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最後の戦士達

第八章

最後の闘い

9(後)

 砂埃が消えた。
 目を開けたユメたちが見た物は、見晴らしが良くなったキフリの宮の土地だった。宮その物は無残なものだった。
 崩れた宮の端で、ユメたちの不意を突いて、一際大きな崩壊音が聞こえた。
 崩壊音ではなかった。
「!」
 巨大な、――今までとは比べ物にならないほど大きな――蜘蛛が、五人の前に瓦礫の下から姿を現したのだ。
 そこは、ウィリーが居た場所に違いなかった。
「ウィリーまでもが薬を!?」
 シュラインが驚きと悲しみの混ざった叫びを上げる。
 大蜘蛛はゆっくりと、体をユメたちの方へ向けた。
「そうではない」
 意外なことに、その大蜘蛛は口をきいた。
「我は遥か昔にこの世に降り立った者。一度は滅ぼされかけたが、二度とは同じ過ちはせぬ。その為に、キフリの神子の体を借りた。奴め、神に仕えるなどとは口先ばかり。その心は暗く、我にとって住み良き場所であった。もっとも、今の地震で体は死んでしまったがな」
 言って、大蜘蛛は瓦礫から外へ這い出た。
 その姿は黒く、『魔』という名そのものを表していた。そして良く見ると、――悍ましいことだ――その腹には人間の顔が幾つも幾つも浮かび上がっていた。
 その中に、アブソンスやハーリーの顔もあった。
「ハーリーを殺したのは、アブソンスじゃない。こいつだったのよ!」
 セイが言う。
 セイは両手に気を込めた。そしてそれを一気に大蜘蛛に向かって撃つ。しかしあとわずかというところで、大蜘蛛の頭を掠めただけに済んだ。
 繰り返し気を溜めようとするセイに向かって、大蜘蛛は呪文を唱え始めた。
「させるもんか!」
 トライが大蜘蛛に駆け寄って、その頭を蹴り上げる。だが、さほど効いた様子はなく、逆に大蜘蛛の腕で殴り飛ばされてしまった。
 その間に、大蜘蛛の呪文が完成していた。
 炎だ。今までにも何度か炎の魔法は見てきたが、それなど比較することもできないほど、強い魔法だった。これなら、セイとカムが二人がかりで壊したキフリの宮の地下牢の壁も、何の苦労もなく崩せるだろうと思われた。
 もっとも、魔法を受けたセイ自身はかなり我慢できる熱だった。ディナイから貰った首飾りが、魔法の効果を押さえているのだ。
「ヘルユハプ」
 簡単な水の魔法で、炎は消えた。
「もう、ススで汚れちゃったじゃない」
 セイは言った。
「炎を防ぐ魔具か。しかし、それでは雷は防げまい」
 大蜘蛛の言葉に、はっとして五人は天を見上げた。
 いつの間にか、月も星も雲に隠れていた。
「天の精霊の力か――!」
 ナティが言う。
 その直後、雷がセイにおちた。
 セイは言葉を発する間もなく、地に倒れた。
「セイ」
 カムが駆け寄って、セイの様子をみた。
 命に別状はなさそうだ。
「我が声を聞け、天の精霊ジーナスよ。汝が力をもって今一度、雷を降らせ」
 ナティが天を仰いで言った。
 空が光り、雷が降りた。
 大蜘蛛が、その光をまともに浴びる。大蜘蛛は叫び声を上げた。
「……そうか。お前が……」
 何かに気づいたように、大蜘蛛が言った。
「ナティ、剣を返せ」
 ナティの返事も待たずに、ユメは剣を手に取って、大蜘蛛へと向かって行った。
 セイは確実なダメージを与えるために、いつもよりも多くの気を集めていた。
 正面から行っても無駄だ。
ユメはそう思って、攻撃するふりをしながら、大蜘蛛がセイの気に気を取られている隙に、大蜘蛛の後ろに回った。
「これで最後だ。ヨヤゾガ・メヤノ」
「天・地・火・水、四神に告ぐ。其が力によりて、我が前に立つ敵、粉砕せよ。其が名、ここに示す。ジーナス、グロード、ヴァン、ウォル。四神仕うるは我が名の元に。我が名はセト」
「トライ、これを使いなさい。あなたになら使えるわ」
 カム、ナティが次々と呪文を唱え、シュラインは口にくわえて来た弓矢を、トライに渡した。
 セイの気が、今度は確実に大蜘蛛の右足二本を落とす。
 バランスを崩した大蜘蛛の腹に向かって、ユメは剣を突き刺した。
 トライが弓を引き、矢を放つ。同時に、ナティの完成された魔法が、白く、大蜘蛛を狙った。
 カムの雷の魔法が、トライが放って今は大蜘蛛の頭に突き刺さっている矢に落ちる。
 最後に、ナティの魔法が、白く、大蜘蛛を囲った。白いというよりは、眩しかった。大蜘蛛の闇と対抗する光のように……。
 辺りはうっすらと明るかった。光りは消え、大蜘蛛は、声も上げず、腕の一本も動かさなかった。
 大蜘蛛の後ろに居たユメが、四人の居る方へ戻って来る。
「やったの……?」
 セイが呟くように言う。
 五人とも粗い息をしていた。特にカムはひどく、崩れるように地に膝を着いた。
「カム」
 セイがカムを支えて立った。
「勝ったん、だろうな……」
 カムが、先のセイの質問に答えて言った。
「そうだね。――わたしたち、ついに目的を遂げられたんだね」
 トライが笑顔になる。
 だが、ユメとナティは、どうしてもこれで終わったという気になれなかった。
 この結末に不満があるわけではない。伝説にいわれた、聖なる血を引き継ぎし者が、その身も共に滅ぼす、というのが違ってしまっているが、それは結構なことだった。自分たち五人の内、誰も死なずに済んだのだから。

 ただ、何かが足りなかった。
「砂……砂にはならないのか?」
 ユメがナティに向かって、出し抜けに聞いた。
 四人ははっとした。
 ユメの言う通りなのだ。なぜ砂にならないのか。
「薬から生まれる蜘蛛が死んだら砂になるのは、伝説に準えたからだ。だから『魔』そのものも、死んだら砂になるはず――」
 ナティが言った。
 いや、まだ言い終わったわけではなかった。言えなかったのだ。
 そう、誰にも止められなかった。カムにも、セイにも、トライにも、……ユメにも。一瞬の出来事だった。
 ナティの表情が、一瞬険しくなった。まだ生きていた大蜘蛛が、自分に向かって来るのが分かったからだ。
 ナティは振り返って、もう一度仲間を見た。
 そうか。これが――俺が選んだ未来……。
 ナティの顔がほころぶ。もう分からないことは何もなかった。ユメのために選んだ未来だった。
 ナティが、皆の驚愕した顔を見ることはなかった。
 大蜘蛛は、四人から少し離れた所に居たナティを、一口で食ってしまったのだ。
 ユメの顔が、怒りに歪む。髪が逆立つように広がった。
「うわぁ――!」
 何を言ったのか、良く分からなかった。とにかく、何かを叫んで、嫌な記憶を一瞬でも脳裏から消そうとした。
 剣を構え、大蜘蛛に向かって走った。だが、集中力を欠いたユメが、大蜘蛛に一太刀でも浴びせられるわけがなかった。
 簡単に数メートル跳ね飛ばされて、ユメは翻筋斗[もんどり]うって倒れた。
 残った三人も同じだった。攻撃しようとして、逆に瓦礫の上に跳ね飛ばされる。
 ユメは背中を強く撃って、一時は動けなかった。それでも何とか目は開けて、様子を見た。
 大蜘蛛の腹にナティの顔を見たとき、ユメは怒りで痛みなど忘れて、もう一度大蜘蛛に向かって剣を振るった。だが今度も、相手には掠り傷を負わせたぐらいで、瓦礫の上に投げ飛ばされてしまった。
 四人とも、立ち上がろうにも立ち上がれなかった。地べたに吸い寄せられるようにしてはいつくばってるのがやっとなのだ。
 気丈にも、セイは立ち上がった。
「セイより先に倒れてたまるかってんだ」
 言って、カムも立ち上がる。
 続いて、ユメもトライも立ち上がった。
「愚か者どもめが。さっさと死ねば、すぐに楽になれるものを」
 大蜘蛛は四人を嘲って言った。
 が、次の時、大蜘蛛は動きを止めた。探るように動いていた六本の腕が、動かなくなったのだ。
 どうしたんだ?
 ユメは思った。ユメだけでなく、他の三人も、そして大蜘蛛自身もそう思っただろう。
『みんな、聞こえるか? 俺だ。俺は奴の腹の中に居る。少しの間だけなら、こいつを止めていられる』
 ナティの声が防具に付いている石――もうほとんど見る影もなかったが――を通して聞こえて来る。
『今の内に、こいつを殺してくれ』
「でも、そうしたら……。ナティはまだ生きているんでしょう? ナティまで死んでしまうわ」
 シュラインが言う。
『……俺はもう死んでいる。今喋っているのは、俺であって俺でない。いいから早く! もう方法はこれしかないんだ』
 ユメが剣を持ち直した。ナティの言う通りにするつもりなのだ。
「ユメ? やめて、ユメ。まだナティは生きているに違いないわ。だから待って」
 セイが言う。ユメのことを思って言ったことだった。
 だが、ユメは耳を貸さなかった。
 剣を構え、動きを止めた大蜘蛛に、正面から切りかかる。そう堅くもない大蜘蛛の皮膚が割れて、濃い赤をした血が吹き出して来た。
 ユメはその返り血を浴びながら、なおも大蜘蛛に、深く剣を突き刺した。
 大蜘蛛は、声とは言えないほどの恐ろしげな悲鳴を上げた。同時に、この蜘蛛によって殺された数千、数万の人々の叫び声が聞こえた。
 多分、空耳であろう。そんな多くの声の中から、ナティ一人の声を判別することは不可能だから。しかしユメには、ナティの叫びが聞こえていた。

 最初に会った時は、命乞いをする臆病な奴だと思った。だが違った。ナティは臆病ではない。敵と遭遇した時は、ユメを庇ってくれた。
 他に、女のようだという印象も受けた。だがやはり違う。ユメには、ナティが誰よりも男らしく見えていた。それは、初めてナティに叱られた時から思っていた。
 色んなことを、ナティと話した。ナティはユメが知らない沢山のことを知っていて、教えてくれた。けれど、ナティは最後まで、ユメに話さなかったことがある。
 それは、ナティが――死を覚悟していたということ。
 『死にたくない』とナティは言った。だがそれも嘘だった。最初から、死ぬつもりだったのだ。そうでなければ、こんなにあっさりと、『俺は死んでいる』と言えるはずがない。
『二人で生命の星に行こう』
 ナティはユメにそう言った。
『この旅が終われば』という条件が付いていた。
 旅は終わらなかった。途中で、投げ出されてしまった。
 なぜなら、ナティは死んでしまったのだから。

 守れない約束なら、なぜした。俺をからかったのか?
 全ての思い出が流れて行った後、ユメの心には何も残っていなかった。
 ナティが死んで、その先は真っ白だった。今まで、かすかにだが見えていた未来も見えなかった。遠い未来も、近い未来でさえも。
 何もない。
 ユメは思った。
 不意に、現実に戻される。大蜘蛛が、バランスを崩したのだ。
 大蜘蛛の背から落ちたユメは、すぐにその息を確認した。
 完全に、止まっていた。大蜘蛛は、『魔』は倒れたのだ。
 ユメは大蜘蛛の腹に剣を突き立て、裂いた。
「ナティ」
 名前を呼び、大蜘蛛の腹を探す。ぬるりとした感触で、腹の中は満たされていた。
 大蜘蛛の手足が砂に変わり始める。
「ナティ、ナティ」
 急がないと、ナティまで砂になってしまいそうだった。
 やっと、ナティを見つけた。大蜘蛛の腹から引き摺り出す。
 ナティを包んでいる透明の粘膜のようなものを、剥がしていく。
「ナティ、大丈夫。大丈夫だから」
 息をしていない。わかっていた。
 体が砕けていなかっただけでも良かったのだ。
 嫌だ! それじゃ駄目なんだ。生きててくれないと、駄目なんだ。
 離れた所に居た三人が、ユメの元に駆け寄る。
「気を送るわ」
 セイが言って、残った気力でナティを治療しようとした。
 カムも魔法を使う。
 風が吹く。
 大蜘蛛の体が、辺りに散った血が、黄色い砂となって風に運ばれる。ユメの体に付いていた返り血も、砂になって流れて行った。
 静かに、ナティの鼓動が、聞こえてきた。

第八章 終 (第九章に続く)   

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