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青い瞳の唄

 リルスは極度の緊張状態のまま、馬車に揺られて王城に辿り着いた。馬車に乗っている間、隣でエウルニーズがずっと話し掛けてくれていて、リルスは相槌を打ったりしていたものの、何を話したのか全く覚えていない。
 馬車から降りる時も、エウルニーズが先に下りて、手を差し伸べてくれた。
 ああ、一体わたしの周りで何が起こってるの?
 目の前で優しい微笑みを浮かべるエウルニーズ。しかし、リルスにとっては昨日まで一度も会ったことがない相手だ。エウルニーズは曾祖父の遺言でリルスを探していたそうだが、まだ本人からリルスを妻にするとは聞いていない。
 そんな大それたこと、考えちゃ駄目だわ。
 リルスは頭を振って、意識を正常に戻そうとした。もう緊張しすぎて、話が一気に進みすぎて、何がなんだかわからないのだ。
 王城に入ると、リルスの侍女になるのだという数人の女性に案内されて、リルスのために用意した部屋とやらに連れられた。エウルニーズは後で来るそうだ。
 広い。
 部屋に入ってそう思った。
 自分の口があんぐりと開いていたのに気付いて、急いで閉じる。他の人には見られていないようだ。
 学生寮の部屋も二人部屋だったから結構広かったが、そんなもの比にならない。
「こちらでお待ちください」
 そう言って、部屋の真ん中のソファに座らされる。体がソファにめり込むように沈んで焦った。ふわふわした感触が楽しい。
 ソファの前のガラステーブルの上に、侍女がティーカップを置いて紅茶を注ぐ。さすがに紅茶は普通の紅茶と変わりないように見えてほっとした。
 紅茶を飲みながらぼーっと座っていると、エウルニーズが入ってきた。侍女たちはエウルニーズに頭を下げると、次々と部屋から出て行った。
「どちらか好きな服を選んでください。今日の晩餐に着て行く服です」
 エウルニーズが言うと、後ろに従っていた初老の男が、ドレスを二着リルスの前に並べて見せた。片方はたっぷりとしたドレープの裾の長いスカートのドレス。もう片方は膝丈くらいの体に沿ったドレス。どっちもどっちだ。どっちも、普段着るのには恥ずかしい。けれど選ばなければならないので、裾の長いドレスを選んだ。こういうドレスなら、子どものころに憧れたこともある。
 初老の男はドレスを二着とも持って、部屋から出て行った。
「リルス」
 エウルニーズが言う。
「突然呼び出して、申し訳ありませんでした。けれども、事は一刻を争うのです。わたしと婚約していただけますか?」
 何かおかしい。単に曾祖父の遺言であれば、急ぐ必要はないはずだ。実際に、彼の父親は結局ブローチの持ち主を探し出せずに別の女性と結婚している。
「何か、急ぐ理由でもあるのですか?」
 リルスは尋ねた。リルスとしても、いきなり本物の王子が現れて「さあ婚約だ」などと言われても、実感がわかない。答えを先延ばしできるのであれば、できるだけ延ばしておきたいところだった。
「ご存知の通り、わたしはこの国の一人息子で、他に兄弟はおりません。そのため、わたしの二十歳の誕生日までにあなたを見つけられなければ、隣国の姫と結婚する約束になっていたのです」
 エウルニーズの話し方は常に穏やかで、急いでいるようには思えない。
「三月がわたしの二十歳の誕生日なのです。時間がありません。それまでにあなたをわたしの婚約者として、皆に紹介しなければならない」
 リルスは固まった。三月と言うと、あと半年くらいしかない。それまでに婚約するか、しないか決めなければならないというのだ。
 王子はとても優しそうだし、顔も良いし、申し分ないんだけど。ううん、申し分なさ過ぎて、わたしには勿体無いわ。隣の国のお姫様がどんな人か知らないけど、その人と結婚した方が王子のためになるんじゃないのかしら。
 エウルニーズは心配そうに、リルスを覗き込んだ。
「リルスは、わたしが嫌いですか?」
 わずかに涙目になって、リルスに問いかける。
「嫌いじゃないですけど、」
「けど?」
「好きでもないです」
 本心だった。リルスも今までに恋したことがないわけではない。けれどそれは、今日会った相手と急激に始まるものではなかった。
「それは残念です。けれど、きっとあなたはわたしを好きになりますよ。決して後悔はさせません」
 そう言って微笑む。
 その笑顔に見惚れて婚約を承諾しようかと思って、言葉を飲み込んだ。
 しかし、果たしてリルスに断る権利があるのだろうか。相手はリルスが生まれ育った国の王子だ。
 わたしが選ぶ立場なのって、おかしくない?
 まだ、強制的に婚約させられる方が気楽だ。喜ぶはずのところで、リルスは泣きたくなった。
 結局答えを出せないまま、晩餐の時間になった。リルスは奥の部屋で、先ほど自分が選択したドレスに着替える。もちろん着替えは侍女が全部やってくれる。自分より年上の侍女たちに囲まれて、リルスはずっと落ち着かなかった。
 慣れないことはすべきではない。奥の部屋から出ようとして、ドレスの裾を踏みつけて転びそうになったところをエウルニーズに助けられたり、スカーフの端が扉の蝶番に引っ掛かったりと、ろくなことが無い。
「わたしのことは、公の場でなければ、エウルと呼んでください」
 食堂へ移動する途中、エウルニーズがリルスに言った。言うまでもなく、エウルニーズ王子の愛称だ。
「エウル王子?」
 リルスが確認すると、エウルニーズが隣で笑った。
「あなたは、わたしが王になった暁には『エウル王』などと呼ぶつもりですか? ただのエウルで構いません。様もいりません。わたしは学友達にもそう呼ぶようお願いしています」
 たしかに、愛称に敬称を付けるのはおかしい気もする。エウルニーズに言われて、リルスは恥ずかしさに赤くなった。リルスは気付いていないが、実際にエウルニーズが王になったら、学友達は愛称では呼ばなくなる。エウルニーズが王になってもエウルと呼んでよいのは、正妻だけなのだ。
 なんとかエウルニーズに付いて歩いているリルスだが、実は長い廊下を歩く間に何度も裾を踏んでしまって、本当に歩くのがやっとだった。
 その様子を見ていたエウルニーズはリルスに気付かれないように小さく笑った。
 今まで会った女性達とは全く違う。何もかも慣れていなくて、初々しい。ただ歩くのさえ必死だ。
 食堂に着いて、リルスは自分に用意された席に座った。エウルニーズの隣の席と言えなくもないが、随分と離れている。
 暫くして、一番奥の席に壮年の男性が座った。
 新聞の写真で見たことがある。国王だ。王の席はリルスから相当遠く、王は写真で見るよりも小さくしか見えなかった。
 静かな音楽が流れ、食事が始まる。
 テーブルマナーは女学校時代に一通り学んでいるから大丈夫だ。と心を落ち着かせて、目の前に運ばれた料理に手をつけていく。
「そなたが、ソフィア=ネイヴィー殿の曾孫の、リルス=ネイヴィーか」
 王が喋った。
 ソフィアは曾祖母の名前だ。
「はい」
「よくぞ参った。祖父はいつもソフィア殿の子孫のことを気にかけておった。ソフィア殿の子孫が、こうして我が息子と出会えたのも、神のご加護であろう。歓迎する」
「ありがとうございます」
 王は曾祖母のことについて尋ねたり、両親のことについて尋ねたりしたが、台本に書かれた台詞を読むように、言葉がすらすら出てきて緊張することもなかった。どうも、一方的に質問されてそれに答える方が、リルスにとっては楽らしい。自然と笑うこともできた。
 が、王が
「早く元気な男の赤子を産んで、わたしを安心させておくれ」
 と言った時にはさすがに答えを返せず、リルスは笑ってごまかした。
 その時ばかりは、エウルニーズも「まだそんな話はしておりません」と顔を赤らめて王に言っていたのが印象に残っている。
「ところで、五日後から国立博物館で開かれる企画展があるのだ。王室の秘宝展とかいう名前だったかな。それでそなたのブローチも展示したいのだが、どうだろうか」
 王が聞く。
 断る理由は無かった。元々、質に入れたくらいなのだ。博物館で展示するくらい何でもないことだ。
 王の食事が終わって、それに合わせて晩餐は終わった。
 部屋に戻ると、侍女たちが集まってきて、リルスを風呂に案内した。もう驚かないぞと心に決めて移動を開始したが、やはり実際の風呂場を見て驚いた。これが侍女たちも使う大浴場だというのならまだわかる。しかしここは王家の者たちだけのための風呂だそうだ。
 風呂から上がって部屋に戻ると、エウルニーズが居た。風呂から出た時に透ける素材でできた寝間着に着替えさせられたので、リルスは体を隠しながらソファに座った。
 なんで、もう寝るっていう時間にエウルが部屋にいるのかしら。
 あまり考えたくなかった。
「リルス、これはあなたが持っていてください」
 エウルニーズがリルスに、リルスが質に入れたブローチを渡した。エウルニーズが質屋から買い取ったはずだ。
「なるべく、肌身離さず持っていて欲しいのです。秘宝展には、複製を展示させます」
 エウルニーズが言う。
「わかりました」
 そうとしか答えられなかった。エウルニーズの意図がわからず疑問に思ったが、理由を聞くのは悪い気がしたのだ。
 ブローチを受け取ろうと手を伸ばすと、隠していた胸元がエウルニーズに見えるようで恥ずかしい。しかし意識していると悟られたくもないので、努めて平静を装った。
「おやすみ。良い夢を」
 エウルニーズはそう言って、部屋を出て行った。
 エウルニーズの足音が小さく聞こえなくなって、リルスは深く溜息を吐いた。
 何もなくて良かったという思いと、何もなくて残念という思いが同居している。
 わたしって、魅力ないのかなぁ。
 ステフ曰く、リルスは美人でスタイルも良いそうだが、自分ではよくわからない。
 相手は王子だ。しかも顔も性格も良い。単に遺言に従っているだけで、リルスごとき眼中にもないのかもしれない。
 何考えてるのかしら。これじゃまるで、わたしがエウルを好きみたいじゃない。
 リルスは自分の頬を叩いてみた。
 それから寝ることにした。
 肌触りからして違うベッドには、天蓋が付いていた。

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