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「おい、シュライン。どうしたんだ!」
突然途切れたシュラインの送信に、ナティが声を上げる。
丁度、赤道の真下を通過した所だった。
「少し戻って見るか?」
ユメが言う。もし、以前シュラインが言っていた結界があるとすれば、この辺りだった。
『皆さん、聞こえますか?』
数歩も戻らない内にシュラインの声が聞こえた。
「ああ、聞こえる」
カムが答える。
『ナティだけ結界の中に入ってくれませんか?」
ナティは少しだけ先に進んだ。
『ナティ、聞こえますか?』
「何か聞こえたか?」
結界の外に居るカムが、シュラインの言葉をナティに伝える。
ナティは首を横に振ってそれに答えた。
「聞こえなかったそうだ」
カムが言う。
『それではこれでどうでしょう』
シュラインが言うと、ユメが背中に背負っている荷物から、プラスパーが顔を出した。
そのまま、ナティの足元まで走っていく。
「聞こえますか?」
シュラインの声が、プラスパーから聞こえた。
「ああ、聞こえてるよ」
ナティが答えた。
地図を見ると、アージェントの大陸がもう少し、という所だった。
「あと少しだな」
「キフリの宮のあるトルースまで、もう町はないけどね」
カムの言葉に対して、トライが言った。
アージェントに着いても、トルースまではまだ遠いのだ。
「この辺で休むか?」
カムが言う。が、その言葉はプラスパーがユメのリュックから逃げたことで無駄になる。
「あっ、プラスパー!」
逃げ出したプラスパーをユメが追う。シュラインが操っている間は大丈夫だが、プラスパー自身で行動する時は、何をしでかすか分かったものではない。
ずっとシュラインが操っていてくれれば楽になるのだろうが、そうすると、シュラインも大変だし、プラスパーも体と精神がもたないのだそうだ。
カムの休もうかという思いは空しく、プラスパーを追いかけるために、全員で走るはめになった。
「この辺で休もうよ」
今度はトライが言った。やっとプラスパーを捕まえたのだ。
「そうしましょう。……でも、テント張る気力が残ってないわ」
セイがわざとらしく、疲れた声で言う。
「分かった、分かった。俺たちで張るから、女共は休んでろよ」
カムがそう言って、荷物を地面に置いた。
「女共は休めって、俺はやらなきやならないのか?」
ナティが言う。
「当たり前だろ。自分を女だと思ってんなら休めよ」
カムにそう言われて、ナティはカムを手伝い始めた。
二人がテントを張っている間、女三人はプラスパーと……いや、プラスパーで遊んでいた。
「やだ、毛が服に一杯付いちゃった」
セイが言う。
「冬になるからね」
トライがそう言って、プラスパーをセイから離し、服に付いた毛を取るのを手伝った。
「わたちたちの町ではね。でもここは今からが夏よ」
「本当だ。プラスパーはどうするのかな」
プラスパーは今度はユメにじゃれ付いていた。
「未来を見る力、か」
ユメが呟く。
「え?」
トライがそれを耳聡く聞き付けて言った。
「それって、ピンシャファンのこと?」
「いや、別に彼女の事を言った訳でもないんだが。……俺は未来を変える事ができたんだな、と……」
ユメはそう言うと、夕焼けに染まった空を見上げた。
トライはセイと顔を見合わせた。二人はピンが予言したことを知らないのだ。
「よし、もう疲れも取れたし、テント張りを手伝うぞ」
ユメが立ち上がって言う。
「えーっ、もう? ユメってば疲れ取れるの早過ぎるのよ」
セイは愚痴を言いながらも立ち上がった。
トライも砂をはたいて立ち上がったところだった。
テントが出来上がると、もう日は沈んでしまっていた。風が強くて、一、二度吹き飛ばされてしまったからだ。
「さっさと荷物入れろよ。また飛ばされない内にな」
カムが冗談混じりに言う。
風が強かったので、狭かったがテントの中で食事をした。食事が砂まみれになるよりはまし、ということだ。
明かりを点けるともったいないので、早くから明かりは切ってしまった。皆が静かに眠る。
月が傾いて、月明かりがユメの顔にかかった。風の音も手伝ってユメは目を覚ました。
ユメは静かに起き上がるとテントから外に出た。思ったより風は吹いていなかった。
熟睡に近く眠っていたナティの顔の上に何物かの足が乗った。鳥のような足、プラスパーだった。
「うわっ」
突然の事に驚いて、ナティは上半身を起こした。
「何だ、プラスパーか」
小声で呟いて、周りを見る。今ので起こしてしまったかもしれないのだ。
しかし、誰ひとりとして起き上がりはしなかった。多分、さっきの叫びも自分で思った程大声ではなかったのだろう。
ユメは?
ナティはユメが居ないのに気が付いた。そして、テントを出る。
テントから少し離れた所にユメは座っていた。ナティに気づいて、クスクス笑う。
「どうしたんだ、ナティ。プラスパーに何かされたのか?」
ユメがナティに聞く。寝ている者には聞こえなくても、ユメには聞こえていたのだ。
「たいしたことじゃない」
ナティは答えた。
「眠れないのか?」
「別に眠たいとも思わないからな。ナティは?」
「いや、特別に……」
ナティはユメが普段よりも優しそうなのに驚いていた。さっきは笑われたが、今でもユメは笑顔だ。
「なあ、ナティ、もし俺に未来予知ができたとしたら、どうだ?」
ユメが言う。
未来予知だと? 力が戻ったのか?
ナティは思った。
「そうだな。考えたことも、なかった」
適当な答えを返した。
それを聞いて、ユメは目を細めて微笑んだ。不思議な感じのする微笑みだった。
「ナティ、お前は頭が良いから既に知っているかもしれない。ルーティーンの予言のことを」
そう言って、ユメはナティへと近づいた。
ユメが立ったので、ナティもつられて立ち上がる。
「ルーティーンの予言は、彼の言葉ではなかった。『魔』の降臨も、世界の破滅も、全て俺が幼い頃に予知夢として見たものだった。未来を見るのは怖い。死まで見ることになるからだ。でも、今の俺には力を押さえることができないんだ。昼間プラスパーに触れたとき、あいつが死ぬのが見えた。少し先のことが分かるんじゃないんだ。最期まで分かってしまう」
「だが未来は変わる。今見たことが全てじゃないんだ。それを証明したのはユメだろ?」
ナティが言う。
「見えたんだろう? あの時、こうやって……ユメを放さなかった時」
ナティはあの時を再現するように、ユメを抱き寄せた。しかし、今度はすぐに放した。
「予言は変わらないか?」
「ああ。同じだ。すまない、ナティ」
「ユメが謝ることはない」
ナティはそう言って、もう一度砂の上に座った。そして、ユメに向かって言う。
「もう一度、ユメのその力を封印する。四年前にユメの記憶を消そうとしたのは、俺だからな」
「何だって……?」
ユメが驚愕の目をナティに向ける。
「ユメが、俺の髪が短い頃を知っていると言ったとき、俺は内心焦った。四年前の記憶が戻ったんじゃないか、とね。まあ、今思い出してしまったんだから同じだが、それでも俺のことは思い出さなかったようだな」
ナティが言う。
「四年前の大会のとき、俺はユメの父親、いや、義理の父親ルーティーンに頼まれたたんだ。ユメの未来予知に関する記憶を消してくれと。その時ルーティーンは名を名乗らなかった。そして、ユメの名前も教えてくれなかった。ルーティーンは俺に、ユメがその時つけていた首飾り[ペンダント]をくれると言った。それで、俺はユメの記憶を消すことを引き受けた」
「ペンダント? 俺がいつも持っていたやつか? あれは俺の――」
言いかけたところで、ナティが自分の首の後ろに手をやった。
そして、自分の首から外したペンダントをユメに見せる。
「これだろ? お前が唯一、両親から貰ったものだ」
「いつの間にかなくなっていたんだ」
そう言って、ペンダントを取ろうとする。
しかし、ナティはペンダントを握ってユメには渡さなかった。
「貰ったんだ。まだ返せない」
ナティはペンダントを首にもう一度かけた。
ユメははっきりと覚えている訳ではない。しかし、ナティにそれをあげると言ったような気もした。
「ユメ、ユメにとってその力、未来予知の力は要らない力だろ?」
ナティの問いに、ユメは頷く。
「ああ、そうだ。死まで見る必要はない。四年前にも、俺から父に言ったんだ」
「四年前の俺は、まだ記憶を消すことしかできなかった。だが今なら、記憶は消さずに力だけ封印することができる」
ナティは言った。
「できるのか? 今」
「ああ。だから、座って、目を閉じて」
ユメはナティの言うとおり座った。
「ひとつ、聞いていいか?」
ナティが尋ねる。
「何だ」
「この世界の未来は、昔と変わらなかったか」
目を閉じたままのユメの表情が、少し歪む。
「わからない。何も見えなかった」
「そうか」
ナティの手が、ユメの顔を包み込むようにかぶさる。
「今からお前の力を封印する。お前は力をなくすことだけを強く考えるんだ。目は開けるなよ。意識が飛ばされるかもしれないからな」
ナティはそう言うと、自分も目を閉じて呪文のようなものを唱え始めた。
ナティの指が触れている部分が、まるで皮膚を破って通したかのように痛んだ。しかし、それは一時で、すぐに苦痛はなくなった。それから後は、何が起こったのか、ユメには分からなかった。
ナティはユメをテントの中に運んだ。ユメはナティの睡眠の魔法で眠っていた。眠らせたのは、その方が痛みを感じずに済むからだった。
「おやすみ、ユメ」
ナティはユメにそう囁くと、自分も横になった。
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