今回の旅の一番の目的は、シーファとクレヴァスの結婚を、クレヴァスの両親に知らせるためだ。メルグが母親に会うというのは、そのついでということになっている。 まず少し遠回りして、メルグの母親が居るというキジマナウス族を尋ねてみることになっていた。 キジマナウス族というのは、シーファの母親の出身で、早い話、その妹であるメルグの母親は部族の中に帰っているかもしれない、という考えからだった。 そう言ったのは母で、違っていたらごめんなさい、と言いながら教えてくれたのだった。 「えーっと、キジマナウス族の紋章は、と」 独り言を言いながら、クレヴァスが一冊の分厚い本を取り出した。 「お兄ちゃん、何それ」 メルグは聞いた。 メルグはクレヴァスのことをよくお兄ちゃんと呼ぶ。どうせもうすぐ本当にお兄ちゃんになるのだし、今からそう呼んでも害はないだろう。 「これは魔法書さ。これにはいろんな部族や家の紋章や、その人々の住む地が描かれているんだ」 クレヴァスは言った。 「この人ったら、こんな重い物持って行かない方がいいって、わたしが言ってあげたのに、持って行くって言って聞かないのよ。きっとどうしても役に立つってことを見せたいんでしょう」 シーファが言った。 「これは神官の必需品。逆に言えば、これを持ってないと神官っていう証拠がないんだ」 クレヴァスが言い返した。 「安物でも?」 レジが口を挟む。さすがハーフ・エルフ、というか、その手の知識は沢山あるので、クレヴァスの持つ本の値段が見ただけでわかったらしい。レジは学校の勉強には興味がないと言って成績は良くないが、代わりに魔法や魔法道具に関する本は読み漁っている。 安物と言われて、クレヴァスの顔が一瞬引きつったが、コホン、と咳払いをして見せてから、 「そう、安物でも。無いよりはましさ。今だって、レジが言いさえしなかったら、誰にもこの本が安物だなんてわからなかっただろ?」 と言った。 安物であることは本当だったらしい。皆が頷いた。 「ねえ、お姉ちゃん、ここは何ていう所なの? 山に囲まれた草原だけど」 メルグが聞いた。 「ここはプレズ高地。草原に見えるけど、そう呼ぶほど大きな場所でもないでしょう」 シーファの言った通りで、あまりにも殺風景な景色が一行の前に広がっていた。向こうに見える低い山。前も後ろも右も左も、山に囲まれていた。そして、一行の目の前には、切り立った崖が、草の一本も生やさずに赤土を露出させてあった。 「夏には奇麗になるんでしょうね」 「そうね。今よりもう少しましな風景にはなるわ」 つまり、夏でもここはやはり殺風景、ということだ。 「ねえ、あそこ・・・・・・」 周りを見ていたメルグは、側に居たシーファとレジに言った。 「誰か居る?」 メルグが指差した方向に、微かに人影が見えた。 レジがそちらをじっと見る。ハーフエルフなだけに、視力はこの四人の中では一番だった。 「一人じゃない……。いや、一人が、数人に追いかけられている」 その人影は、次第にこちらへ近づいているようだった。 人影だけでなく、声も聞こえ始める。 追いかける人影の物だろうと思われる、威勢のいい叫び声。 そして、追いかけられる一人の、 「助けて!」 甲高い、声。 その声に、クレヴァスが本から顔を上げる。 「助けるぞ」 本を片付け、クレヴァスは走り出した。 シーファがすぐにそれに続く。 その後に、メルグとレジも続いた。 向こうも、元々こちらへ走ってきていたし、こちらも走って行った事で、すぐに助けられる範囲まで近づいた。 追われていたのは、一人の少女。 真っ黒な髪を、肩より少し高い位置で切り揃えている。 少女はメルグ達を見ると、もう一度叫んだ。 「助けて!」 後ろから追って来ていたのは、どうやら旅人を狙った盗賊らしい。 「こっちへ」 メルグは少女を自分達の方へ引き寄せた。 追手は五人。 有無を言わさず、クレヴァスは一番手近に居た男を殴った。 シーファが魔法を使ってそれに応戦する。 「メルグ、レジ、あいつらを止めておいてくれ」 もう一人を殴った後に、クレヴァスが言った。 「メルグ、魔法で応戦するわよ」 シーファがそう言って、腕輪をメルグに投げた。 「え? あ、でも、お姉ちゃんは?」 「いいのよ。まだ指輪があるわ」 婚約指輪、いや、マジック・リングをちらつかせてシーファが言った。 指輪は小さい分、腕輪より効力が劣るが、シーファなら十分に使えるだろう。 「エネル・チハ・ニテズテカ」 シーファが呪文を唱える。 指輪が呪文と呼応して光った。 五人の盗賊達が倒れる。 これで、終わりだと思ったが、まだ後が居るようだった。 「下がれ!」 突然、レジが大声を出した。 その声に、皆が数歩、後ろへ下がった。それと同時に、何本もの矢が、さっきまで四人の居た所に放たれる。 「うおぉぉー!」 声を上げながら、武装した人々が崖から駆け降りて来た。 武装とはいっても、鉄の鎧を着ている訳ではない。先ほどの五人と同じで、動物の皮を剥いで作った簡単な上着に、まともに身を守れるものといったら、数人の人が、胸や腰に薄い鉄板を巻く軽装だけだった。 シーファがさらに呪文を唱える。そして、周りにたかった山賊らしき人たちを吹き飛ばした。 「おー、さすが巫女さん」 レジがその様子に感嘆の声を上げる。 「そんなことより、あんたも何かしたらどうなの?」 メルグが言う。 メルグも魔法を使うが、相手が大勢過ぎてきりがない、という状態だった。 「へいへい。何かしますよ」 レジはそう言うと、両腕を空へ向かって掲げて空の一点を見た。 (ずっと封印されてたみたいだけど、なんだか大変になったから、いいか) レジは近い遠くに居た、古い知り合いを呼んだ。 「ザーレ・トス・マナンラ・ゴウガ、封印は解けた。今ここに蘇れ、不死の鳥よ!」 快晴だった空の一点が雲を生じ、その中から光を纏った鳥が現れる。 鳥が地上へ滑空して来ると、その下に居た人たちが、一度に消滅したように見えた。すごい熱なのだ。近付いた者は、それだけで大火傷を負うだろう。 「結界を作って移動するぞ。みんな集まれ」 クレヴァスが声をはりあげる。 今まで戦いに姿を見せないと思っていたら、結界を作っていたのだ。もう、ドーム型の結界が薄く見えていた。 歩兵が居なくなったのか、今度は騎馬隊がメルグたちの方へ向かって崖を下りて来た。そして、それで終わりでないことは、崖の上に新たに現れた別の人影からわかる。 メルグは、その崖の上に立つ人物に気づいた。恐そうな獅子を連れている、その顔は遠くから見たのであっても、美しく、……目が合った。 「!」 その瞳は、獲物を探す時の獣のように鋭かった。 「メルグ、馬なんか相手にしてないで、早く来いよ」 レジの声に、メルグは我に返る。 「うん」 メルグが結界の中に入るとすぐに、移動が始まった。 周りの風景が白く霞んでいった。 「ここは?」 シーファが辺りを見回しながら聞いた。 「森の中、そう、多分、カンザの森かな」 クレヴァスが言った。 「多分って、何よ」 結界ですぐに移動できるなら、最初からそうすればいいのにと思うだろうが、クレヴァスが相手では仕方が無い。彼が言うには『楽して生きてはいけない』んだそうだ。 シーファは腰をかがめて、少女と目線を合わせた。 「大丈夫?」 少女の服装は、巫女に良く似た白い重ねだが、まさかこの若さで巫女と言う事はないだろう。 少女の黒い瞳がシーファを見た。 「はい」 しっかりした声。子どもらしい高めの声だが、芯の通った強さを持っている。 「でも……」 少女は続けた。 「一緒に居た人たちは、全員……」 仲間が居たのだろう。流石に、少女一人で、あんな高原を歩いているというわけはないのだから。 「俺はネリグマの神官で、クレヴァス。こちらは巫女のシーファ。それから、シーファの妹のメルグと、友人のレジだ」 クレヴァスが紹介する。 「わたしは、アマルナです。モルスで、巫女……巫女の、手伝いをしております」 黒髪の少女は、そう名乗った。 シーファは立ち上がると、クレヴァスに向って言った。 「アマルナさんの、仲間の様子を見に行った方がいいわ」 「ああ、そうだな」 クレヴァスが頷く。 「メルグ、レジ、これから結界を張るから、中でアマルナと留守番をしていてくれ」 続けて、そう言った。 「わかったわ」 メルグが答える。 アマルナという名の少女と、それからレジも頷いた。 クレヴァスが印を結び、呪文を唱える。 見た目には何も風景は変わらないが、これで結界の中には、外から誰も入れない状態になった。 「それじゃあ、行ってくる」 「待ってください」 結界を出ようとするクレヴァスを、アマルナが止めた。 「モルスには行かないで下さい。」 クレヴァスが不審そうにアマルナを振り返った。 「結界があります。魔法を使って移動したらわかるように」 クレヴァスたちから何か聞かれる前に、アマルナは早口に言った。 「モルスで、一体何があったの?」 シーファが尋ねる。 アマルナは首を横に振った。 「まだ、何も。ですが、結界が張られているのは、何か邪悪な力のせいだと神官が仰ってました。魔法力を弱める力があるそうです。結界を抜けて外に出ることは、徒歩などでなら、全く問題はないそうです。ですが、魔力を持った結界から抜け出た場合は、その結界が体に纏わりついて、うまく魔法を使えなくなるそうです。その為、モルスから抜けても、わたし達は馬で旅を続けておりました」 「……わかったわ」 シーファが言った。 「モルスに入る時は、徒歩で、ということね。それから、一度モルスに入ったら、魔法はうまく使えなくなってしまう。そういうことなら、アマルナさんが、モルスに行くな、という理由はわかるわ」 「仕方がないな。とにかく、アマルナの仲間の様子を見てこよう」 クレヴァスは言って、外へ出た。 シーファもそれに続く。 クレヴァスが作ってくれた結界の中に、メルグとレジ、そしてアマルナは残った。 メルグがレジに向って言った。 「レジ、さっきの鳥は何?」 「俺の友達。あいつは喋れないから本当は何ていう名前なのか知らないけど、見た目が不死鳥みたいだから、不死鳥って呼んでる」 「あ、そ。あんたらしい呼び方だわ。でも、わたしが聞きたいのはそういう事じゃなくて、どうしてあんたとその不死鳥が知り合いなのか、って事よ」 メルグが言った。 「俺はハーフ・エルフだぜ? 人とはちょっと違うんだ」 レジは答えた。自慢する事なのだろうが、少し寂しそうな言い方だった。 不死鳥は封印されていた。なぜ? それはレジにもわからなかった。さっきのように、簡単に人を殺せるから、というのが一番の理由だろう。レジに封印の力は無いから、別の誰かが封印したのだろうが、誰に封印されたのか、レジには記憶が無かった。 「大きくて、綺麗な鳥ですね」 アマルナが言った。 「でも、あんなに遠くで、かわいそう」 天を見上げて言う。 不死鳥は、もちろん結界の中には入って来れないし、どこか遠くに居るのだろう。姿も見えなかった。 「封印されているよりはマシだろ」 レジが言う。 「じゃあ、なんで今まで開放してあげなかったの?」 メルグが聞いた。 不死鳥が封印されていた事を、レジはずっと前から分かっていた風だった。今の不死鳥の様子を見る限りでは、特に人に害成したりするようではないし、最初から封印を解けばよかったのだ。 レジは、黙って、テントを張り始めた。 「……よくわからないんだ。封印を解いてはいけないんだと、そう思ってたし。なんだろう。多分、危険だと思ってたんだ」 レジが答えた。 レジが言いたいことは、なんとなく分かる。不死鳥はあの通り、巨大な炎の鳥だ。見た目には危険そのもの。だから、誰かが封印した。封印する時に、レジに、封印を解かないように、教えた人が居たのだろう。 メルグは記憶を辿った。 レジと一緒に遊んだ記憶があるのが、一番昔のもので、三歳くらいだ。それより以前のレジが、どこに住んでいたのか、メルグは知らなかった。 もちろん、シーファ達も知らなかった。だから、知らなくても良いことだと思っていた。生まれてからたったの三年程度のこと、レジが忘れていても当然だし、ハーフエルフなのだからと、出生について調べようと思ったこともなかった。 それが、今ごろになって、気になってくる。 ハーフエルフとはいえ、普通の男子だと思っていたのに、いきなり不死鳥とは。 ただそれさえも、ハーフエルフならあたりまえのことかもしれない。 聞こうと思った。 けれど、聞けなかった。聞いてしまうと、身近だったレジが、いきなりエルフの世界へ行ってしまいそうだったから。 「メルグさん、シーファさんって、ネリグマのシーファさんですよね?」 不意に、アマルナに問い掛けられる。 「え、うん。そうだけど」 「わぁ。本当に、シーファ様なんですね」 アマルナがシーファ達が歩いて行った方を向いて、呟く。 「シーファ『様』?」 レジが、不思議そうに言った。 「お姉ちゃんって、そんなに偉くないと思うんだけど……」 メルグがレジに言う。 基本的に年功序列らしく、まだ若いシーファは才能はあると言われていても、身分としては巫女の中でも中の下辺りのはずだ。 アマルナが、瞳を輝かせて、メルグに言った。 「巫女になる試験を一発合格。十代で神官直属の巫女ですよ。それはとても素晴らしいことで、モルスでも有名なのです」 「はあ」 何が素晴らしいのかよくわからず、曖昧に返事を返した。 レジがせっせとテントを張ってくれたので、メルグとアマルナはテントに入った。 「お姉ちゃん達、いつ頃帰ってくるかな」 「そんなに遅くはならないんじゃないと思うよ? ……言っとくけど、クレヴァスさん達の為にもう一つテント張る気力は残ってないからな」 「あっそ」 テントの小窓を空けると、月明かりが僅かに差し込んできた。 灯りを点ける必要はなさそうだった。 風の当たらないテントの中にいると、すぐに眠気が襲ってきた。 「アマルナさん、寝ましょう」 一番小さなアマルナをまず寝かしつけようと、メルグは言った。 「えっ。あ、わたし、まだ大丈夫です」 アマルナが答えた。 (お姉ちゃんが帰ってくるのを待つ気ね) メルグは思った。 「ヤベイ族よ、絶対。あなたも見たでしょう、あの入れ墨を」 遠くから、シーファの声が聞こえてきた。 「帰ってきたみたいだね」 レジが言う。 暫くすると、テントの入り口から、シーファとクレヴァスが顔を覗かせた。 「ただいま」 クレヴァスが言う。 「アマルナ、君の仲間のことは、もう大丈夫だよ。ちゃんと神殿に通報したから」 アマルナがクレヴァスを見た。 「ありがとうございます」 悲しみなど、どこにも見られない。 「……悲しくは、ないの?」 シーファが問うた。 アマルナがシーファに目を向けた。 「大丈夫です。少し、悔しかっただけ……」 アマルナは少しの間俯き、すぐに顔を上げた。 「あの、シーファさん。さっき、帰ってきた時、『ヤベイ族』って言ってた?」 レジが言った。 メルグは姉を見た。入れ墨をしていたのは、メルグが見た獅子を連れた人物に違いなかったからだ。 「アマルナたちを襲った山賊の中に、入れ墨の男が居ただろう。この近くで、今時入れ墨をしている部族は、ヤベイ族くらいだと思うからな」 クレヴァスが答えた。 「ヤベイ族が? わたしは逃げていただけなので、何にも見ていませんでした。わたし達は何も、うらまれるようなことは……」 アマルナがクレヴァスに向って言う。 アマルナ達を襲ったのがただの山賊なら、それは持っている金品が目的だ。しかし、ヤベイ族は物盗りではない。 (人殺しのヤベイ族) メルグもその名前くらいなら知っていた。それがどのような種族なのかは全く知らないが、一族の職業が人殺しを頼まれてすることらしいから、蛮人なのだとメルグは思っていた。 「俺もその入れ墨の奴なら見たぜ。褐色の肌で、頬に妙な模様を彫っていた」 レジが言って、後でメルグの方を見た。 「メルグも見ただろ?」 メルグは頷くしかなかった。 「遠くからだったけど、俺が持っていたヤベイ族のイメージとは違ったな。もっと野蛮な感じの奴らだと思っていたけど、あいつは結構奇麗な顔立ちをしていた」 「そうね。でも、お姉ちゃん、だったら何なの? やっぱりアマルナさん達を襲ったのはただの山賊じゃないってこと?」 メルグの問いに、シーファは頷いた。 「そういうことになるわね。人を雇ってまで殺そうとしたってことよ」 神社への恨みだろうか。しかし、神社全体への恨みにしては規模が小さいし、個人への恨みにしては規模が大きく思える。 「さっきの奴らが雇われたってのは、確かだろうな。しかし、ヤベイ族は自分たちの仕事に誇りを持っているという。他の種族の者たちと一緒に仕事をすることがあるのか」 クレヴァスが、手に持った魔法書を閉じてから言った。 「ここからヤベイ族の村まであとちょっとだ。明日行ってみるか?」 「危険よ。アマルナさんはどうするの? ヤベイ族に狙われているのよ」 「シーファはそう思うか。でもな、俺にはそうは思えないんだ。俺たちが会ったのが仮にヤベイ族だったとしても、仕事は奴が一人で引き受けたものだ」 勘で言っているとは思えなかった。危険はない、クレヴァスはそう言っているのだ。 「自信があるのね、お兄ちゃん。だったら、わたしはヤベイ族の村に行くわ」 メルグは言った。 まだ、観光気分もあったし、狙われながら行くくらいなら、先に片をつけておいた方がよさそうだった。 「それなら俺も行くよ」 「仕方ないわね。わたしだって、クレヴァスのことを信用していないわけじゃないんだから、行くわよ」 レジとシーファも同意した。 「アマルナさんは、どうするの?」 メルグはアマルナに聞いた。 アマルナは頷いた。 「行きます」 夜明けを待ってから移動をはじめ、昼過ぎにヤベイ族の村に入った。人殺しの集団というのは悪魔で裏で言われていることであって、表向きは普通の自治区ということになっている。 村の入り口には看板があった。 『ようこそ、ヤベイ村へ!』 看板にはそう書かれていたが、あまり歓迎されている様子はなかった。メルグたちを見た村の人々が、逃げるように顔を背けるのだ。 (どうしたのかしら) メルグは思ったが、口には出さなかった。多分、他の皆も同じように感じているのだろうが、口にはしていない。 「町に入った途端殺されるんじゃないかって思ってたけど、そうでもなくて安心したわ」 シーファが言った。 「あー、結局お姉ちゃん、お兄ちゃんのこと信用してなかったんだ」 メルグが言うと、前を行くクレヴァスの肩が動いた。 「本当か?」 「やーね、あなたったら。メルグの言うこと真に受けないでよ」 シーファは言って、クレヴァスが顔をそらすとメルグに目配せした。 (クレヴァスを怒らせないで) シーファが目で訴えている。 「はいはい。わかってますよ」 メルグは答えた。 「しっかし、このままじゃどうしようもないな。あの男のことを聞きたくても、みんな逃げてしまう」 クレヴァスが言った。 「え、男? 女だったでしょう?」 「何言ってんだ、シーファ。どっから見ても男だったぜ」 「絶対女よ。ねえ、メルグ、レジ」 「え?」 突然話を振られて、メルグとレジは声を合わせた。 「俺は女だったと思う」 レジは言った。 「ほら、わたしの言う通りでしょ」 「まだだ。まだメルグの意見を聞いてない」 未来の夫婦は既に夫婦喧嘩をしていた。 アマルナがその様子を凝視している。理想の巫女のシーファと、かなりイメージが違っていたのだろう。 「メルグ、どう思う? 絶対女でしょ」 「勝手に決めるなよ。メルグ、ちゃんと思った事を言うんだぞ」 板挟みになってしまった。ここでメルグが、あの人は女だったと言えばシーファの勝ちで、男だったと言えば引き分けになってしまうのである。 「わたしは、……どっちともわからなかったんだけど」 内心では男だと思っていたが、そんなことを言うと話にケリがつかないだけだ。 「メルグ、わたしのことを気遣わなくてもいいのよ。男だったと思ったなら、そう言えば」 シーファが言った。 シーファは勝ち負けを決めるのが嫌いなのだ。同点であれば、それで終わらせたいのだ。逆に、クレヴァスは勝ち負けをはっきりさせなくては納得しないのだから、よくこれで結婚しようなどと思えたなと、感心してしまう。 メルグがどう答えようか迷っていると、夫婦らしき二人連れが一行の近くを通りかかった。普通に通り過ぎる振りをしているらしいが、こちらを意識しているのはわかった。 「おっと、ちょっと待ってくれませんか」 クレヴァスが男の方の腕を掴んで言った。 「村長さんに、会いたいんですがね」 その言い方はまるで脅しを掛けているようだった。神官の着る白いマントを羽織っていなかったら、完全に悪人だ。 「あ、はい。わかりました。案内します」 答えた男は、びくびくしていた。声が上ずっているから、その焦りはメルグたちにもはっきりわかる。 女の方は顔を隠して、メルグたちと目を合わせないようにしているようだった。 村の中央に、木造のちょっと豪華な家があった。村長の家だ。 「ここです」 男が震える手でその家を指した。 「ありがとう」 クレヴァスが言うと、二人は急いで逃げて行った。 呼び鈴を鳴らそうとしたが、呼び鈴などという気の利いた物は、この村には無いようだった。 「無ければ扉を叩けばいいんだろ」 レジが言って、扉をノックした。 「はーい、ただ今」 中から声がして、五十代前半の女が扉を開けた。 女は一行を見て、急いで扉を閉じようとした。 「待ってくださいよ。なぜこの村の人々がわたしたちを避けるのか、わたしたちには皆目見当がつかないんですよ」 扉に足を挟んで閉じられないようにしておいて、クレヴァスが言った。 「何をしている。客を通してやれ」 中から男の声がした。 女は扉を開けた。 「おじゃまします」 クレヴァスを筆頭に、五人はその家に入った。 家の中には白髪頭のヤベイ族の村長、いや、酋長が居た。額に深く刻まれた皺が、彼の知識の多さと経験の豊かさを物語っていた。 彼の部屋には、沢山の道具、吹き矢や弓のような、狩りに使われる物があった。だからといって、狩りが趣味と言う訳でもなさそうで、毛皮や剥製のように狩りの手柄を示すものは何も無かった。 着ている服も麻のものだった。それはただの白だが、目を引くのは首飾りだった。色とりどりの石に穴を開けて紐を通し、その端には小さな頭蓋骨がつながれていた。 「何、あれ」 メルグは小声で言った。 何とも悪趣味ではないか。人殺しのヤベイ族らしいといえば、その通りだった。 「始めまして、フォルザス=マラザンさん。私はネリグマから来ました。神官、クレヴァスと申します」 まだ名乗ってもいないのに、クレヴァスが名を呼んだので、両頬に入れ墨をした老人は顔をクレヴァスに向けた。 「魔法書ですか。ネリグマの神官が未だそのような物をしきたり通りに持ち歩いているとは、驚きましたな」 マラザンは皮肉って言った。今時、こんな重い魔法書を持ち歩く人など、居ないのが事実だから。 「今時珍しいでしょう? ところでマラザンさん、質問に答えて頂けますか?」 「いいでしょう。私に答えられることならば」 すんなりと承諾した。 「私たちはここに来る途中、プレズ高地で何者かに襲われました。そしてその中に、あなたの息子さんがいらっしゃったのですよ。これは一体どういう事なのでしょうか」 クレヴァスは言った。 「どうしてこの人の息子だってわかるの?」 メルグはこっそりシーファに聞いた。 「この人の頬の入れ墨をご覧なさい。あの時の人と同じ模様でしょう」 言われて見てみると、確かに同じだ。 「ヤベイ族は第一子だけが親と同じ入れ墨をするの」 つまり、跡取りであるという印だった。 「私の、息子、ですと?」 「ええ」 「私に息子なぞおりません。五年前から、あやつとは親子の縁を切っておりますゆえ」 マラザンはそう言った。 「親子の縁を切った……? ということは、あなたの息子さんが何か掟を破ったということですか?」 シーファが尋ねた。 マラザンは頷き、そして答えた。 「あれは我らの掟を破りました。……しかし、生きていたとは……!」 それを聞くと、隣にいた彼の妻が、すすり泣きを始めた。 「あなたがたは色々知っておられるようですから、隠さずお話ししましょう。私たちが実は殺しを稼業としていることはご存じでしょう。ある時その仕事について、依頼人とふとしたことから対立してしまい、最後にはあれの仲間が依頼人に殺されてしまったのです。 あれは復讐のために自分の力を使おうとしました。そこで、我々はあれを村から追い出したのです」 マラザンの答えは、彼らの風習をしらないメルグにとっては、妙な感じのするものだった。 「古くからの言い伝えによると、禁を犯し、自らの利のために力を使った者は獣に身をやつすと言われています。蛇や獅子になると言われております」 妻が言った。 「そういえば、あの人は獅子を連れていたわ」 シーファが呟いた。 「もしかすると、あなたがたが見たのは私たちの息子ではなく、その獅子こそがそうだったのかもしれません」 「けれど、あの入れ墨は……」 「私たちにはもう、関係の無いことです。あれとは縁を切ったのですから。どうか、もうお引き取り下さい」 そう言われて、半ば強制的にメルグたちは家から出された。 「何かしんみりした感じになっちまった」 レジが面白くなさそうに言った。 「そうね。でも、仕方がないわよ。だってあの人達は息子さんが死んだと思ってたのに、それが生きていたんですもの。しかもそれが勘当した子どもだったわけだし」 メルグは言った。 その日は、野宿しなければならなかった。何せ、この小さな村には宿屋という物が無い上に、誰も泊めてくれるような様子が無いのだ。 何かを恐れているように見える。 メルグ達を? わからなかった。単に、神官と巫女が来たから、国の機関が調査に入ったと思われたのかもしれない。けれど、マラザンの様子をみる限り、国を恐れているわけではないらしい。 もっとも、人殺しのヤベイ族の村に居るメルグ達の方が、本当はヤベイ族を恐れるべきだろう。いくらなんでも、安全とは言い難い。クレヴァスが結界を張って、その中にテントを張った。 |