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五人は夜道を、昼間に同じ格好で歩くとさぞ怪しいと思える真っ黒な布を、防具を身につけたその上に纏[まと]って走った。
今夜中に片を付けるつもりなのだから、持っている物は武器だけだった。それに、プラスパーも連れて来た。今は眠っているが、起きればシュラインがプラスパーを通じて話すことができるからだ。
コヒの宮を巻き込むことは避けたいが、どうしてもという時にはシュラインに出てきてもらうしかない。
「しっかし、ナティも酷[ひど]いよな。聞くだけ聞いといて記憶消しちまうなんて」
カムが言う。
「仕方ないだろ。それが一番いい方法だったんだから」
ナティが言う。
ナティはディナイから情報を聞くと、睡眠魔法をかけた上で記憶を消したのだ。
「ディナイの話によると、この時刻に取引は行われることになっている」
あの危険な薬の仲買人が、ディナイの隊商の中に紛れ込んでいたのだ。しかし、その男を明るい内に見つけだすことはできなかった。そこで、取引している現場を押さえようということになったのだ。
「だが問題が一つある。俺たちがこの町に来て二日目だってことだ。ディナイの仲間の取引は昨日の内に終わっているかもしれない」
ナティが続けて言う。
「ディナイの仲間のは、な。だが、また別の奴らが来るだろう。薬の仲買人は一人じゃない」
カムがナティに言葉を返す。
「もういいだろう。ここから先は私語をするなよ。それに足元にも気を付けてろ」
ユメが二人に向かって黙るように言った。
いつの間にか、五人はもう宮の門の前まで来ていた。
勿論門は閉じている。五人は塀を乗り越えた。
宮の敷地内に潜入した。虫の声と、風が草木を揺らす音以外は何も聞こえてこなかった。
「本当に……」
取引は行われているのか?
言おうとして、カムは口をつぐんだ。取引をするには話す必要もあるだろうが、見張っているのに話す必要はないのだ。
暗闇の中、明かりを点けることはできない。こうなれば、勘と、セイの気を感じる力だけが頼りだった。
長い道を歩いて、宮そのものの前まで来た。問題はどこで取引が行われているか、だ。
ナティは先頭を北の建物へと歩いた。本堂とその奥にある広間、それに南の棟には行ったことがあった。残った北の棟。表からは本堂に隠れて見えないそれこそ、取引に見合った場所ではないか。
ユメたちは宮の裏手から北の棟に入った。それでもまだ、何の音も聞こえない。廊下も明かり一つない。
「二手に別れよう。トライとカムは左へ。俺たちは真っすぐ行く」
小声でユメが言った。それからセイを見る。
セイは黙って人の居る方向を指した。
目でお互い合図する。
三人はカムとトライと別れて、廊下を進んだ。
「心当たりは?」
ユメが聞く。
「いや。そこら中見て回るしか……。とにかく見張りの居る部屋だ」
この棟全てを見て回るだけでも、かなりの時間が必要だろう。床が音を立てないのをいいことに、三人は走っている。
大体、明かりが点いている部屋の前は危険で、人の出入りを避けなければならない。人が通り過ぎるのを待って、見つかることも覚悟の上で部屋の前を過ぎるのだ。
運の良いことに、今のところユメたちが居ることは気づかれていなかった。
一階を一通り横切って、二階への階段を上ろうとしたとき上から降りて来る足音が聞こえた。階段を降りるとすぐ廊下で、見通しは悪くない。
咄嗟に、ナティは近くの部屋の扉に手を掛けた。意外にも、扉はスルリと開いた。
中に逃げ込む。相当運が悪ければ、上からの足音の主がこの部屋に入って来ることも考えられたが、廊下に居るよりは見つからない可能性が高い。
じっとして、足音が過ぎるのを待った。
足音が過ぎて、部屋を出ようとする。
「待って」
セイが声を掛けた。
「見て、階段よ」
セイの指す方向を見ると、地下へ降りる階段があった。
「行くか?」
ユメが言う。
「ああ。いかにも、だしな」
ナティがユメに答えて、セイにも同意を求める。
セイも頷いた。
階段を降りる。明かりは全く無かった。手で両側の壁を確認しながらゆっくり降りて行った。
階段を降り切ったさきは、一階と同じようにポツポツと暗い明かりが点けられた廊下を挟んで、両側に部屋があった。
だが、長い間それを見ていることはできなかった。
途中の部屋の前に屈強そうな男が二人、しっかりと見張りをしていたからだ。
ここから見る限りでは、居るのはその二人の見張りだけだった。
「行くぞ」
ユメが言う。
男の内、階段に近い方にいた方がその声に気づき、体をこちらへ向ける。だが、体を向け切らない内に、男はガッという鈍い音と共に床に倒れ込んだ。ナティが鞘に入ったままの剣で男の頭を殴りつけたのだ。
それとほぼ同時に、もう一方の男もユメに後頭部を殴られて気絶していた。
セイが、男の持ち物の中から縄を引っ張り出して、近くの柱まで皆で引いて行って縛り付けた。気が付かれても声が出せないように、布を裂いて猿轡をする。
部屋の扉を開けると、その中にも鍵が掛かった扉があった。
「やっぱりそう簡単にはいかないか」
ナティが言いながら、さっきの男が腰に下げていた鍵束を取り出す。
束というだけあって、十以上の鍵が付いていた。一つ一つ合わせていたら時間がかかるが、それしか方法は無かった。
「ねえ、この中にここの鍵は無いんじゃない?」
半分くらい試し終わったところで、セイが心配そうに言った。
「絶対この中にあるさ」
ナティがそう言ってから、二、三本目で鍵は開いた。
扉の向こう側には、硝子の戸の付いた戸棚が、ずらっと並んでいた。そして、その一つ一つには鍵が掛かっている。どうやら、この沢山の鍵はその一つ一つらしかった。
「分かるか?」
ユメがナティに聞く。
「いや、もっとよく見てみないと分からない」
ナティはそう言って、鍵束から一つの鍵を取り出した。
鍵を鍵穴に入れて回すと、簡単に鍵は開いた。
「すごいわ。どうして? こんなに沢山鍵があるのに」
セイが言う。
「この戸棚だけ、他と違って新しいだろ? 一番奇麗だった鍵を合わせてみただけだ」
ナティはセイの質問に答えながら、中の小瓶を手に取って見ていた。
その小瓶を、何か布でくるんで、持って来た鞄の中にしまった。
「いいぞ」
「もう? このままにしとくの?」
セイにそう言われたが、ナティには彼なりの考えがあるのだろう、元のように鍵を掛けると、部屋を出て行った。
見張りはまだ気づいていなかった。
そのまま一階への階段を昇る。
そこまでは良かったのだ。そう、プラスパーさえ居なければ。
「ちょっと待ってくれ。……プラスパーが、居ないんだ」
先を行こうとする二人を呼び止め、ユメが言った。
「少し軽くなった、と思ったら、いつの間にか居なくなって……」
「いつからだ?」
「そんなに前じゃない」
途中まで昇った階段を降りて、廊下を見渡すが何物も無かった。
まさか、あの部屋に?
ナティが思った時だ。不意に、一階が騒がしくなった。わずかに、警報のような音も聞こえてくる。
「プラスパーのやつ、一体何したんだ」
鍵を探しながら、ナティが言う。
この中にプラスパーは居て、硝子戸を壊すとかしたのだろう。シュラインが操っていない間のプラスパーは、単なる好奇心旺盛な小動物に過ぎない。
「なんでプラスパーなんか連れて来たのよ」
ざわざわという声が近付いて来る中、もう小声で話すのも忘れたセイが言う。
「そんなことは今更言ってもしようが無いだろ。もう遅いんだ」
ナティがそう言い終えると同時に、扉が開き、プラスパーが駆け出して来る。また、階段から数人の人が、ユメたちを囲うように立っていた。
一歩進むと、扉が閉じられ、後ろにも人が回る。本当に囲まれてしまった。
「どうするの。ユメ、ナティ」
セイが聞く。
「どうしようも無いだろう。強行突破だ」
ユメがそう言って、剣を抜く。
すぐにかかって来た男を一人、軽く拳で倒すと、それに倣って、ナティとセイも近くに居る者から次々と倒していった。
「どうする?」
どこへ行くか、とユメが聞く。
「この際だ。薬も見つけたことだし、神子にでも会いに行くか」
「冗談でしょ? この状態で。逃げた方がいいわよ。外に向かって!」
セイが、ナティの言うことを否定する。
しかし、ナティは軽くセイに目配せしただけで、
「神子に会おう」
と決めてしまった。
何人かが、階段を駆け昇って行く。おそらく、このことを神子に知らせるのだろう。
相手は、大した武装もしていなかった。その上、ひどく弱い者ばかりのようだ。
地下に降りて来た人々を、全員なんとかすると、ユメたちは階段を駆け昇った。
昇った先にも、やはり人が待っていた。
「カサテ・ニザ!」
武装した、逆光でよく見えないが、金髪の女が呪文を唱える。
迫り来る炎を、セイとナティは横に回避し、ユメがそれを盾で受けた。そのユメの前に、ユメを庇うようにセイとナティが立つ。いや、勿論、ユメを庇うためではない。コヒの紋章の付いた盾を見せないようにするためだ。
ユメは盾を素早く身を包む布の中に隠すと、紋章が手の中にきて見えない剣だけをかざした。
ユメが剣の柄で女の顔を殴る。
「うっ……」
女は叫んで、顔を押さえて倒れ込んだ。
後に並ぶ、長剣を持った男がユメに切りかかる。他の者たちも、ナティとセイに向かって攻撃を仕掛けてきた。
ユメは、男がかざした剣を払うと、男の首目掛けて剣を突き立てた。男が負けたと知るや否や、仲間の者がユメにかかってくる。だが、その者たちはほとんど何もする事のないまま、ユメに倒されていった。
セイとナティに向かって短剣が飛んで来る。ナティはそれを剣で払い、辺りを見渡した。暗くはあるが、明かりは点いている。にもかかわらず、人影は見えなかった。
「気を付けろ。まだ来るぞ」
別の者の相手をしながら、ユメが言う。
時を待つことなく、今度は別の方向から短剣が飛んで来た。
「一人じゃないのか!」
ナティが言う。
「いいえ、一人よ。少しだけど、移動する時の『気』を感じたわ」
セイが床に伏せたまま言う。魔法使いらしく、布製の防具を身に付けているセイは、剣が掠っても危ない。避けることしかできないのだ。
そこへ、目に見える最後の一人を倒したユメが駆けつける。
今度は前方と後方、両方からの攻撃だ。
「どちらかは幻覚よ」
「どっちがだ?」
「どっちでもいい。両方とも防ぐだけだ」
ユメがそう言って、飛んで来る剣を払い落とそうとする。しかし、それは幻覚だった。
ナティの方を振り向く。がその時、ナティもユメを振り向いたところだった。短剣が床に落ちる音は全く聞こえることなく。
「上よ!」
セイが叫び、その声にユメとナティは同じ側に避ける。
だが、二人の間に居たセイは、避ける間が無かった。
上から降って来たのは、剣ではなく人間だった。顔と胴体の割に、不気味なほどに手足が長い。彼はセイを人質に、ユメたちに向かって話しかけてきた。
「何奴じゃ。……如何なる理由があろうとも、この宮の地下に入った者は生け捕りにせよとの命令じゃ。おぬしらも下手なあがきはせずに、おとなしゅうついて来るがよい」
「何だと。ふざけるな。あれだけ攻撃を仕掛けてきておいて、あがくなだと? もうここまで来たんだ。お前の命を貰って、ここを出る」
ユメが言って、剣を構える。
「戦うつもりか? この女を殺すぞ、いいのか?」
男がセイの首に短剣を近づける。
ユメはその様子を見て、わずかに笑った。
「くだらない――」
ユメはそういうと、男に向かって剣を上げた。
「何のつもりだ。仲間が殺されても良いのか?」
男が命乞いをするかのように叫ぶ。
だが、ユメは構わず剣を振り下ろした。
セイを捕まえていた腕が緩み、セイが逃げだす。
「生け捕りにしなけりゃならないもので、脅しなどかけるからだ。愚か者が」
まだわずかに息があった男に向かってそう言うと、ユメは男の頭を蹴飛ばし、その息の根を止めさせた。
「そこまでだ」
低く、くぐもった声がした。
声の方へ向かって剣を構えると、声を発した男と、その後ろに先ほど倒した人数と同じくらいの人が構えていた。
「別の二人は既に我らが手中にある。お前たちも無駄なあがきはせずに、降参してはどうだ」
男が言う。
セイが二人より一歩前へ出る。
「ヲポスヨネ」
セイが呪文を唱えると、前方に氷の壁が築かれた。
「今の内に、窓から逃げるのよ!」
セイが言う。
言われずとも、ナティは既に窓を打ち破り、脱出しようとしていた。
ナティが出て、ユメが出ようとする。
「セイも早く」
ユメにそう言われて、セイが窓枠に手を掛けた時、氷の壁は崩れ落ちた。
窓枠に掛けた手を離し、攻めてきた敵へと気を撃つ。
「セイ!」
「わたしのことはいいから早く、早く行って。何人かがそっちへ行くわ」
敵の相手をしながらも、セイは二人に向かって言った。
今ここで捕まったら、何にもならないもの。一人でも逃げて、この宮の不正を暴いて。
「チヌ・ペハチ」
セイの回りに、幻覚の炎が広がる。幻覚とはいっても、それは術者の力で、本物となるのだ。
石の床が赤く熱を帯び、木で作られている窓枠が燃え出す。
セイ自身も、直接被害が来るわけではないが、周りが燃えている以上、熱はセイにまで及んだ。
火が廊下中に広がり、柱を焼く。
セイは、これ程の魔法が使えたのが自分自身不思議だった。
もう限界だわ。この建物も、わたしも。
セイはそう思った。
幸い、さっきユメたちが壊した窓が開いている。セイはそこから外に出た。だが、数歩も行かないうちに、セイは冷たい芝の上へ倒れ込んだ。
体の半分が熱を感じていた。目の前の建物が、その全てを火で包み、燃えているからだ。
喉が、まだ痛かった。
信じられない。まだ生きているのね……
セイは思った。が、もう一度立ち上がることはできなかった。
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