13
リリーの目の前が、赤一色になった。赤色が揺れて、暫くして、それが竜の尾だと気付く。助けに来てくれたのか、それとも、青い竜と同じようにリリー達を襲いに来たのか、判断がつかなかった。
縋る思いで、その尾に向かって手を伸ばす。
しかし、赤い影はリリーの前から消えた。
赤い竜が飛び立ったのだ。
尾が持ち上がるのにつられて、リリーも顔を上へ向けた。視界が定まらない。輪郭が二重にも三重にも見える。
赤い影が高く昇って、別の影とぶつかったように見えた。二つの影が降って来る。
何?
目を凝らそうとするが、やはり視界は悪いままで、ぼやけた風景しか見えなかった。目を凝らして暫く経つと急に視界が綺麗になるのだが、すぐに輪郭が何重にも見えて、それすらも瞬きすると元のぼやけた景色に戻ってしまう。
そのまま影が地面に落ちて、大きな音が鳴った。広場にあった巣の上に落ちたようだ。木が折れる音が響いた。
砂煙で二つの影が見えなくなったが、強い風が吹いてすぐに砂煙を吹き飛ばした。青い竜の羽ばたきで起こった風だった。
竜同士が戦っている。
やっと、リリーは状況を理解した。
空に舞い上がった青い竜が、リリーの方へ近付いて来た。
咄嗟に、頭を守る為に手を上げようとしたが思ったように動かず、手は地面に向かって垂れているだけだった。
体の自由が利かず、地面に伏せることすらできなくて、リリーは自分に向かってくる青い影を凝視するしかなかった。
青い竜がリリーにその爪を向けた時、赤い竜が低く飛んで来て、青い竜の首筋に牙を立てた。
竜が叫びを上げ、暴れる。
しかし、赤い竜がよほどしっかり咥えているのか、暫くすると青い竜は暴れるのを止めた。
「駄目っ!」
リリーが言う。
声は掠れていたが、その声に反応したようで、赤い竜は青い竜から離れた。青い竜がその場に横に倒れる。
『どうして?』
赤い竜が首を傾げた。
『助けて欲しいんでしょう?』
顔は遠くて、どんなに目を凝らしてもよく見えず、竜が何を考えているのかなど、リリーには全くわからない。
「助けて欲しいけど、あなた達に争って欲しいわけじゃないわ」
赤い竜は首を下げて、リリーのすぐ側に顔を持ってきた。
『エルフの方を残せば、君は自由にしてくれるって、言ってる』
「駄目よ」
すぐに答える。
「このひとと一緒じゃなきゃ嫌」
言ったリリーの顔に、赤い竜の息が掛かった。
『ふう。仕方ないなぁ』
赤い竜が顔を上げる。
首だけ、後ろに倒れている青い竜に向けた。
直後、地面を揺るがすような咆哮が赤い竜から発せられた。
青い竜がゆっくりと起き上がり、そのまま飛び立つ。
島の色んな方角から、同じような咆哮が聞こえてきた。
赤い竜は暫く島の中央の方へ顔を向けていたが、またリリーに顔を向けた。
『行こう。そのエルフは、リリーがしっかり掴んでてね。僕が触ると不味いんでしょ』
リリーは頷いた。
リリー自身も意識は朦朧としているように思ったが、クレイスをこんなところに置いて行ける訳がない。さっき赤い竜がした行動の意味はわからないが、また青い竜が戻ってくるかもしれないのだ。
クレイスが持ってきた鞄の口を縛っていた紐を引き抜いて、それで自分とクレイスの足首を縛る。
もし自分の体力が無くなってクレイスを支えきれなくなった場合でも、離れ離れになってしまわないように。
『背中に乗って』
竜が言って、体を低くする。
しかしリリーは立ち上がる力も無かった。その上、クレイスを支えながらなど、不可能だ。
困っていると、竜はリリーの服の襟を噛んで持ち上げ、自分の背に乗せた。
クレイスの体を抱き留める。
『行くよ』
竜の声が聞こえて、宙に浮かんだ。
竜の背は、見た目よりもゴツゴツしていなくて、乗り易かった。
竜が大きく羽ばたいて、更に上空へ上がる。元気だったら、この状況を楽しむことができたかもしれない。しかし、リリーはクレイスを支えるだけで精一杯だった。
「なんで、青い竜は許してくれたの?」
尋ねる。
『許すというか、あいつ、自分が見つけたから自分のものだって言ってたんだよ。僕のだって言ってみたら、人族ならあげるって言われて。でも、リリーにはそのエルフが必要なんでしょ? だから、僕は島を出るからって言ったら、譲ってもらえた』
「島を出る?」
『そうだよ。人族の言葉で言うと、餞別ってやつだね』
「そうじゃなくて、良かったの? 島は、あなた達の故郷じゃないの?」
視界は酷くぼやけて、竜の声も遠くに聞こえる。
『故郷だよ。でも、僕は自由なんだ。どこへ行っても良いんだよ』
どこまで上がっているのか。
ぼやけた視界は、今は淡い水色一色で塗り固められ、自分の位置を示すような物は何も無かった。そう気付いた時に、リリーの意識は遠退いて行った。
『リリーが僕に自由をくれたんだよ』
竜の声は、優しく聞こえた。
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