エッセイと言うか、作文と言うのか、思いついた時に。


2005/05/12(Thu)  『九あらば 楽あり』
役得とでも言うのか、仕事の最終日に花束を戴くことがある。
昨日終わった火曜サスペンス『六月の花嫁・化身』の仕事終りに戴いた花束のバラが9本だった。
(帰宅してバラしてみたら、単純に1本折れていただけだったのだが、9本って何故?サスペンスだから?それとも他に何か理由が・・・等と、JRの中で帰宅中に考えていた他愛もない話を聞いてください)


わたしは、その昔かなりの野球好きだった。
わたしもご他聞にもれず、ジャイアンツが贔屓だった。

川上哲治が選手だった頃には、(古いなぁ〜。アっハっハ)
まだネットも張られていなかったダックアウトのすぐ上の席で、
眼近に、選手にも触れるような距離から川上哲治などの動きを見つめていた。

乏しい財布だったので、一度に4球団の選手を見ることの出来る
【変則ダブルス】の日を選んで、応援に行っていた。
(信じられない人も居ると思うけれど、変則ダブルスと云う日があってネ、後楽園に4球団が集まって、一日に2試合をやっていたのヨ)

長嶋が入団して、川上は打率が3割を割ったのをキッカケに引退したのだが、
まだまだやれるのに、と哀しくて
【川上が自宅で菊の花を手入れしている姿】の夢を見たコトさえある。アハハ。

背番号などもほぼ全員のを覚えていた位熱心なファンで
練習時間から見に行った。
我々ファンに親切な与那嶺選手は、練習の最後には必ず
【お手玉】のようにボールを投げて遊ぶ【芸】を見せてくれたし
そんなふうに野球には、楽しい思い出が多い。

応援の笛や太鼓の画一的になり、五月蝿いなぁと感じるようになった頃から
球場から縁が薄くなっている。
神宮球場ならばまだ、耳には優しいので、出かけることもあるが
ドームになってからのホームゲームは、殆ど見ていない。
(大リーグの中継では、緊迫したシーンで球場全体がシーンとなっている様に見えるのが、羨ましい。一度で良いから、見に行きたいなぁ)
(あの、手に汗握るシーンで、野球を見ていないでパーンパ パパ・パ パン,チャーンチャ・チャ チャチャンとやるのは、止めにして欲しいの)

そんな人間が野球が大好きだった時代の話をするのは気がひける。
3年前に亡くなった母も、わたしにつられて巨人ファンになっていた。
王貞治選手から母の名前入りの色紙を戴いたが、母は額に入れたその色紙を
食卓の脇の一番目に付く場所に飾り、見るだけでなくなでたりもしていた。


「苦あらば楽あり」をもじって、『九あらば楽あり』
捕手で背番号が9だった藤尾さんが、色紙にかいていた言葉です。
(やがて、森昌彦選手にその座を渡したのだが、この言葉はわたしの苦しい時に、大いなる支えになってくれた。)

   9本のバラの花から、貰いたかった色紙のコトまで思い出した LEIKO


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