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   1 メルグの旅立ち 

 朝もやがかかった川沿いの土手を、少女は早足に歩いていた。
 ごく普通の、犬の散歩。それだけのはずだったのに、事件は起こった。
「おい、ねえちゃん、なめてんのか?」
「俺たちにけち付けて、ただで済むと思うなよ」
 金色の、少し癖のある髪をポニーテールにしている少女は、数人の少年達に囲まれていた。
「か弱い女の子一人相手に数人なんて、卑怯だわ、あなたたち」
 少女は、リーダー格と思われる少年をその青い瞳で見据えて、言った。
「くそっ。やっちまえ」
「ガル・ゼンニ・サンサロー!」
 少女の声と共に、光が炎となって少年たちを襲う。
 後に残ったのは、一人元気な少女と、土手の横に伸びた少年たちだった。
「もう平気よ、ジャルドゥ」
 少女が呼んだのは、少女と同じ青い瞳に、薄茶の毛の、犬だった。
 犬はしっぽを振って金髪の少女に愛想を振り撒く。
 少女の名はメルグ。魔法使い一家の次女で、独学で魔法を学んでいた。姉のシーファは凄い魔法使いで、その上予言もできるとかいって、町の神社で巫女をしていた。
 少女は、犬を連れて家に戻った。
「ただいま」
「おかえり。メルグ、またわたしの腕輪どっかにやったでしょう」
 帰るなり、シーファにそう言われた。
 シーファは、えらい艶のあるまっすぐな栗色の髪に、瞳の色は、黒に近い紺。メルグとはあまり似ていないが、二人とも、丸い顔の輪郭が同じだった。
「今返すわよ」
 メルグはそう言って、腕にはめていた腕輪をシーファに渡した。
「こんな物、散歩に持って行っても仕方ないでしょう?」
 朝食を食べながら言った。
「ううん、結構役に立ったわよ」
「何したの?」
「それは、ちょっと……」
「秘密ってわけ。いいわよ。どうせ昼過ぎにはわかるから」
 魔法を使ったらちょっとした有名人になれる。小さい町だからそういう珍しいことをするとすぐ広まるのだ。
 まあ、犬嫌いの少年が、朝もやの中、ジャルドゥの姿だけを見かけて、小石を投げたのが事の発端なのだ。
 石を投げられたジャルドゥは反射的に石を咥え、犬嫌いな少年の所へ、石を持っていってあげた、それだけだ。
 メルグが放った魔法は、人間に対して強い衝撃を与えるものではないし、ジャルドゥを蹴り飛ばそうとした(未遂)少年をちょっと懲らしめるくらい、問題にはならない・・・・・・と思いたい。
「わたし、もう行かなきゃ。お父さんとお母さんの分の朝ごはん、レンジの上にあるお鍋の中ね」
 シーファはそう言ってから、出掛けて行った。
「わたしもそろそろ行こうかな。どうせ今日は終業式で終わりだし」
 メルグは独り言を言って、親には書き置きをしておくことにした。



 メルグが学校へ行っていると、幼なじみのレジに会った。 
 レジはハーフ・エルフだった。いかにもエルフといった尖った耳、猫のような金の瞳、美しい顔立ち。黙ってさえいれば知的な美少年だと思うだろう。そう、黙ってさえいれば。
「おはよう、メルグ。今日もかわいいね」
 おおよそ、彼の顔には似つかわしくない台詞が朝の挨拶。
「おはよう、レジ。最後の最後までわたしに付きまとう気なの?」
「人聞きの悪いこと言うなよ。俺にはメルグしか居ないんだから」
 レジは、そんなことを恥ずかしがることなしに言う奴だった。友達は少ないが、それは彼の性格が悪いのではなくて、同性から嫌われやすい顔にあった。レジは明らかにほかのクラスメイトとは違って見えた。また、ハーフエルフというだけで、嫌う人も多かった。
「さっきそこでクレヴァスさんに会ったよ」
 レジが言った。
「ふーん。なにか言ってたの?」
「別に。でも、シーファさんに会いに行ったんじゃないのか?」
「わたしは会ってないし、それに家に来ててもお姉ちゃんとは入れ違いになってるわね」
 クレヴァスはシーファの恋人だった。もう結婚間近である。長期休暇中に、シーファと二人でクレヴァスの両親の住む町に行く予定があった。彼は両親をこの町に呼ぶつもりらしい。
「ねえ、休み中メルグに会いに行ってもいい?」
 レジが怖ず怖ずと言った。何かを頼むときのレジのやり方だった。
「どうして? わたしはあんたと会っても嬉しくないけど。それにわたし、今度の休みは家に居ないはずよ」
 メルグは言った。
「聞いてないよ。何それ。どっか行くの?」
「うん。お姉ちゃんたちと一緒にちょっとね」
「邪魔すんじゃねえぞ、くれぐれもな」
「あんたが言うことじゃないでしょ」
 二人の会話は学校に着くまで続けられた。
 教室に入ると、二人はそれぞれの席に付いた。二人の席は離れているから、休み時間になったとしても、特に話はしない。友達も居ないレジは、学校ではいつも独りだった。
 それがクールだ、とか言われていて、女の子からの人気は密かに高かったが、本人は気づいていないようだ。幼なじみのメルグに対してはよく話しかけたりするのだが、他の人に自分から話しかけることはまずなかった。
 逆に、メルグには友達が沢山居た。特別なボーイフレンドは居なかった。それは、メルグはまだ友達と話している方が楽しいと思えたし、何となくレジが虫よけになっているようでもあった。
 恋愛? 何それ。わたしには関係ないわよ。だって、みんなで居るのが楽しいもん。
 メルグなら簡単にそう言ってのけるだろう。
 メルグは普通にかわいかったから、何度か告白なるものをされた事もあった。女の子なら普通、少しくらいは迷っても良さそうなものだが、メルグは全く迷わずにすぐに断ってしまった。
 それでも、メルグは悪い女の子と言われたことはなかった。どちらかと言えば、ガキのメルグ、だった。小学生低学年、だとか言われていた。そんな小さな子だから恋愛はできない、というわけだ。 
「ねえねえ、見て。昨日買ったの」
 メルグの席の周りに集まった女の子たちの内の一人が、金の腕輪を見せびらかして言った。
「奇麗ね」
 愛想ぐらいに誰かが言う。
「でしょ? でもそれだけじゃないの。これ街で流行ってるマジック・ブレスレットなの」
「うそ 街でも売り切れ多いみたいよ。何であんたが持ってるの?」
 さっきまで興味なさそうに聞いていた他の子が、話題に乗ってくる。
 少女たちの休み時間の会話は、いつもつまらない話題で沸いていた。
 マジック・ブレスレットは二十年くらい前に、魔法使い協会なるものから発売された、杖の代わりになるものだ。朝、メルグが勝手に姉から借りていたのも同じようなものである。
 魔法使いといえば杖、などという古いスタイルはどうもうけないようで、継承者が居なくて困った協会が、新しい、杖の代わりに使える物として、腕輪やその他のアクセサリーを作ったのだ。売れ行きは上々で、魔法使いだけでなく、一般の人々もお守りとして買い求め、品切れ状態にあるらしかった。
 メルグにとっては友人の持つ、ほとんど効果のないようなマジック・ブレスレットが、そんなに珍しいものとは思えなかった。姉が巫女という職業をしている以上、価値のある本物のマジック・ブレスレットもいくつか見たことがあったから。
 国の神社で働く女性のうちでも、優れた魔法力を持つ者が、巫女という身分を得ることができる。
 勉強すればなれるわけでも、本物のマジック・ブレスレットを持っていたらなれる職業でもないので、クラスメイト達の中で、「巫女になりたい」と将来の夢を語る人はほとんど居なかった。
 今日は終業式だった。メルグは今年進学したばかりだから、卒業するのは二つ上の先輩達。校長の長い話と、一時間程もある誰もやらない清掃とが終わると、あとはみんなばらばらと家に帰った。
 長期休暇中に本当の両親に会いに行く。
 つい一週間ほど前、メルグはそう宣言したのだ。メルグはこの家の本当の子ではなかった。シーファの母親、つまり現在メルグを育ててくれている人は、メルグの本当の母親の姉に当たる。
 自分が住む家の子でないと知ったのは、メルグが十二歳の時であった。義姉のシーファは十五歳、大人と子供の境に居た頃だ。
 不思議と悲しくはなかった。なんとなく自分がこの家の子でないことをわかっていたからかもしれない。だがそれよりも、それを聞いたシーファやレジの態度が、以前とちっとも変わっていなかったことが大きかった。別に変に意識した感じもないし、何も変わらなかった。
 結局それを聞いた当時は、聞いただけで終わってしまったのだが、後で考えるとわからないのは娘を姉に預けた理由である。父母は教えてくれなかった。何でも、そういう約束になっているという事だ。だったら、直接母の妹――実母から理由を聞くしかない、というわけである。
 家に着くと、シーファはもう旅の服装に着替えていた。旅装の割には、少し気を抜けば裾を踏んでしまいそうな丈の袴に、広めの袖口の上着という組み合わせは、あまり動きやすいとは思えないが、巫女の旅装だから仕方ないのだろう。
「ただいま」
「おかえり」
 男性と女性の二つの声が重なる。女性の声は勿論シーファだが、男性の声はというと、
「クレヴァスさん、こんにちは。早いですね」
 メルグは姉の隣に立つ男性を見た。
 シーファより頭4つ分ほど、背は高い。シーファと同じように、白い旅装に身を固めている。ただ、シーファと違って、男性の服装はもう少し歩きやすそうではあるが。
 浅黒い肌に、今は服の下に隠れてわからないが、逞しい筋肉。神社の正装を基にした白い服を着ていなければ、とてもじゃないが神官には見えない、といつもメルグは思っている。
 近い将来、メルグの兄になる人である。今日から出掛ける旅の目的は、メルグにとっては実母に会いに行くことだったが、クレヴァスとシーファにとっては彼の両親に会いに行くことだった。
 クレヴァスは元は東の町で漁師をしていた。神官らしくない逞しさや、日に焼けた肌は、漁師の経験に寄るものらしい。髪の色が白っぽいのも潮風に当てられたからだ、と本人は言っているが、それについては真実かは微妙だ。
 クレヴァスは昨年から神官として町の神社で働いていた。シーファとはそれ以前からの付き合いがあったようだ。メルグは知らなかったが。
 神官といっても新人の神官は二年ごとに地域の別の神社に移ることになっている。次の行き先が決まる前に結婚してしまおうというわけだ。結婚すれば、それだけで一人前とされる。新人ではなくなるので、神社を代えなくても良いのだ。
 神官になるには、全国共通の試験に受かる必要があった。その宗教が国教になっているので、神官や巫女になるということは、つまり公務員になるということだった。
「メルグは支度できてるんでしょ? 休み中に戻りたかったら、早く行かないと間に合わないわよ」
 シーファが言った。
 クレヴァスの両親がいる東の町には、車を使っても何日かかかり、途中で険しい山道に差しかかるため、車も使えなくなるのだった。早い話が、交通の便が悪い田舎町だった。
「支度ならできてるわ。あ、後服着替えるだけよ」
 メルグは言って、さっさと奥にある自分の部屋に行った。 



 メルグが鼻歌混じりに着替えていると、突然窓がガラッと開けられた。 
「誰っ?」
 メルグは手近にあった百科事典を持って、下着しか着ていないその体に、布団のシーツをもぎ取って纏って立った。
 カーテンは閉めていたが、鍵までは掛けていなかった。メルグのミスといえば、そうである。
 人影が見えると、メルグは躊躇せずに、それに向かって百科事典を投げた。
 命中、したらしくて影がうめいた。
 よく考えればここは二階だ。隣にアパートがあって、その屋根伝いにここまで来られないこともないが、そこまでして覗きをするような奴がいるとは考え難かった。
(もしかして……)
 メルグは警戒しながら、カーテンを少し開けて窓の下の屋根を見た。
「痛ぇじゃないか! 何すんだよ」
 案の定、そこに居たのはレジだった。
 赤くなった鼻から額にかけてを手で摩りながら、レジはメルグを見た。
「覗いてたくせに。あんた偉そうよ」
「違うって。……って事は、着替え中だったわけ? ちょっと見せてよ」
 レジがそう言ってカーテンを開けようとしたので、メルグのパンチがレジの顔面にはいった。
「変態」
 一言、メルグは言った。
 レジが窓を開けたのはメルグに用があったためらしく、仕方ないのでメルグはレジを部屋に入れた。
 用があるなら玄関から入ればいいのだが、隣のアパートに住むレジは、いちいち外に出て遠回りするのが面倒臭いのだろう。小さい時からそうしていた。
「あっち向いててよ」
 メルグは釘をさした。着替えている間は絶対に見ない、と。
 念には念を入れて、目隠しもしておいた。
「振り向いたら今度はフライパンで殴るからね」
 メルグは旅の衣装に着替えた。丈夫な布地でできていて、汚れにくくて、何度洗濯しても質が落ちないという、旅専用の服だった。
「いいわよ」
 メルグが言うと、椅子に座っていたレジは目隠しをとって振り向いた。
「ねえ、レジ、この服ちょっとわたしには小さくない?一昨年買ったんだけど」
「いや、別に。敢えて言うなら胸がきつそうかな、と」
 滅多に見られないメルグの旅装をじっくり見ながら、レジは答えた。
 深い緑色の上下の服。半袖のシャツと、膝より少し上の丈のパンツ、後は長袖の上着の三点セットになっている。メルグの鮮やかな金髪に、よく似合っているように思えた。
「幅じゃなくて、丈が短くないかって聞いてるの。まったく。いいわよ、短くないんでしょ」
 レジは頷いた。
「ところで、何の用があって来たの?」
「……、いや、まあ、別にいいや」
「はぁ?」
 話そうとしないレジを見て、メルグは変な感じがした。
「何なのよ。あんたらしくないわね」
 レジは、普段メルグに対して、遠慮した話し方をしないのだ。何でもズバズバと言ってくる、それがいつものレジだった。
「いいって。うん。そう言えば、メルグって胸のとこに変な痣があったよな」
「お姉ちゃん、フライパン取って」
 メルグは階段の方に向かって言った。
「違うって。見てないよ。そうじゃなくて、着替えてたから思い出しただけ。小さい時から緑色の小さな痣があっただろ」
 慌ててレジが言う。
「本当に?」
 疑わしそうにメルグが尋ねた。
「信じろよ。第一、俺に見られたからって、減るもんじゃねえだろ」
「そりゃあね。でも、そうしたらあんたの寿命は短くなるかもね」
 丁度、シーファがフライパンを持って階段を上がって来た。
(さすがメルグの姉ちゃんだ。普通持ってこないよ)
 レジは思った。
「何に使うの?」
 シーファはそう言いながらメルグにフライパンを渡す。
「……冗談、だったんだけど。やっぱ、わかんなかった……?」
 メルグは頭を掻きながら、仕方ないのでフライパンを受け取った。
 シーファが部屋を出て行った。レジが居る事は気にもならないようだった。小さい時からやっていることで、慣れているのだろう。
「痣なら、まだそのままあるわよ。消えるもんじゃないわよ。多分死ぬまでね」
 メルグは言った。その手は、痣のある心臓の上に置かれていた。
 小さな痣だった。成長しても大きさは変わらない。小指の先程の大きさの丸い緑の痣が、メルグの胸の少し左よりの所にあった。小さい時は体全体が小さかったこともあって、痣は今よりももっと目立っていた。今では、知っている者でも見つけにくいくらいだった。
 どうやらレジは、その痣が彼のせいでできたと思っているらしかった。小さい頃、二人が取っ組み合いの喧嘩をして、お互いが体の至る所に青アザを作ってしまったのだ。しかし、その時の傷でないことは、メルグにはわかっていた。その時の傷なら、とっくに直っているはずなのだから。
「あ、お姉ちゃんが呼んでる。行かなきゃ。……何よ、その目は。言いたい事があるならはっきり言ってよ。気持ち悪いわね」
 物欲しそうな目で自分を見るレジに、メルグは多少腹が立ってきた。
「……じゃあ、言うよ。どうせ断られるって分かってるけど。俺もメルグたちと旅に行っちゃいけないか?」
 おずおずと、レジが言った。
 メルグは一瞬返答に困った。思っていたよりも、レジの質問が単純だったことと、だからといって、自分ひとりで答えてしまってはいけない事だと思った。
「わたしは、わからないわ。お姉ちゃんたちに聞いてみないと。だって、わたしだってお姉ちゃんたちに旅に連れて行って貰うみたいなもんだから」
 メルグが言うとすぐに、レジはシーファたちと交渉しに下へ行った。
 最初は、いやだ、と答えたかったのだが姉たちは自分たちのことで手一杯で、メルグの相手まではできないのだろうと思うと、自分にも仲間が欲しくなっただ。彼女のことだけを考えてくれる仲間が。
 それは、いけない考え方かもしれない。人から大切にされたいと思っても、自分はその人に対して優しくできないのだ。
(でも、そう思えるのも、レジがわたしのことを見捨てたりしないって、分かっているからだわ)
 メルグは思った。
 メルグは、レジのことを心から信頼していた。それは別に、レジがハーフ・エルフであるから頼りになる、という理由からでは無く、幼い頃から一緒に居て、家族のような存在になっていたためだった。
 一階から、レジとシーファたちの笑い声が聞こえる。多分交渉はうまくいったのだろう。
 メルグも階段を降り、三人のいる玄関先まで行った。
「さあ、行くぞ」
 クレヴァスが言うと、
「おー!」
 なぜかみんなで声を合わせてしまった。
 メルグの旅が今、始まったのだ。 

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