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【フィードバック】 01/08/06

以下、「ネットケンカ」がらみの話を列記。
みのうらさんが8/5の日記で怒った理由について述べてます。今回は人への説明用だからすごくクリアですな。…「バカにバカというのもバカ」だというのはまさしくそうだよねぇ。そういう私もバカの一員。

ありさとさんの8/3の日記からほぼ日刊イトイ新聞―大人の小論文教室。 小論文を始めとする文章の書き方の講座だけではなく、自分の気持ちをどうすれば人にうまく伝えることができるか…さらに発展して、幸せになるためにはどんな心構えで生きて行くといいか、そういう人生全般に関わる話まで。黙々と読みふけってしまいました。「自分で考えることが大切」「自由に責任が伴うというよりは、責任をとると自由になれる」「根本思想はどうしても伝わってしまう」「自分というメディアの力を高めるためには?」…いろいろと刺激を受けて書きたい話はでてきたけれども、また今度。オススメのサイトです。

●なんとなくだらだら考えていたこと。人間って様々な経験と知識をフィードバックしていくことで様々な判断が瞬時にできるじゃないですか。あの「理屈抜きでわかる」という感覚。「わかる」人には自明なことであっても、その経験がない人、経験はあっても考察力不足のためにきちんとフィードバックできない人には、不可解だったりすることもあるんでしょう。
「テクニックを駆使したナチュラルメイク」と「単にヘタ、あるいは手抜きゆえのすっぴんに近いメイク」の差は女の子であれば大体の人は分かるだろうけれども、男の人だと少なからずわからない人がいる、というのと同じかも。
あ、もっとイヤな喩えを思いついてしまいました。「狙って萌えツボ直撃マンガ」と「萌えを狙ってみたものの作者の感覚が古いせいでなんか外してるマンガ」の差って、分かる人にはそんなもの一瞥すればわかることですが、マンガをほとんど読まない50くらいのオジさんには区別できないんじゃないかなあ、とか。
この「わかる」というのは経験と知識のフィードバックで無意識下に「判定ルール」ができちゃう状態だと思うのです。でも「わからない」人にそのルールを説明しようとすると難しいんですよねぇ。
その無意識下の「判定ルール」を誰にでもわかる方程式として示すことができたらなあ、と思って書いたのが一連の「ネットケンカの極意」だったのですが。まだまだ力不足。
「自由に対する責任」の「覚悟のある発言/ない発言」の区別なんて私には簡単にできちゃうし、他にもできる人はたくさんいるけれども、区別のできない人もいるようで。「なぜ区別ができるか」の説明はあれこれ考えてはいるんですが。うーむ。


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