エッセイと言うか、作文と言うのか、思いついた時に。


2004/04/22(Thu)  宇宙人?
わたし、いつも思うの。
わたしは“宇宙人”じゃなくて“地球人”に成りたいって。

年齢的には、充分にその条件を満たしているのですが、自分を年寄りのように思いたくないのと、他人(ひと)からも、そうは思われたくなかったので、これまでほとんど使わずに来た言葉に“今時の若い人は・・・”と言うフレーズがある。
でも、声に出してはいないだけで “最近の若い人の考えてる事、よく判ンなーい”等と、心の中で時たま言ったりもしていた。

そんな時は、相手の言うことが良く理解出来なくて、と言うより言葉のぜんぜん通じない”宇宙人“と居るみたいな気分になるの。
生きて来た長さ、育った環境、何よりも、物のない戦後の、貧しい生活(くらし)を余儀なくさせられたわたし達と、高度成長の時代のツケとでも言うべき“物の余っている時代”の恩恵を疑いなく受けてきたひと達とは当然、価値基準が違うのだから、当たり前。

それを承知した上で、敢(あえ)て言いたいことがあるの。
わたし達はみーんな、地球人だってコト。
あなたも、そうは思いませんか?
日本人も、アメリカ人もイラクの人も、フランス人もイギリス人も中国の人もインドの人も、ぜーんぶ含めて、地球人。
果てしなく広い宇宙にポツンと浮かぶ、ちいさな船“地球号”に乗り合わせた仲間って考えかたなンですけどネ。あなたも、そんなふうには思いませんか?

(ここで、ひとつ考えて。何故他の国と同じように、インド人、中国人と言わず“の”を加えてしまうのか。わたし達の仕事には、差別用語を自主規制する習慣が、つけられています。昔、差別用語を使う事で、国の利益を守ろうとしたツケがまわって来てるの)

そう、日本も戦争をしていた時代があった訳よ。
その時、日本は戦争に負けそうだったから国の作戦で、インドや朝鮮の人たちを貶(おとし)める言い方をするコトで、落ち込んでいる日本人を奮い立たせるつもりだったのだ、と思うの。そんな子供だましみたいな、って思うでしョ。でも、そうなの。
それが戦争の虚(むな)しさっていうのかナ。そんなアホなことを考えだした人、そのアホの言う事を信じちゃった人のいた、悲しい時代だったの。

人間どっちが偉い、とか、優れてるかなんて誰にも決められない事だ、と思いませんか?

ダケド
背も身体もちいさいのに、努力に努力を重ね、大きな体格の良い外国の選手以上に早く滑るスピードスケートの清水選手はホントに偉いな、と思うわよ。
それに、同じ俳優さんの、ほとんどの人がわたしよりズーット優れた才能をお持ちだとも思います。

ホントに偉い人、優れた人は確かにいるし、ダメなやつ、すぐに“同じ事なら、楽してやれる方法は?”と考えるわたしみたいな“ナマケ者”もいるンだけれど、みんな同じ“地球人”って事なの。

つまり、わたしの言いたいことは、区別と差別は、ぜんぜん違うって事かな。判(わか)ってもらえたかなァ?
国っていう住所はあっても、国という区別をしないで、みんな仲良く生きられる世の中って、ステキだと思いませんか。
Leiko



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