エッセイと言うか、作文と言うのか、思いついた時に。


2005/01/15(Sat)  いのち について考える
いつもいつもマジメに、いのちについて考えている訳ではない。

だが、いのち、人間とか身近な動物のいのちだけではなく
物にも いのち があるような気がして
物を粗末にしないように 暮らしている。

と言って大それた事をしているのではなく
朝新聞に入ってくるチラシで裏が白く、文字の書きやすい紙を仕舞いこむといった
他人には言いたくないような些細な積み重ねなのです。

(もったいない と思う。裏まで使い切れば、紙も『いのちを全うした』と喜ぶのではないか)

一方では、紙一枚何円で、沢山のチラシの中からそれを選びだし
使えるように、切ったりする手間と時間を考えると
どっちが無駄なのか、ハテ?
と思考が止まる時もある。

これは戦争が終わった頃に子供だった日本人
育ち盛りに食べる物がなく、いつもひもじい思いをしていた世代の人間
わたしと同年代の人はみな同じじゃないのかな。
誰に命令されなくても、いのちを大切にする習慣を持っていると思う。

万物に神が宿ると信じ、八百万(やおよろず)の神の存在を認める
日本古来の美風、考え方を持った親や社会に囲まれて育ったからだろう。

片親の貧しい暮らしを長年続けた上に、青春時代から歩み始めた演劇の道は険しく
例えば、所属していた劇団は貧乏で
(大道具を建てたりバラしたりする中で曲がった使い古しの釘を)を再利用するために
昼の食事休憩に、一本一本金鎚で丁寧に叩いて、真っ直ぐにする
と云うのが、巡業公演中の女性の仕事のひとつとしてあった位。
そんな暮らしの中で、否応なく
自然、わたしも物を大切にする習慣がついた。あはは。

錦織良成監督が脚本も書き下ろされた『ミラクルバナナ』と云う映画が
わたしの今年最初の仕事になるのだが
(勉強したい子供はいるのに、文字を学ぶために必要な紙がないハイチの話)
錦織監督から現在のハイチが、貧しかった戦争後の日本そっくりだと
お聞きしたので、こんな事も話したくなったのかしら。

ひょんな事からハイチに行った日本の若い女の子が
バナナの木で紙作りを目指す話で、わたしの出演する場は少ないし
話はフィクションだと判りながらも
“学びたい子供たちに紙をプレゼントしたい”と
無手勝流でひたすら頑張る主人公・幸子の生き方に共感を覚え
『フレーフレー、幸子!』のエールを送っている。あはは。

数年前から、吹く風に身を任せようと生き方、考え方を替えた心算だったのに
(するべき仕事には、出逢える不思議)
を感じながら、クランクインを待っている。

   誰が 何処で この不思議を創るのかを知りたい LEIKO



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