2006/06/23(Fri)
燃焼
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2006・6・23の早朝、サッカーのワールドカップで 日本チームの予選敗退が、決まった。 この舞台に集中し、生きる照準を合わせ、燃焼し尽くし ピッチに横たわったまま、起き上がろうとしない男 中田英寿選手の姿に、もらい泣きをした。
俳優の仕事も、緊張と緩和のバランスの上に立つ【燃焼】で成立する。 今回の九州での仕事のように種々の仕事が入り組んでいると (中田選手のそれと並べるのは、気が引けるのですが・・・) 小さな脳みそは、それこそフル回転で対応し、目一杯の緊張をし続けないと勤まらないので わたしなりに【いのち燃やした】気持ちで居る。
5月に9日間、6月には12日間を博多で過ごし 劇団「ショーマンシップ」の拠点劇場での公演に向けての稽古に参加。 同時に、公演のために4つの新聞社の記者さんに挨拶をして ラジオのトーク番組にも4回出演、と言うハードな日程。
今回の主目的の『金印怪異伝』の公演は5日間で、6ステージだったが 一方で、久しぶりの一人芝居『じょんがら民宿こぼれ話』の公演も、2ステージ持てた。 キャパ500の劇場と、大宰府天満宮の書院と云う、ふたつの会場。 劇場ではない場所での公演は、その都度が新しい挑戦となる。
(そう云う挑戦自体は面白いのですが、その会場でわたしの一人芝居が 【果たして、成立するかどうか】 の不安が、いつも付き纏う。 今回は、舞台監督以外は初めて組んむ博多のスタッフたちとの仕事なので、いくつもの打ち合わせが必要だった上に、欲張って、15分のテレビ番組『味わい・ぶらり旅』の、2週分の収録もある という、盛り沢山のスケジュールだったので 【 精いっぱいの、燃焼を目指そう! 】と、こころに決め、情熱を持って博多に乗り込んでいたの。)
当初は、師を同じくする仲谷一志さんからの頼みで 彼の率いる俳優集団の創立10周年を祝うための【賑やかし】 そのための客演、と気楽に考えて引き受けたのですが 若い劇団員たちとの共同作業の中で、年長の演劇人のわたしは ふと 若い彼らが“次の一歩を歩みだすため”には、助言が必要かなと思った。
劇団の前進のためにも、俳優個人の前進のためにも 10年間の活動の中で、若くても 知らないうちに付いてしまう垢 を落とし 【 皆が揃って初心に返って 団結するコトが、不可欠だ 】と、気が付いた。
それで 「日々の挨拶ひとつにも、キチンと心を込めましょう」 とか 「劇団員同志だからと、相手役への感謝が感じられない 自分中心の、甘えた演技は見苦しい」 と、心をオニにして (嫌われるのがイヤで、普段は絶対に口にはしない言葉なの) 辛らつな言葉を、一人ひとりに投げかけた。
キャリアのある人も、入団間もない若者も、みなが素直に 皆がわたしの言葉を、吸い取り紙のように吸収してくれるので 年寄り染みたコトは言うまいと、普段は避けている “言葉掛け” に勤めた。 精いっぱいのエールを贈る気で、苦言を呈し続けました。 (役に立ちたいと思っていても、先輩ぶった言葉かけ・・・これってケッコー骨折れるンです。ふふ。)
そんな訳で、帰京前夜に 『花言葉は、感謝です』 の言葉を添えて 小さなかすみ草の花束を もらえて、内心ほっ。なの。 最後のエールにしたいと、記念写真を送った。
サッカーを見て、我武者羅に突っ走った博多の日々を思う LEIKO
(そして、気持をエッセイに書くコトで、ほっとするのではなく、『 己に、同じ言葉を問いかけなくては!』 と思わせてくれた、選手の存在に☆感謝☆)
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