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何日かして、ユメの具合ももう良くなった。ユメが元気になるまでの間、ナティは町中を回って何か資料らしき物を集めていた。何の為なのか、聞こうとしても、調べ物に夢中で耳を貸そうとしなかった。
ユメは久しぶりに部屋を出て外を歩いた。今までは立つのでさえ大変だったのだ。原因は分からなかった。熱が出ているだけで、体に異常はないと言われた。
出掛ける前に、セイからすぐ戻って来いと嫌ほど言われたので、ユメは少し歩くと家に戻った。
裏口から入って部屋に戻ろうとすると、ある部屋でナティが机に向かっているのが見えた。
「ナティ」
声を掛けたが返事はない。ユメはそのまま部屋に入って、ナティのすぐ後ろに立った。
「何してるんだ?」
耳元で言ったのでナティは驚いたらしい。咄嗟に読んでいた本を閉じる。
「何だユメか」
そう言って、閉じてしまった本をまた開いた。
「そうだ、聞きたい事がある。ユメの誕生日はいつだ?」
「?」
ユメは、なぜナティがそんなことを知りたいのか、分からなくて首を傾げる。
ナティは立ち上がった。
「ホイ=ユメルシェル=カズクャキヤ」
そう言われて、ユメはナティを凝視した。
「なぜ、俺の名を知っている」
「自分の、第二の名前の由来を知っているか?」
ナティが逆に尋ねる。
ユメは首を横に振った。
「古い言葉で、カズクャは赤い、キヤは月を表す。つまり、ユメの名は『赤い月』だ。この町にはコヒの伝説とキフリの伝説の両方が残っていた。赤い月が昇る日に生まれた子がキフリを滅ぼす、とあった。多分これはキフリの伝説だが。――ユメ、誕生日はいつだ?」
「二九五四年、八月十日」
ユメが答えた。
やはりそうか。その年の八月十日といえば丁度キフリの方の月が赤く輝いていた日だ。
ナティは思った。
ますます、間違いを引き起こす要素が多くなったな。
「ユメ、四日前の晩に、あの日に、一体何があったんだ?」
ナティはこの四日間、聞こうと思って聞かなかった事をユメに告げた。
「いや、本当に分からないんだ。あの時、森の奥で幾つかの人間の死体を見つけて、それから、……それから気づくと花を持ってここまで帰る所だったんだ」
ユメが言う。
「随分な話だな。その間の記憶がないのはどうしてだ? 誰かに消されたとしか考えられないだろう。誰にも会わなかったのか?」
ユメは何かされたんだ。何を? 誰に? どうでも同じだ。俺はユメを一人で森へ行かせるべきではなかったんだ。
「誰にも会った覚えはない。獣一匹にだって――」
「それなら聞くが、なぜお前が帰って来た時、防具を身につけていなかったんだ? なぜあんなに苦しそうだったんだ?」
防具は森の中にあったのを、カムが拾って来た。
ユメは首を振った。分からないものは、仕方ない。
「一体何をされたんだ、ユメ? ユメ、」
ナティの声が震えている。平素の落ち着きのあるナティではなかった。
ナティはユメを、ユメには何の前触れもなしに抱き寄せた。
「放せ。……放せ!」
初めは小さく、しかし次には大声でユメはそう言った。
そう言って、軽くもがいてみたがナティは放してはくれなかった。
何でナティが……。関係ないだろう? それに、俺は本当に何も知らない。……
そこまで考えて突然頭に激痛が走った。それと同時に、何年も前のもう失われた記憶が、一息にユメの脳裏を駆け巡る。
その記憶は、ナティが求める四日前の記憶ではない。もっと昔のものだった。
何だと? そういうことだっのか?
ナティの事を一瞬忘れていた。それほどの衝撃をユメはその記憶の中に見出した。
「ナティ、気が済んだら放してくれないか?」
ナティの腕が緩む。
すぐにユメはナティから離れた。
ナティは放心したように、悲しそうな目でユメを見ていた。
「何でそんな目で見るんだ? 今日のナティは何か変だ。いつものナティと違う!」
ユメはナティに向かって言った。
ナティは椅子にかけた。
「いつもの俺、だと? 何がいつもの俺なんだ。あんなものは、たった一面に過ぎない。あんな自分は、俺は嫌いだ。いつもの俺が正しくて、今の俺が間違っていると言うのか?」
ユメを見据えて、ナティが言う。
本当はもっと自由に生きたい。なぜ俺が隠者ぶらなきゃならないんだ? どこにそんな必要性がある? 運命か? そんなもののせいで俺は自分を押さえなくてはならないのか?
「何に迷っているんだ、ナティ。迷っていては敵は倒せない。そのための犠牲も……」
ユメは何かをナティに言いかけてやめた。
「済まない、ユメ。少し焦ってたんだ。多分」
少し時が経ってから、ナティはユメに言った。
「……この町にはコヒとキフリ、両方の伝説が残っていると言ったよな。それをあと三人と、ウェルノウンにも伝えたい。四人を呼んで来てくれないか?」
ナティは話を切り換えた。
「ああ」
答えて、ユメが四人を呼びに行く。
ユメが四人を呼んでくる間に、ナティは辺りに散らばった本などを片付けた。
『セト、あなたはあなた一人の物ではないのです。もちろん、この国の為にも尽くさなければなりませんし、それだけでなく世界の運命があなたと共にあるのですから。』
病気の母が言った言葉だった。そしてその時、伝説にちなんだ話も聞いたのだ。
本当の事を敵に悟られないようにするために偽りの名を名乗り、身分を隠すこともその時に言われた。
セト――それがナティの本当の名。母親が付けてくれた本当の名だった。もっとも、今となってはナティセルの方が慣れてしまって、こっちが本当の名であるような気さえしていた。
四年前の試合に出掛ける時、母からは沢山の注意を受けた。その中には、異性との交際を避けるようにという内容の注意もあった。その理由は、今でこそ分かっているが、当時のセトには分からなかった。王の子だから、女の子とはべたべたしてはいけないのだろうと、勝手に理由を作っていた。
だから、セトは人を好きになることは別に構わないと考えていた。もう少し考えてみれば、それが結果的には自分を苦しめるということが分かっただろうに、そういう点においては、ただの莫迦[ばか]だった。
実際のナティはユメと交際している。付き合っているという意味での交際ではないが、母から言わせれば、これでも十分に悪いことだろう。さっきも、一体自分はユメに何をしようとしていたのか。
セトは世界と運命を共にする。いや、世界かセトか、どちらかが滅びる。四年もの間、一目ぼれの少女を思い続けたセトは、せっかく再会できたのに、その少女に思いを告げることもできぬまま、滅びるのだろうか。ナティの告白が少女を困らせることは分かっていた。
「――で、俺が調べられたこと全部だ」
ナティは一通り『伝説』を話した。
都合よく途中からシュラインも聞いていたので、もう一度話す手間が省けた。
「なあ、なんでこんなコヒともキフリとも関係のない町に、それだけの伝説があるんだ?」
カムが尋ねる。
「それは、この町が流浪の民が集まって作られた町だからだ」
ナティが答える。
「それで各地の伝説がばらばらに集まったんだ。だがそれだけじゃない。何代も前のキフリの神子が、この町に迷い込んだんだ。それで、キフリの宮では助けて貰った礼に、今でもこの町に使いを送り物資を与えている。俺の考えでは多分、その神子というのは数千年前の戦いで、コヒの手を逃れた神子だろうと思う」
「ナティ、コヒとキフリの伝説はあまりにも違い過ぎるわ。本当に同じ時のことを言っているの?」
セイが尋ねる。
ナティは頷いた。
「同じと思われる人物や出来事がいくつかある。それから……ひとつ確かに言えることは、これは伝説ではなく、事実あったことであり完全なる歴史なんだ」
ナティが言う。
じっと聞いていたトライが顔を上げた。
「それじゃあ、今ナティが話したことはわたしたちには関係ないってこと?」
「そうなります。……私がいけないのです、トライファリス。私は、伝説というのは太古の昔から伝わるものだと思い込んでいたのです。けれど、予知でも物語でもないものでも伝説になるなんて……。余分な手間を取らせてしまいました」
シュラインがそう言うのが聞こえた。
「シュラインが悪いってわけじゃないわ。伝説なんて関係ないってことが分かったんだから、いいじゃない。これからは伝説に振り回されずに済むんだもの」
セイが言う。
キフリとコヒの歴史に深く関わったこの町にも、夜が来る。伝説の真実はこんな、何の関係もないような町に眠っていたのだ。
翌日の出発に向けて、ユメたちは眠りについた。
第六章後編 終 (第七章に続く)
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