11(エピローグ)
雪が降る。リルスの出身の地方に比べれば、海が近い王都は雪も少ない。それでも、この寒さでは相当積もるだろう。
リルスは学生寮の自室で絵を描いていた。
冬休みに入って、相部屋のステフは実家に帰っている。リルスも叔母の家に帰るつもりだったのだが、王子の婚約者として、年末年始は挨拶に回ったりしなければならなかったので仕方ない。
寮の前の通りを馬車が走る音が聞こえてくる。その音は寮の前で止まった。
リルスは絵を描く手を止めた。
あの音は、エウルニーズが使っている馬車の音だ。
部屋のドアを叩く音がしたので、リルスはエウルニーズを迎え入れた。
「寒くないですか?」
白い息を吐きながら、エウルニーズが聞く。
城はいつも適温に調節されているので、家の中がこんなに寒いのは、エウルニーズには不思議なのだろう。
「ちょっとだけ」
リルスが笑う。
エウルニーズはリルスの冷たい手を取って、指先に口付けた。熱い息が指先に掛かる。
「すごく冷たい。本当に大丈夫ですか?」
あの後、祖父からの財産をもう一度整理して、リルスは学生寮に戻ることにしたのだ。自分でやれるだけやると言って叔母の元を出たのに、エウルニーズに世話になっているのでは意味がないと思ったのだ。
それに、城では自由に絵を描くことができない。汚れるから駄目などという小さな理由だ。エウルニーズは、自分が父王に頼めば許可してもらえると言っているが、そんなことまでエウルニーズに頼る必要はないだろう。学業は続けたいし、それなら城からよりも寮から通う方が近くて良い。エウルニーズと一緒に長く居たいとも思うが、今は絵を描きたいという気持ちの方が勝っていた。
「漆黒から手紙が届きましたよ」
エウルニーズは上着のポケットから白い封筒を取り出した。漆黒とはあれ以来会っていないのだが、エウルニーズのところに手紙は届いている。その手紙も公共の郵便を利用したものではなく、誰かからか手渡しで回ってくるものだった。
封筒から手紙を取り出す。一緒に、綺麗な色柄のものが落ちてきて、リルスはそれを拾い上げた。柔らかくて、手触りが良い。
「孔雀という鳥の羽根だそうです。本当はもっと長いものなのだそうですが、『封筒に入らないから切った』そうですよ」
エウルニーズが手紙を確認しながら説明する。
その模様は目のようにも見える。しかし彩りは鮮やかだ。
「これ、髪飾りにできる?」
リルスは聞いた。
「ええ。可能だと思います」
答えて、エウルニーズはリルスから孔雀の羽根を受け取って封筒に戻す。封筒は机の上に置いた。
「前に届いた黒い石も首飾りにしましたよね」
「だって、綺麗だったんだもの」
「そりゃあ、綺麗だからこそわざわざ送ってくるのでしょうけど」
リルスの首元を見ると、黒い石の前に首飾りにしたガラスビーズが光っていた。
それをエウルニーズは手に取って少し持ち上げた。
「漆黒からの贈り物ばかり身に付けられると、わたしの立場が無い」
エウルニーズも負けじと色々贈っているのだが、どうもリルスの趣味に合わないようで、リルスは城に来る時くらいしか使っていない。そのことをリルスに言うと、リルスは素直に謝った。
実際は、エウルニーズが選ぶ物はどうも派手で、リルスの普段着と合わないからなのだが、趣味が合わないというのと大差ない。
それでも、エウルニーズが最初に贈った婚約指輪はいつもしている。宝石店でリルスが選んだ指輪を参考に、新たにデザインを書き起こして貰ったものだそうだ。
「絵を描いていたのですか」
奥の部屋にイーゼルが立っているのを見て、エウルニーズは聞いた。
「ええ。でもまだ途中だから」
リルスは描き掛けの絵を見られるのを好まない。エウルニーズは絵を遠目に眺めた。城の絵だが、写実的なものではなく、幻想的な色で包まれていた。
「絵の具が乾く前に、もう少し描きたいんだけど」
リルスが困った顔をして言った。
遠回しに追い出そうとしているようだ。
「では、わたしはもう行きます。リルスもいつでも城に来てください」
リルスの手を取る。
普段なら手の甲に口付けをするのだが、エウルニーズは軽くリルスの手を引いた。予想外のことに、リルスは前のめりに倒れそうになる。エウルニーズはそのリルスを受け止めた。
城に初めて行った日、リルスは慣れない長いドレスの裾を踏んで、同じようにエウルニーズに助けられた。その時は緊張と驚きと嬉しさが入り混じっていたことを思い出す。
エウルニーズはリルスの顔を覗き込んだ。
「リルス、キスしてもいいですか?」
リルスの顔が真っ赤になる。
返事をできないでいると、エウルニーズの顔が近付いて、少し長めの前髪がリルスの鼻先に触れた。リルスはきつく目を閉じた。
それから、唇が触れる。
それだけだった。
「もう、大丈夫ですね」
目を開けると、エウルニーズが安心したように微笑んでいる。
美術館で口づけされた時、リルスは泣いてしまった。それをエウルニーズは気にしていたのだろう。
エウルニーズの優しさが嬉しくて、リルスは自分からエウルニーズに抱きついた。今なら、エウルニーズの気持ちを全て受け止められる気がした。
「今度のダンスパーティにも参加できそうですね」
エウルニーズが笑う。
リルスはエウルニーズを見上げて、瞳を閉じた。
もう一度。
言葉にはせずにねだる。
最初のキスは苦い思い出。二度目のキスはついさっき。三度目は長くて甘い口付けだった。
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