2005/02/22(Tue)
寒風摩擦
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<寒風摩擦>だと長い間ずっと、思い込んでいた。
語って聞かせてくれた母は<乾布摩擦>と正しく言ったのだと思う。 だが母も既に亡くなっているので、詳しく正す事も出来ない。
母はまぶしそうな目をして 昭和19年暮れに亡くなった父が、冬の朝にはいつも<乾布摩擦>をしていたと 語った。 それを、つい最近まで<寒風摩擦>だと、思い込んでいたのです。アハハ。
治安維持法に引っかかって、何箇所もの拘置所生活を送る中で 肺結核になり、そのために命を落した父である。
母からは『お父さんは、いつも庭で<乾布摩擦>をしてらした』と 聞かされただけなのだが、わたしは 『父は、拘置所の中でも<寒風摩擦>をしていたのだ』と、思い込んでもいる。 今わたしは起き抜けにタオルで身体をゴシゴシこする。 血圧の低いわたしの冬の朝の行事のひとつで 活力ある一日にするため、手足に血を送ろうとしてのこと。
父の亡くなった年齢を追い越して生きている! 父より年上に成ってしまった!と 気がついた時、父の事だけでなく、若くして死んだ多くの人の無念を思った。 すなおに『平和のありがたさを語るお婆さんに成りたい』と思った。
それが一人芝居に発展したのだが 生きることに精一杯で、父の生前の話を殆ど聞いていなかった。 情けない。
父を思い出すときに出てくるイメージは 庭の柿の木の下で、まだ若い父が、骨ばった上半身を<寒風>にさらし <乾布摩擦>をしている姿である。
(実際に見た記憶はないのに、である。あはは。)
もうすぐ春。雪の新潟に早く春が来るよう祈っている LEIKO
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