9(前)
それほど歩かない内に、脇にそれた廊下の方から声が聞こえて来た。一方の声がナティであることは間違いなかった。
「セト様、それをあなたは使うことができるのですか?」
インプルーブが言う。ただその声は少し上擦っているようだった。
ナティの手には、黒い小さな機械が握られている。
ナティはそれをちらっと見たが、すぐに視線をインプルーブに戻した。
「やってみなければ分からないだろう? お前がこの機械について何も言わなくとも、これが彼らを操っていることは明瞭だ」
ナティはそう言って、機械を操作した。
それからすぐに、ユメが見た、ナティの相手をするはずだった男が、ユメには目もくれずにナティの傍らに行った。
それだけで、インプルーブは驚愕してナティと男を見比べた。
ユメがそれをナティたちからは見えにくい場所から見ていると、セイ、トライ、カムが駆けつけて来た。三人はそれぞれひどい怪我を負っていた。だが、互いに気遣っているような余裕は持っていなかったのだ。ユメの居る側にたって、ユメが見ている三人の様子を一緒に窺った。
「ウィケッドで作られる品物が、科学力の劣った他国と同じだけの価値しかないのは、科学から品物を作り出す技術者に能力がないからだ。これも、それと同じこと」
ナティは手に持った小さな機械をインプルーブに見せながら言った。
「同じことしかできないんだな。……今俺は新しく命令を入力した。後は出力のボタンを押すだけだ」
ナティが冷ややかに言う。
インプルーブが、恐怖に顔を歪めながら言った。
「セト様、セト様が幼くていらっしゃった頃、一緒に遊んでさしあげたではありませんか? それにお勉強もお教えいたしました。その私を殺すと言うのですか?」
時々声が上ずっていた。
「それは俺が決めることではない。シートゥン、お前が決めるんだ」
ナティが声を掛けた方向には扉があったのだが、そこからもう一人の男シートゥンが出て来た。
「この二つのボタンの内、一方はお前たちを殺す。そして、一方では何も起こらない。シートゥン、お前はこの機械については知らないはずだ。お前に任せる」
ナティはそう言って、折角手に入れた機械を、使い方を知らないとはいえ、敵に惜し気もなく渡したのだ。
ナティは二人に背を向けて、ユメたちの方へ戻って来た。
「大丈夫なのか、敵に渡してしまって」
前を過ぎて行くナティに、ユメが言う。
「みんな、こっちに来い」
ユメの問いには答えずに、ユメが居る所から少し離れた所へ、ナティは皆を呼んだ。
四人が来ると、ナティは壁の一部を叩いた。すると、さっきユメたちが居た辺りの天井が崩れて、すっかり道を塞いでしまったのだ。
「どうして?」
セイが呟いた。言いはしなくても、他の皆もそう思っただろう。
「この宮の造りはコヒとほとんど、いや、全く同じなんだ。コヒの宮のことなら、大分調べたからな」
ナティは言って、四人を見た。
ユメは普段と変わらないが、他の三人が皆怪我を負っているのだ。
「ひどいな……。治療しないと、先へ行くのは危険だ。ユメ、先に行ってくれないか」
ユメは頷くと、まだ先へ続く廊下を行った。
「カム、お前からだ」
ナティが言う。
「俺は後でいいよ」
「青ざめた顔で何言ってんだ。どうして応急処置すらもしなかったんだ? それに、魔法もあるだろ」
遠慮するカムに、ナティはきつく言った。
「忘れてた。それに――、もう魔法は使えそうもない。限界が来ている」
カムは自嘲して言った。もう何度も魔法を使ったのだ。仕方のない事だった。
ナティは魔法で少し回復させておいてから、応急処置をした。
トライにも同じようにした。
セイは切り口が余りにも鋭かったため、気が付くともうくっついていた。だが、一応自分で魔法はかけておいた。
「もう魔法は使えそうもない、って本当なの?」
「嘘言ってどうすんだよ。もう少し体力が回復すればまた使えるようになるけど、今は無理だな」
「じゃあ、少し休んでから行くか? 俺たちは先に行くけど」
ナティが言う。
「大丈夫だって。魔法は使えないだろうけど、他の事ならできるくらいの体力は残ってるしな」
カムはナティの提案を断って、歩こうとした。
歩くことはできるのだ。だが走ることはできない。ユメを追うためには、走ることがどうしても必要なのだ。
最初はカムに歩調を合わせていたナティも、次第に速度を速めていった。
「待ってよ、ナティ」
そのナティを制するように、トライが言う。
「わたしたち、そんなに速く歩けない。――でもナティは早く行きたいんだよね。わたしたちに合わせることなんてないんだから、先に行ってよ。わたしたちはできるだけ速くついて行くことにする」
「分かった」
短くそう答えると、ナティはユメを追って走りだした。
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