回想(カリス.一人称でストーリーは進みます。)
【登場人物紹介】
わたしはカリス=マラザン。ヤベイ族の酋長フォルザス=マラザンの息子。わたしが初めてあの子に会ったのは今から五年前だった。そして、あの子と過ごしたのは一年にも満たなかった。 わたしは仕事をするために町に来た。仕事、それは人を殺すこと。暗殺だ。わたしたちの一族は生まれつき不思議な能力を持っている。それを利用すれば、暗殺は非常に簡単に実行できたのだ。 「カリス、こっちだ」 仲間の男が言った。 ターゲットの屋敷に潜入。結構不用心で、鍵は簡単に開いた。いつもならここで時間をくうのだが。 犬だ。 わたしが彼に気づいたのと、彼がわたしに気づいたのと同時だった。普通の犬なら話せばおとなしくなるのだが、飼い犬はそう上手くもいかない。 「カリス、邪魔だから殺せ」 「ああ」 どうも仲間を殺すようで気は引けたが、そうしないと自分たちの身が危なくなってしまう。 わたしは彼に噛み付いた。わたしたちが人間であることは知れてはならない。そう、この暗殺は獣の仕業だ。人間にできる訳がないのだ。 仕事が終わって、わたしの仲間は別の用があるからと言って屋敷の前で別れた。 わたしは一人で村に戻ることになった。 誰か見ている! わたしはある視線に気づいた。 仲間の男はまだ近くに居たが、彼に知らせようとは思わなかった。視線の主が、まだ若い少女だったからだ。 少女は電柱の陰に身を隠していた。 わたしたちがしたことを見ていたのか? それなら始末しなければならない。けれど、そのまえに本当に見たのか確かめる必要がある。 わたしが近づくと、少女は逃げようとした。 わたしが走るまでのこともなく、少女は履きなれぬヒールの高い靴のせいで転んだ。 「何をしてるんだ、こんな時間に?」 わたしは笑って少女に手を貸し、尋ねた。 少女はこわごわとではあったが、わたしの手を借りて立ち上がった。 「わたし、見ました。ひどいです」 少女は言った。 始末するしかないのか。 わたしがそう思ったのはつかの間で、話を聞くと、少女が見たのはわたしが犬を殺した場面だけだったようだった。 「お前が見たのはそれだけか」 「ええ」 少女は意志の強そうな瞳をわたしに向けて言った。犬を殺したわたしを責めているのだろう。 しかし、この子はわたしが獅子に化身した所を見たということか。それならば、そのまま彼女の家に帰すわけにもいかないな。 「来い」 わたしは少女の承諾も得ずに、彼女を連れて村に帰った。 家に帰ったが、夜中なので誰もわたしを出迎えはしなかった。夜も遅いから使用人も眠っているのだ。 「名前は?」 わたしは少女を椅子に腰掛けさせて、名を聞いた。 明るい光の下で見ると、少女は人形のように見えた。白い肌に、金の髪、青い瞳、細い手足。この村では絶対に見ることのできない少女だった。 「テュリアです」 「そう。わたしの名はカリスだ。さて、お前をどうするべきか」 わたしは考えた。客としてもてなすわけにはいかない。 「カリスですか。カリスと呼んで構いませんか?」 テュリアが聞いた。 「どうとでも呼べ。名前など区別する為の物に過ぎない。名前がわたしの全てを表すわけでもないし」 知らぬ家に連れて来られて不安なはずなのに、全くそんなそぶりを見せないテュリアを半ば感心してわたしは見た。 「お前はどうしたい?」 「は?」 「わたしはお前を家に帰すわけにはいかない。この村にとどまって貰わなければならない。それか、お前は死を選ぶか?」 わたしが言うと少女は首を横に振った。 「この齢で死にたくはないわ」 「そうか。ではわたしの妾(めかけ)になるか? わたしはいずれこの村の女と結婚しなければならない。お前をよい待遇で扱うにはそれが一番良い方法なんだ」 使用人にする方法もあったが、この弱々しい少女にそんな仕事ができるとは思えなかったのだ。 「それでいいわ。でもなぜ? あなたはまだ若いわ。妾なんていらないんじゃないの?」 テュリアは言った。 「何だ、お前知らないのか。この村では妾も本妻と同じように婚姻(こんいん)関係を結んだ、ちゃんとした家族になるんだ」 「あ、一夫多妻制ってわけね。……変な決まり」 「どうだっていいだろう。死にたいなら別にわたしの妾になる必要もないんだぞ」 わたしが言うと、テュリアは黙った。 わたしが彼女を妾にしようと言ったのは、ただ殺すのが嫌だったからだ。ターゲットはいつも年寄りで、自分と齢の近い人はいなかった。どうしても、彼女を殺すのはためらわれたのだ。 テュリアは使用人ではなかったが、ほとんど使用人と同じ仕事をした。わたしの母が多種族の女を認めようとしなかったのだ。 それでも暇な時にはわたしとテュリアは一緒に居た。ただ話をしたり、一緒に仕事をしたりというだけだったが、わたしはそれで満足していた。 夜はわたしが本当の仕事をする時だった。 仕事から帰ると、なぜかテュリアは起きていてわたしを出迎えてくれるのだ。仕事のことはいちいちテュリアに言っているわけではない。それなのに、彼女は起きてわたしを待ってくれているのだ。 「どうしてまだ起きていたんだ? みんな眠っているだろう」 「カリスが居ないから。仕事から帰って来たカリスはいつも、とても悲しそうだわ。なぜこんな仕事をしているの?」 テュリアが言った。 「わたしたちは他の生き物を殺して生きているんだ。それと同じことだよ。そうしなければ生きていけない人達がいるんだ」 「でも、それをなぜカリスたちがやらなきゃならないの? そんなこと、自分たちがやればいいじゃない。なんでカリスに頼むの?」 わたしはなぜテュリアがそんなに聞くのか不思議だった。わたしにとって暗殺は生活の一部だったから、なぜとか考えたこともなかった。 たしかに、人を殺した後は楽しいとは思えない。上手く仕事を終えても別に嬉しくない。心に傷が付くこともあった。けれど、仕事とはそういうものだと思っていた。 「わたしはいつもカリスの側にいるけれど、カリスの心を助けることはできないわ。でも、わたしにできるだけのことはしたいの。わたし、カリスのためなら何でもするわ」 テュリアが言った。 何でも? どういう意味だろう。テュリアはよく仕事をしてくれている。これ以上わたしに何を望めというのだろう。 わたしが考えていると、テュリアが見かねたように口を開いた。 「カリスはわたしを抱いてはくれないのね。それは快楽なのに、きっとカリスのこころの隙間も埋められるのに」 わたしは自分の耳を疑った。テュリアがそんなことを言うとは考えてもいなかったからだ。 「でも、テュリア。……わたしは今で満足しているんだ。だから―― 」 「意気地なし!」 テュリアは怒って部屋を出て行った。 |
Illustration: 折笛 師走 |
意気地なし? どうしてそんなに言われなければならないんだ。それともあの子はわたしに襲われたいのか? ……ばかばかしい。 わたしはもう寝ることにした。 その翌日は、テュリアに避けられているようでどうも嫌だった。何とかテュリアを捕まえて、理由を聞こうとした。 「カリスはわたしがあの日あんな遅くにあんなところをうろついてたの理由、聞いてないでしょ」 テュリアは言った。 「ああ。でも、それが何か関係あるのか?」 「黙って聞いててよ。昨日あんなこと言ったから、驚いたでしょ。ごめんね、わたしそういうとこで生まれたからさ。本当はあの日、初めての仕事だったのよ。知らないおじさんに呼ばれて、滅多に通らないお金持ちが沢山住む通りを通って、その人の家に行くとこだったの。……でも、こんなこと言ったら、カリスに軽蔑されそうで」 テュリアは早口に言った。 わたしは何か言おうと思ったが、黙って聞けと言われていたので黙っていた。 「カリスに会えて良かったわ。わたし、全然知らないおじさんの相手するくらいなら、この人にここで殺された方がましだって思ったもの。だって、カリスはとても奇麗だったから。ライオンみたいに強そうで」 テュリアは笑った。 「殺されてもいいと思ってたのに、カリスはわたしを妾にしてくれるなんて言うから、わたし夢でも見てるんじゃないかと思ったわ。でも、……やっぱり夢だったのかしら。カリスはわたしを妾としては扱ってくれないもの」 「それは違う。……わたしはまだ若いから、妾の意味をよく理解していないのかもしれない。そうだとしても、お前を愛する気持ちは変わらない」 わたしは黙っていられなくなってそう言った。 「わたしを愛してくれる?」 テュリアが言った。 「当たり前だ」 わたしの答えは、それだけだった。 「あした……」 テュリアがそう呟いた。 「明日がどうかしたのか」 「ううん、なんでもないわ」 テュリアは首を横に振って笑った。 次の日の午後、ヤベイの村はゼルム公国の軍に襲われた。 「奴らの狙いは秘宝だ。カリス、秘宝を守れ」 父に言われて、わたしは家の金庫に保管してある獅子の像を取りに行った。 わたしが後継者の印である入れ墨を顔に彫った日、同時にわたしは秘宝も受け継いだ。金でできているという以外、わたしにこれの価値はわからなかった。 しかし、わたしは秘宝にたどり着く前に敵に捕らえられた。 それは、秘宝を守るためには逆に良かったのかもしれない。もしわたしが秘宝を持っていたら、その時に敵に取られていただろうから。 わたしは睡眠薬のようなものを飲まされ眠った。だから、わたしが眠っている間にヤベイ族に何が起こったのか、わたしは知らない。 ただ、気づくとわたしは両手首に鉄の枷をはめられ、鎖で壁と繋がれていた。 目の前で男が笑った。わたしをばかにした笑いだった。 「カリス!」 男の向こうからテュリアの声が聞こえた。 男はわたしがテュリアを見ることができるように、横に避けた。 テュリアは拘束はされていないようだったが、二人の男に両腕を押さえられていた。 わたしの前に居た男はテュリアの方へ行った。 「やめて」 テュリアが震える声で言った。 男はテュリアの服を引き裂いた。薄笑いを浮かべて、自由のきかないテュリアを押さえ付けた。 「やめろ!」 だが、わたしはその時無力だった。言葉は何の効力も発揮しなかった。 「いやぁっ! カリス、助けて、カリス」 テュリアが泣き叫んだ。 わたしは腕にはめられた枷をなんとかしようともがいたが、鎖が切れることも、枷がはずれることもなかった。ただ手首が痛くなるばかりだった。 「テュリア、テュリア!」 名前を呼んだ。 声は届かない。言葉に魔力は無い。名前は、ただ区別をする物に過ぎない。 「テュリア!」 それでもわたしは彼女を呼んだ。 彼女が泣きながらわたしの名を呼ぶ。いくら呼ばれても、わたしは彼女を助けられなかった。 わたしは目をそらした。見ていることはできなかった。見たくなかった。 目の前で見ず知らずの男に犯されているのは、わたしの最愛の恋人なのだ。 「カリス!」 彼女の声が止まった。 わたしが目をそらしたことに気づいたのだろう。もう、わたしを呼ばないで欲しいと、わたしは思った。 時間が経って、男たちは居なくなった。 「テュリア」 わたしは彼女を呼んだ。 あの子は答えなかった。 けれど、もう一度呼んだとき、あの子はわたしを見た。 「もう、わたしのことは忘れて。こうなることはわかっていたの。だから、わたしは……」 テュリアはそう言って顔を伏せた。 こうなることはわかっていた? テュリアは予知能力者だったのか? わたしは思った。そういった力を持つ者もこの世界には居ると聞く。昨日言いかけていたのは……。 夜になっていたが、わたしは眠たくなかった。 誰もわたしたちを助けに来ないということは、ヤベイ族が負けたのだろう。そうでなくても、かなり苦戦しているのだろう。 あの子も眠らなかった。座り込んでずっと起きていた。 「テュリア、」 答えてはもらえないかもしれなかったが、わたしはあの子を呼んだ。 「お前の近くにこれをはずす鍵か何かがないか?」 テュリアは顔を上げて、首を振った。 「あったら、とっくに助けてる。こんなところにいつまでも居ないわ」 「そう。……テュリア、もし助かったらこの村を出よう」 「え?」 「村から出て、二人で暮らそう。秘宝なんかに縛られずに、村のしきたりにも従うことなく。ここよりもっと田舎に行って、二人だけで暮らすんだ。畑を作って、何匹か家畜を飼って必要な分だけ食べ物を作るんだ」 わたしが言うと、テュリアは微笑んだ。 「そんなボロボロの格好で言われても、実感わかないわ」 テュリアの目から涙がこぼれ落ちた。 「わたしは、お前がどんな生まれでも、どんな運命をたどっていても、気にしない。わたしが愛するのはお前の経歴ではなく、お前の存在そのものなんだ」 言葉ではうまく表せなかった。わたしの頭ではその程度のことしか言えなかった。 「カリス、あなたに会えて本当にわたしは幸せだったわ」 何を言っているんだ、テュリア。まるで永久の別れのようだ。 そう言おうとしてその前に、テュリアはわたしの前から消えた。 いや、消えたわけではない。テュリアの体はそこにあった。けれど、そこにテュリアは居なかった。 一瞬のうちに、テュリアの体は両側から恐ろしい力で引っ張られたように裂けたのだ。 血が広がる。わたしの居る足元にまで広がって来た。 黒髪の男が不気味な笑みを浮かべて、テュリアの死体の前に立った。 「人違いか」 男はそれだけ言って、姿を消した。 男が居なくなると同時に、自然とわたしを縛っていた鉄の枷ははずれた。 わたしはテュリアに駆け寄った。 「テュリア」 生きているか、死んでいるか、確かめるまでのことも無かった。これで生きていたら化け物だ。 わたしは何も守れなかった。愛していただけで、守ることができなかった。 血の匂いが、わたしの記憶に刻まれた。 何をすればあの子の為になる? その問いには、仇を討てばいいと答えた。 悲しい。悔しい。苦しい。 どうすれば、わたしはこの悲しみから、苦しみから逃れられる? わたしには、復讐以外考えられなかった。 黒髪の男。ただの人間ではなかった。エルフか、それとも魔族か。そして、ヤベイの村を襲ったゼルム公国の女王フィスィス。決して許せなかった。 この二人がターゲットだ。 わたしの体は、獅子へと姿を変えた。 私怨の為に能力を使うことはタブーとされている。もしそのために能力を使うと、獣になるといわれている。 わたしは、たとえ獣になったとしても復讐のためなら構わないと思った。それでこの悲しみが癒されるのなら、体がどうなろうと構わなかった。 End |