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翌日の出発ということで、急いで旅の準備を始めたが、家には旅に役立つようなものが何も見当たらなかった。
思い起こせば、この村では遠出などしたことがない。
衣服を入れる鞄もない。
仕方ないので、隣の家の人に貸してもらうことにした。親の居ないリリーにとって、実の母親のように接してくれた人だった。
事情を説明して、返せないかもしれないから、家にあった保存用の食料を分けて、鞄の代金ということにしてもらった。
「これを持って行きなさい」
隣の家の婦人は、小さな包み紙に入った何かを、リリーに渡した。
「?」
「あんたがここに来た時に持っていた竜の皮を煎じたものだよ」
リリーが悲しそうな顔で婦人を見た。
「エルフと一緒に行くんだろう。どうしてもって時には、それを使いなさい。それからこっちも」
もう一つの包み紙を取り出す。
「こっちは竜の皮に対する毒消しなんだけど……、逆に人族には毒だからね。竜の皮を使ってもこの毒は消せない。もし、あんたがどうしても辛くて耐えられなくなったら、これを使いなさい」
婦人も辛そうな顔をしている。
「大丈夫よ。おばさん、ありがとう」
リリーは婦人に言って、貰った包み紙を二つとも小さな鞄にしまった。
服や食料を用意して、婦人に借りた鞄に詰めた。村長に町まで何日掛かるか聞いたところ、丸一日あれば着くということだった。休みながらでも三日掛からないそうだ。
義弟達が帰ってきて、いつもより少しだけ豪華な夕食を食べた。
「リリー姉ちゃん、どっか行くの?」
普段見かけない大きな鞄を目にした弟が聞いた。
「町へ行くのよ」
「へぇー。いいなぁ。僕も行ってみたい」
「大きくなったら、行けばいい。でもね、町は別に良いとこって訳じゃないから、それは覚悟しときなよ」
義姉が嗜めるように言った。
「いつ帰ってくるの?」
小さな甥っ子が、たどたどしい言葉で、リリーに尋ねた。
「さあ? わからないわ」
「えー。遊ぶ約束は?」
「ごめんね。大事な用事なの。帰ったら、一緒に遊ぼうね」
「うん!」
笑顔で会話する。
本当は、帰ってこられないと思っている。竜殺しという異名は、別に他の人より竜に対して強い力を持っているからそう呼ばれたわけではない。竜を倒すなんて無理な話だし、竜が住む場所まで行くのでさえ、厳しいだろう。それでも、エルフの言う通りにしなければならない。そうしないと、村の人たちに何をされるかわからない。
少しだけ豪華な食事は、リリーを送るためのものだった。リリーが皆と一緒に食べられる、最後の食事かもしれなかった。
翌日早く、クレイスとフリードがリリーの家に来た。
義弟達はまだ眠っていた。
「用意はいいか? じゃあ、行くぞ」
リリーは頷いて、小さな小物を入れる袋と、大きな鞄を持って二人の後に付いて行った。
大きな鞄の方は、クレイスが途中で持ってくれた。これではどっちが主人だかわからない。フリードも、本人が持ちたいと言ってるのだから持たせてやってくれと、言っていた。クレイスは話で聞いていたエルフとは印象が違う。よく聞くエルフ像というのは、高慢とか冷淡とか物静かとか、そういうものだ。つまり、クレイスの部下だというフリードが、その印象通りだった。
「リリー、よく決心してくれた。おかげで、誰も傷つけずに済んだ」
クレイスが言う。
暫く歩いて、クレイスの仲間だという九人と合流した。皆クレイスと同じ緑色の髪だった。何となく顔立ちが似て見えて、クレイスとフリード以外が、あまり区別がつかなかった。
「君が竜殺しのリリー? 話は聞いてたけど、驚きだね」
そのうちの一人が話しかけてきた。
「だよな。小柄って聞いたけど、本当に小さいなぁ」
「人族ってみんなこんなもん?」
「そんなことはない。でかいのから小さいのまで色々居るさ」
「まあエルフも種族によって色々居るもんな」
口々に喋りながら、続けて自己紹介をしていく。一度に言われても、リリーには覚えられなかった。
エルフなので正確な年齢は分からないが、それほど歳を取っているようには感じなかった。
「クレイス、それこの子の荷物ですか?」
クレイスが持っている大きな鞄を指して言う。
「俺が持ちますよ」
「ああ、丁寧に扱えよ」
鞄をそのエルフに渡して、そのエルフから代わりに剣を渡される。
「クレイスの剣、ちゃんと預かってましたよ。傷もつけてないですからね」
渡された剣を、クレイスは鞘から抜いて確認している。片刃で細身の長剣だ。
「んー。ありがとう。まあ、剣の傷は打ち直せばいいから、気にする必要はないぞ」
「そんなこと言って、前めちゃくちゃ怒られましたよ、俺」
別のエルフが言う。
「ああ、あれは客に頼まれたものだったから」
剣を鞘に戻して、クレイスは言った。
合流した九人は、みな陽気な雰囲気だった。冷淡だと感じるのは、ここではフリードひとりだ。エルフというのは聞いていたのと違って、基本的に明るいのかもしれない、とリリーは思った。
「この連中を、標準のエルフだと思わない方が良いぞ」
フリードが歩調をリリーに合わせて言った。
「この者たちは、少し、落ち着きが無い」
「そうなんですか」
考えていたことを見透かされたようで驚く。
「あの小さな村から出たことなど、ほとんど無いのだろう? エルフは人族を自分達と同列だとは考えていない。村を出たら、お前は一人きりになる。誰もお前を助ける者は居ない」
冷たい目だ。
「おい、フリード。リリーに変な事吹き込むなよ」
他のエルフたちに囲まれていたクレイスが、二人を振り返って言う。話の内容は聞こえていないのだろうが、雰囲気で感じ取ったらしい。
「わかってますよ」
フリードはクレイスに顔を向けると、笑顔で言った。
その豹変ぶりが、何か恐ろしい。
エルフというのは、フリードみたいなひとが多いのかもしれない。
クレイスに釘を刺されたからか、それからフリードはリリーに話しかけてこなかった。
「リリー、町へ行くのは初めてか?」
クレイスがリリーの横へ並んで話しかけてきた。
「え、ええ。まあ」
「そう。町には、おいしい食事とか綺麗な服を売ってるお店が沢山あるのだ。わたしの住んでいる町ではないから詳しくはないが、来る時に寄ったおいしいお店に、リリーも連れて行ってやる」
「ええ」
リリーは答える。あまり興味がなかった。店というもの自体を、リリーは詳しく知らない。見たことがない。話に聞いたことがあるだけだ。だから、クレイスが言うことがよく理解できなかった。
夜には町に着いた。
町を突っ切る大きな道の両側を、幾人もの人族が灯りを持ってゆっくりと歩いている。そのおかげで、道は明るかった。
道沿いの店に一行は入った。店の中はエルフばかり沢山居て、リリーには場違いのような気がした。
エルフ族の髪の色は緑色だけではない。人族と同じように茶色の髪だったり、夕日のように赤い色をしていたりと、鮮やかだった。
大きな円卓を囲んで、全員が椅子に座った。リリーはクレイスの隣だった。クレイスを挟んだ向こう側に、フリードが居る。フリードと隣合わなくて、リリーは少しほっとした。
注文を聞きに来たのは人族の娘だった。リリーとそんなに歳は違わないだろう。小奇麗な服を着て笑顔を振りまいている。
クレイスたちはリリーが聞いた事も無い料理を次々と注文した。注文を取りに来た娘はあまり要領がよくないようで、何度も注文を繰り返し確認していたが、やっと注文を取り終えたようで、厨房の方へ戻って行った。
しばらくして、料理が次々と運ばれてきた。給仕はさっきの娘だけではなく、エルフの娘も居るようだ。
「すいません。これ注文したのと違うんだけど?」
食卓を囲んでいたエルフの一人が言った。
エルフの娘が手元の石版を確認している。人族は文字が書けないから、人族の娘が取った注文を厨房で待っているエルフの娘が文字にして書き留め、それを厨房へ持っていく仕組みにしている。
「もうしわけありませんでした。元は何をご注文でしたでしょうか?」
エルフの娘が笑みを浮かべながら、尋ねる。もう一度注文を取ると、給仕をしていた二人の娘は厨房へ戻って行った。
とりあえず、来ている分を食べることにした。
「何考えてるの?」
厨房から、エルフの娘の声が聞こえてきた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
泣くような声も聞こえてくる。
「でも、わたしは間違えてなんか……」
「あなたさっき『ごめんなさい』って謝ったじゃない。それは罪を認めてるってことなのよ」
「ごめんなさい。わかりました。だからぶたないで下さい」
「顔が綺麗だから買ったんだけどねぇ。こんなに鈍臭いとは思わなかったよ」
厨房の方から、別の男の声もしてきた。
買った?
リリーは驚いたが、町では珍しいことではなかった。元からエルフの所有物と考えられている人族はもちろん、支配された国のエルフ族でも、奴隷として売買されている。むしろ、リリーが育った村が、少し変わっていたのだ。
「ほら、お前もあんまりぶつから、顔の形が変わってきたじゃないか。いたるところに青あざ作ってるし。これじゃ使い物にならないねぇ」
「そういえば、いつも来る町長さんの娘さんが、大きな牙の魔族を飼っているそうよ。人族しか食べられない種族なんだけど、なかなか餌になる人族って居ないでしょ。いつも飢えててかわいそうって言ってたわ」
「じゃあ、こんなのでも、町長さんにあげれば喜んでくれるかねぇ?」
ぞっとする話だった。魔族を飼うというのも信じられない。人族を餌にするなんて、信じられない。
どうにかならないのかと、隣に座っているクレイスを見てみる。
「ん。どうかしたのか?」
クレイスが気づいて言った。
「あの」
目配せだけで、厨房で何かが起こっているということを伝えられないかと、リリーは視線を向けた。声に出して言うと、周りのエルフの反感を買ってしまいそうだったから。
「ああ。そうか。リリーは、あの娘を助けたいか?」
聞かれて、頷く。
クレイスが立ち上がって、厨房へ向かった。
クレイスが居なくなって、その向こうのフリードと目が合う。
しかしフリードは何も言わず、すぐに食事に戻った。
しばらくして、クレイスが戻ってきた。やけに厨房が静かだ。
「買った」
「何を?」
フリードが尋ねる。
「今用意させてる。リリーも人族が一人では心細いだろう」
会話を聞いてほっとする。しかし、やはりクレイスも人を売買するのかと思うと、なんとも言えない気分になった。
「店主め、代わりにリリーを寄越せなどと言うから、殴っておいた。この店は気分が悪い。食べて終わったら、すぐに移動だ」
「あいよ」
「飯はうまいのになぁ」
「さっさと食おうぜ」
口々に言いながら、手早く食事を済ませる。
金を払って店から出ると、店の外にさっきの人族の娘が立っていた。
「あの、よろしくお願いします」
そう言って、頭を下げる。不安そうな顔だ。殴られた跡が痛々しい。
「わたしはリリー。あなたの名前は?」
リリーは娘に声を掛けた。エルフにあれだけ酷い目に合わされていたのでは、クレイス達とはあまり会話もできないだろうと思った。
「わたしは、お店でエレナと呼ばれていました」
娘が答える。
呼ばれていたと。
「本当の名前は?」
「無いんです。生まれた時から奴隷だったので。主人が呼びたい名前で呼んでくだい」
視線をクレイスに向けて言った。
「ああ、そうか。じゃあ、面倒だからエレナから頭の音を取ってレナでいいか」
とても適当に名付けたように思ったが、レナは嬉しそうに何度も頷いていた。
「あなたも、クレイス様の奴隷ですか?」
レナがリリーに尋ねる。
「わたしは、そういうんじゃないんです」
奴隷として連れて行かれているのではない、と思っている。
「リリーはわたし達の仲間だ。まあ、レナも奴隷とか身分はあまり気にするな。わたしの物である限り、不自由な思いはさせない」
クレイスが言う。
周りのエルフがそれを聞いて笑った。
「またクレイスが口説き始めたよ」
「ちょっとでも器量良しだとすぐこれだ」
「何人奴隷を買ったっけ? もう入りきらないぞ」
「レナは俺の奴隷になれよ。クレイスほどじゃないが、良い家持ってるんだ。嫁も喜ぶぞ。話し相手が居なくて暇だとか連絡取るといつも愚痴ってたから」
「レナ、荷物持つよ」
「抜け駆けかよ。ずるいぞ」
この九人のエルフは、いつも騒がしい。
「レナはクレイスが買ったのです。クレイスの許可なく勝手な事をしないように」
フリードが言うと、九人は静かになった。
それでも、レナの荷物は誰かが預かった。
夜通し歩き続けた。町はすでに後ろに遠ざかり、畑が広がるだけになっていた。
エルフ族は疲れを知らないのか、歩みが遅くなることもない。眠ることもないのか、誰も眠いと言い出さない。
「リリー、大丈夫か?」
足取りが危うくなってきたリリーに、クレイスが声を掛けた。
「ごめん。もう限界」
リリーはクレイスの腕に倒れこんだ。
「店ではあまり休憩する時間がなかったからな」
クレイスが呟いて、リリーを背負った。リリーは眠ってしまったようだ。
レナの方は夜起きているのに慣れているのか、まだ平気そうだった。
レナが眠ったら、その時はさっき奴隷に欲しいと言っていた誰かに託そうと、クレイスは思った。
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