るために結果を出て、空間の狭間に飛び込んでみんなを心配させることになった。 前例があるので、次はちゃんとネリグマに帰れるのか心配だった。 一度アマルナの家まで戻って、それから結界を張って移動することになった。 モルス全体に張られた結界が、アマルナの家の辺りにはないのだ。単に町の中心から離れているせいかもしれないし、何か理由があるのかもしれなかった。 「メルグ、今度は出て行かないでよ。それでも出て行きたいなら、紐で縛り付けておくからね」 シーファが冗談交じりに言った。 「もう、そんな心配しないでよ。大丈夫よ」 そんな話をしていると、突然アマルナが叫んだ。 「キャア!」 「何 どうしたの」 驚くはずだ。メルグたちの後ろに、大きな獅子が居たのだ。メルグの前に居たアマルナに最初に見えたのだ。 「あ、このライオンだわ。メルグさんたちを連れて来たの」 最初驚いたアマルナだったが、獅子が何もせずに居ただけなので、良く見てから言った。 シーファが怖がりもせずに獅子に近付いた。 「ありがとう、ライオンさん」 姉がそう言うのを聞いて、後ろでメルグは吹き出しそうになった。 ライオンではなく、カリスという人間なのだから。 (でもカリスさん、何でこんな所に?) 聞きたかった。そして、メルグを見送りに来たのだと答えて欲しかった。 「カリスさん」 メルグはカリス(獅子)の元へ駆け寄ろうとした。 「あ?」 メルグは髪を後ろから引っ張られて、進めなかった。 振り向くと、レジだ。 「何すんのよ、痛いじゃない」 メルグは言ったが、レジはむすっとした顔でメルグの髪を離さなかった。 「行かなかったら引っ張らない」 レジはボソッと言った。 「どうしたの、レジさん、何か怖いわよ?」 アマルナが言った。 「そうよ。メルグが行きたがってるんなら、行かせてあげてよ。相手はたかがライオンじゃない」 シーファが言った。 (ライオンじゃないって。カリスさんは人間よ) 言っても信じて貰えないだろうから、メルグは心の中で言うに止めた。 「絶対いやだ。メルグは誰にも渡さない」 「……」 レジが言ってから、少し間があった。その間に、みるみるレジの顔が赤くなっていくのが分かった。 「……うわっ、すごいセリフ。普通言えないわよ、こんな大勢の中で」 アマルナが沈黙を破って言った。 恥ずかしいのはメルグも一緒だ。大体、メルグはレジのものではないのだから、渡す渡さないの問題ではない。 シーファとクレヴァスはレジがメルグを好きなことを、間接的にでも知っていただろうが、さっきのレジの台詞はそれを裏付けることになったのだ。 『愛してる』とか『好きだよ』とか、いつも冗談交じりに言うような奴が、ただ一言、『誰にも渡さない』で顔を赤くしているのは奇妙な気もした。 「ライオンに向かってそこまで言うことも無いわよ」 シーファが言った。シーファは、カリスを人間だとはかけらも思っていなかった。 「メルグはあなた一人のものではありませんよ」 それまでライオンとして黙っていたカリスが口を開いた。 気づけば、カリスは既に人間の姿に戻っていた。 「カリスさん!」 メルグが喜びの声を上げてカリスの元に駆け寄った。 なぜ駆け寄れたのかというと、レジがメルグの髪を離したからだった。 シーファたちの反応は喜びではなく、驚きだった。 「ヤベイ族の!」 シーファとクレヴァスが声を合わせて言った。 「初めまして、というべきでしょうか。カリスと申します。わたしを人殺しだと怖がる必要はありません。何しろわたしは五年も前に村を追い出されているのですから」 カリスが言った。 メルグと話す時よりも、親しみを込めて言っているように聞こえるのは、多分年齢がシーファとクレヴァスの方が近いからだろう。 そう考えると、メルグは自分とカリスの齢の差を感じてしまった。 クレヴァスがメルグよりも前に出て、カリスと向き合った。 「あなたが人殺しかどうかなんて、私には関係ありませんよ。けれどあなたが持って行った秘宝に、私は関係があるのです。ヤベイの村長さんに頼まれたので」 「わたしも存じません。秘宝とは何のことですか?」 カリスは答えた。 秘宝のことを知らないなどと嘘に決まっていた。メルグは一度カリスに秘宝を見せて貰っていたから、それが分かった。 (どうして嘘をつくの?) メルグは思ったが、声には出さなかった。嘘をついたのは、カリスに考えがあるからだろうから。 クレヴァスにもカリスが嘘をついていることがわかったのか、睨みつけるようにカリスを見てから頭を振った。 「何をしに来たんだ?」 レジが聞いた。 カリスがレジに目を向けた。 「皆さんを見送りに来ただけです。本当はこっそり見に来るつもりだったのですが、この前みたいにメルグさんが結界を出るといけないので」 カリスから見れば、レジやメルグは全然子供だ。レジが焼き餅を焼いてもあまり気にならなかった。 レジにしてみれば、カリスのその態度はおもしろくなかったから、クレヴァスをせかして言った。 「クレヴァスさん、早く帰ろうよ。見送りも来てくれたし」 「ああ、わかった。レジは早く帰りたいんだろ? すぐに結界を張るよ」 クレヴァスはそう言って、結界を張るために呪文を唱え始めた。 「……変だな。結界が張れない……」 一時経って、クレヴァスが呟いた。 「どういうこと?」 シーファが尋ねた。 今まで移動魔法用の結界を張り損ねたことなど、一度も無かったからだ。 「逃げられては困るので、別に結界を張ったのです」 知らない男の声がした。 五人は声の方を見た。 「秘宝が集まるのがこんなに早いとは思いませんでした。あの方もお喜びになるでしょう」 メルグたちの周りの風景が黒く染まっていった。 「魔族!?」 アマルナが言った。 闇がメルグたちを包んで持ち上げた。 地面が次第に遠くなった。 ある程度まで昇った所で、シーファとクレヴァスの二人が闇から放り出された。 「お姉ちゃん、クレヴァスさん!」 メルグは手を伸ばそうとしたが、無駄だった。 「ちょっと、わたしたちをどこに連れて行く気?」 アマルナが正体のわからない男に向かって言った。 「あの方の元へ。秘宝が全て揃ったのだから」 男の声がして、メルグたち四人も闇から出された。 しかし、出た場所はメルグ以外の三人には見覚えの無い場所だった。 「ゼルム公国の城の庭だわ」 メルグは言った。 女王フィスィスがメルグを獅子に食べさせようとした、あの庭だった。 |