2006/08/07(Mon)
フィールドバック
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原爆が落とされてから61年目の8月6日(‘06・8・6) 目黒・羅漢寺において毎年催されている、<桜隊原爆殉難者追悼会>に出席した。
わたし達新劇人の大先輩にあたる 丸山定夫さん・園井恵子さん等9名の俳優さんの、原爆による死を悼む法要を行い、出席した皆が平和を祈念しながら、話を聞き語り合う。
(記憶が不確かで、ゴメンナサイ。19XX年の8月6日)
(1991.6.18 池田さんの一人芝居『芭蕉異聞」の打ち上げかな?) ☆池田さんに客演していただいた、H&L企画公演「いのちの賛歌」の思い出は、また別にチャンスにお話しますね。 桜隊のメンバーでもあった、大先輩の池田生二さん↑に誘われて参列して以来ずっと、都合のつく限り参加し、先輩諸氏の話に耳を傾けきました。お聞きした先輩の話を、わたしがライフワーク ともしている“いのちと愛を語る” 朗読の仕事に、フィールドバックする事を夢としています。 (因みに、池田生二さんは、新藤兼人監督の映画『さくら隊散る』の中でも語っておられますが、原爆の落とされた8月6日には「静岡が爆撃を受けた」との情報で、ご家族を心配して、帰郷していたために、危うく難を逃れたそうです。)
↑は、桜隊原爆忌の会会長で、俳優座の女優さんの中村美代子さん。
『ポツダム宣言』は連合国によって、1945年7月26日に提案されたのに、日本政府は8月14日まで回答を保留していた。 いたずらに、長い会議をしていたために、8月6日に広島への原爆投下と・8月9日の長崎への原爆投下がなされたのだから、優柔不断の判断をした人々の責任は問われるべきだ、とポツダム宣言の出された日と、受諾した日、この間にある日数を根拠に、今年も開会の挨拶で【戦争は嫌だ】との思いを、熱く語られました。 (その論旨は明快で説得力があり、わたしでも【原爆投下は、日本政府の判断次第では、回避出来たはずだった】と理解できました。)
次に、広島市長・秋葉忠利さんからの『 今、平和を求める (1381の都市の)平和市長会議では、2020年までに核兵器廃絶を目指しての緊急行動に取り組んでいます。ヒロシマの悲劇は、核戦争による人類滅亡を予見するものなので、過ちが二度と繰り返されないように、語り伝える事が大切ですネ。』とのメッセージが読まれた。
今年のメインの行事は、台本構成/演出=山口みるさん・作曲/フル−ト演奏=古川東秀さんによる、新藤兼人監督のシナリオ『ヒロシマ』の朗読。 有馬理恵さん・浦吉ゆかさん・遠藤祐明さん・河村理恵子さん・野沢由香里さん・渡辺力さんによる、心の篭もった誠実な朗読に、深い感銘を受けました。
また、この日の出席者の中におられた佐野浅夫さんのお話も印象的でした。 『高山象三さんと共に日大で学んでいたが、徴兵検査で甲種合格となった自分は軍隊に入り、丙種合格の高山象三さんは桜隊に入った。 入隊して死ぬと思った自分が生き延び、軍隊に入らずに済んだ象ちゃんが死んでしまいました。』と、生死が決まった状況を語ってくださいました。
【 もっと深く識りましょう】と後輩に呼びかける言葉からも 【 磨き上げられたシナリオ】の、セリフからも 【 同級生の死と、生死の境目の話さえ、笑いを交えて語られる】言葉からも 【 言葉を大切にする新劇俳優 のひとりとしての】今後の行動への指針 をいただいたように思った。 (一人芝居だけでなく、別の新しい作品を創るコトも視野に入れて考えたい、とも感じました。そして、俳優としてわたしに出来る平和への貢献は、平和を守るために【言葉の持つ力の大きさを信じて、語り続けるコトが大切】だとの思いを、新たにする良い機会を得ました。)
会話・言葉で、笑顔の輪を広げたい LEIKO
※ 追悼会は、毎年行われていますので、次回参加ご希望の方は、桜隊原爆忌の会世話人事務局へお問い合わせを。(電話03−3667−1890 FAX03−3667−1891)
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