エッセイと言うか、作文と言うのか、思いついた時に。


2005/04/18(Mon)  贅沢な 朝
桜が満開で、雨上がりの早朝だけの贅沢。

「胸がキュンとしました 」
Shall We ダンス?のDVDを購入して,久しぶりに観ました.いつ観ても同じところで笑い,同じところでホロッときて,10年前に戻ったようでした.
私はたまこ先生と杉山さんがダンスホールで会って,たまこ先生の「まあ,うれしい!でも無理しなくていいのよ!」って部分がものすごく好きです.このシーンを観ていつもたまこ先生にダンスを習いたいなと思ってしまいます.
私は今,数学の先生をしています.たまこ先生のように,生徒といつも一緒で,それでいて押えるところは押えている,そんな先生になれるように日々がんばります.たまこ先生もいつまでもがんばってください.失礼いたします



4月14日の朝、HPの掲示板に、こんな書き込みを見つけて
いつも以上に元気な足取りで【早朝散歩】に出た。

(明日天気が好かったら、早起きしてさくらの絨毯の上を歩こう!)
と楽しみにしていたので、6時半に眼が覚めた。

それもその筈、前の晩は8時前に早寝を決め込んだのだ。
パソコンに夢中になって、眼の奥がどうしようもないほど痛くなり
家族に肩を揉んでもらったり、湿布薬を貼って唸っていた事が嘘のよう。あはは。
    
家から程近い西久保公園の桜の絨毯は、濃いさくら色。
(西久保公園はちいさいのに、桜だけでも40本近くあるので、一面見事にさくらの花びらの絨毯でした)
桜の花びらが、あまりにもきれいに散り敷かれているのを見て
梶野橋までの散歩予定を、急遽小金井公園までの遠征に変更して
ズンズン歩く。

落ちたばかりの桜の花びらが湿り気のある土の上で 、
ふわふわ踊っている。

桜が満開で、雨上がりの早朝だけの贅沢を全身で味わう。
土の柔らかさも含め、何ともいえない浮遊感を味わう。

普段は詩心なんてま〜るで無い人間なのに
「このふわふわ感は、帰る時間には無くなっているのよねぇ」
なんて呟き、いっぱしの詩人に成った気分。

“木村公園のしだれ桜は今日が満開だ”等と
我が武蔵野の豊かな自然を誇らしく思いながらも
散歩のもうひとつの目的も忘れない。
“全身の活性化のためだ!”と大またで、歩く。

玉川上水べりの、散り敷いたさくらの絨毯の小路を歩く。
こんな時に風が吹く。桜ふぶき。もう堪らない美しさ。
両脇の桜からの桜吹雪に包まれ、花びらの絨毯の上を歩いていると
気分が高揚してくる。

お姫さま・トップファッションモデル・美智子妃殿下・ふふ。
美しい人の真似をして歩きたくなる。
実際にマネをして歩く。
(楚々として・颯爽と・しとやかに〜と、気取って歩く。あはは。)

ほぼ1時間で小金井公園。
広い公園なのに、思っていた通りにさくらの絨毯が広がっていた。
小休止と洒落込み、売店で温かい紅茶を買い
ポケットの鯉のエサ用の、パンの耳をかじった。

立ち去りがたくて
さくらの絨毯の敷き詰められた、雨上がりの柔らかな土の上を
子犬みたいにクルクルぐるぐる矢鱈に歩き回った。
そして、いつものように
梶野橋の上から、パンの耳をちぎって投げた。

わたしが半分ピン撥ねしたとは知らずに、鯉は大きな口を開けている。
上流から流れてくる花ビラとパンを、的確に見分けてパクリと食べる。
しあわせ気分での帰り道、けやき橋の大欅あたりで鶯の声!

(若緑の葉っぱは、まだ大きくはなっていないので見えるハズ!!)
こう云う時のためにと眼鏡を掛けて、啼き声を頼りに探す。
(5分以上も眼を凝らしてみたが、見つけられず仕舞い!う〜ん。)

ほんの何年か前までのわたしは、こんなわたし自身を
『人間の脳が一番活性化している、大事な午前中に遊ぶなんて!!』と
叱っていた。

生きるのに精一杯で、自然と語る時間もゆとりも丸で無かった。
(必要以上にアクセク生きていたのかもしれないなあ。)
変わったのは、たま子先生と出会えた頃からなのだろうか
“人間そうカンタンには死なない!”と信じられるようになったのは?

(あの頃から気が楽になったのかもしれない。)
生きる事が嬉しく・ありがたいと思えるようになったのかも知れない。

      「神サマ、贅沢な朝をありがとう」 LEIKO


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