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青い瞳の唄

 リルスが城に来てから五日経った。博物館での王室秘宝展の準備は、滞りなく進んでいるとのことだった。
 リルスは昼間は様々な勉強をしている。王女となるに相応しい教養を身に付ける必要があるからだ。それ以外の時間は王城で暇を潰すことに精を出している。というか、何もやることがない。城の中を侍女つきで歩き回ったり、庭に出てみたりしたが、どうしても監視されている感じがした。誰も見ていないのは自分に用意された部屋の中だけだ。それでも、部屋の外には常に侍女が待機している。
 昼過ぎに、城の中が騒がしくなった。侍女の一人を捕まえて聞いてみると、
「怪盗漆黒から、犯行予告が届いたそうです」とのことだった。
 詳しく聞くと、今回の王室秘宝展に展示される青い瞳のブローチ、つまりリルスのブローチを盗むという予告なのだそうだ。しかし、本物はリルスが肌身離さず持っていて、展示されているのは偽物だ。これを見越してエウルニーズは偽物を展示するようにしたのだろうか。そう思って感心する。
 怪盗漆黒という名はリルスも知っている。結構有名な泥棒だ。盗むものは美術品や骨董品に分類されるものばかり。巷では美形な泥棒として人気もあるようだった。顔写真が出回っているわけではないのだが、数少ない目撃者の情報によると、名前の通り黒い髪と瞳の美男子なのだそうだ。しかし絵描きを目指すリルスとしては、絵を盗む漆黒は悪い奴としか思えなかった。
 漆黒が決して捕まらないのは、魔法を使うからだと噂されていた。しかし魔法は神学校の中か、神学校を卒業した公式の資格を持つ人しか使えないはずだ。以前ステフに、漆黒は魔法使いなのかと聞いたら、神を信仰しないような道徳から外れた人間に魔法は使えないと言われたくらいだ。
 その後余りにも暇だったので、部屋の広さを歩いて確認しているとエウルニーズが来た。
「いらっしゃい」
 話し相手が来たと、リルスは素直に喜んだ。
 エウルニーズも微笑んだ。
「漆黒から犯行予告が来たと伺いました。わたしのブローチを盗むとか。エウルはそれを見越してブローチを複製と取り替えたのですね。わたし感心しました」
「そのことは、大声では言わないでください。誰にも秘密なのです」
 エウルが人差し指を口の前に立てて言う。
 エウルがリルスに近付いた。顔が触れるほどまで近付いて、エウルが小声で言う。
「ブローチは大切に持っていてください。漆黒なんかに奪われては、王家の恥ですから」
 笑顔で言われて、リルスは釣られて笑顔になる。
 本当にエウルニーズは素敵な人だ。だからこそ、遺言で妻を決めるのは間違っていると思う。遺言は大切だろうが、結婚は愛し合う二人でするものだ。
「エウル、本当にわたしで良いんですか?」
「どうしました?」
「曾お爺様の遺言で、わたしを妻にするのでしょうけど、あなたは本当にそれで良いんですか? わたしよりも素敵な女性はたくさん居るだろうし、よりにもよって、わたしみたいなただの貧乏学生と結婚しなくても」
 エウルニーズが、悲しそうな瞳でリルスを見た。いつも笑顔でいるような印象があるが、細かな点で表情豊かだ。
「あなたは、ただの学生ではありません。あなたの曾祖母ソフィア=ネイヴィー殿は、元は華族の出なのです。それがどうも、ソフィア殿の息子パドック殿の代で爵位を返上したようなのです。今となってはその理由もわかりませんが」
「え、そうなのですか? 初めて聞きました。祖父には小さいころ会ったことがありますけど。まあ小さいわたしにそんなこと話したりしませんよね」
 リルスが言う。
「そうですね。知らなくても当然でしょう」
 エウルニーズが言って微笑む。
「もう一度聞きます。あなたはわたしが嫌いですか?」
 嫌いなわけがない。リルスは首を左右に振った。
「では、好きですか?」
 問われて、リルスの胸が高鳴る。喜びのためか、緊張のためかはわからない。
 リルスは、頷いた。
 誘導された気もしたが、エウルニーズを好きだと認めてしまった。
 初めて会ってから今まで、何度かエウルニーズと会話をした。それまでエウルニーズについて知っていたのは、新聞に出ていた程度のこと。学校は主席で卒業、スポーツの大会にも時間さえあれば参加してそのたびに良い成績を残しているとか。それだけでも十分に凄い人物なのだが、エウルニーズは細かな気使いができて、会話していて飽きない。話していれば、エウルニーズが悪い人間でないことはわかる。好きにならない方がおかしい。
「よかった」
 エウルニーズが笑った。
 エウルニーズは公務があるからと部屋から出て行って、リルスはひとりで部屋に残っていた。
 午後からは色々なレッスンがある。リルスは普通の学生だったから、社交のことは何も知らない。だから、そのレッスンなのだ。これまでも食事の仕方や姿勢、笑い方まで授業を受けてはいたが、これからはもう少し趣味的なことを習う。よくエウルと一緒に居る初老の男が言うことには、王妃となる女性は頭はよくなくても良いが、気品と教養が必要なのだそうだ。
 リルスの部屋に痩せた女性が入ってきた。侍女ではなく、リルスに隣国の言葉を教える講師だった。外国語は学校でも習っているから、あまり問題はなかった。
 次の時間は楽器の練習だった。ピアノかバイオリンか竪琴から選べと言われて、唯一学校で触ったことがあるピアノを選んだ。しかし、これは大変だった。譜面がまず読めない。どのキーを押せばどの音が鳴るのかもわからない。リルスはあまりにも素人すぎて、講師が驚いていたくらいだ。神学校の生徒なら誰でも弾けるのだそうだ。
 ピアノの授業が終わって、部屋には一台のピアノが残ったままにされた。講師は好きなときに弾けば良いと言っていたが、自分の下手さに打ちのめされたリルスは、今日はピアノの蓋を開ける気になれなかった。
 次はダンスだった。これも初めてのことなので大変だったが、少し憧れていたことでもあったのでがんばった。がんばったのが災いして、練習が終わった後にはもうくたくただった。
 厨房で足を冷やすための氷をもらおうと、リルスは城の中を侍女つきで歩いていた。暫く歩いてから、侍女に持ってこさせればよかったと思いついたが、せっかく歩いてきたのでそのまま行くことにした。
 途中で、エウルニーズの声が聞こえてきた。エウルニーズの部屋ではなく、別の客室のようだ。
「話が違う」
 知らない男の声だ。
「でもこれが今のわたしにできる精一杯なのです。受け取ってください」
「お前には付き合いきれない。俺は俺のやり方でやらせてもらう」
「どうぞ、ご自由に」
「今言った事、後悔するなよ」
 扉が開いて、エウルニーズが出てきた。しかし話していた相手は出てこない。
 エウルニーズはリルスを見ると、リルスに声を掛けた。
「レッスンは終わりましたか? 疲れてませんか?」
 いつもの優しいエウルニーズだ。
「そうそう、あのブローチ、盗まれたそうですよ。予告通りに漆黒が現れて、厳重な警備の中、白昼どうどうと盗み出したそうです」
 リルスの後ろに居た侍女たちが、歓喜の声を上げる。王家の財産が盗まれて喜ぶのは間違っているように思うが、彼女たちにとっては漆黒が盗みに成功したことの方が嬉しいのだろう。
「もっとも、今頃悔しがっているでしょうけどね」
 そう言って、エウルニーズが笑う。
 侍女たちは首を傾げた。
 厨房には女性は入れないと言われて、わざわざエウルニーズが氷をもらって来てくれた。その氷を持って部屋に戻る。
 今日の夕食は、今までと違って部屋で各自食べるそうだ。王が居ないときはそれほど豪華な食事ではないと言われたが、実際に部屋に届いた食事はやはり豪華だった。
 食事も終わって部屋で休む。
 本当にこれで良いのかしら。
 疑問が浮かぶ。確かに今は幸せだ。何よりも楽だった。お金の心配もしなくて良いし、食事も勝手に出てくるし、部屋の掃除や洗濯もしなくて良い。けれど、絵を描けないし、掃除や洗濯もやると楽しいことだったのに。
 隣の部屋から物音がした。隣の部屋と言っても、そこもリルスの部屋である。
「誰?」
 侍女の誰かだろうか。しかし、侍女は部屋には入って来ていない。リルスが部屋に戻るより前から居た可能性もあるが、一刻は経っているのに、今頃出てくるのもおかしい。
 部屋を繋ぐ扉を、そっと開けて様子を伺う。何も居なかった。リルスが扉を閉じようとした時、
「こんばんは」
 背後から声がして、手で口を塞がれた。
「ちょっと眠っててくれよ」
 そう言ってから男がぶつぶつと何か呟くと、リルスは眠りに落ちた。
「漆黒は狙った獲物を逃さないんだよ」
 男はリルスを背負うと、窓から外へ出た。

 朝が来てリルスは目を覚ました。寝ていた寝台は昨日と違って少し固くて、なんとなく懐かしい感じがした。
 が、自分が何者かに攫われたことを思い出して、リルスは用心深く辺りを見渡した。縦長の窓にはカーテンが掛かっていて外は見えない。部屋の大きさは少し狭く感じる。ちょうど、リルスが暮らしていた学生寮の部屋を半分に区切ったくらいの広さだ。
 自分が寝ていた寝台の他に、少し大きな机や塵箱、クローゼットなど普通の生活に必要そうな家具が並んでいる。
「目が覚めたか?」
 声がした。
「誰?」
 真っ直ぐな黒髪は邪魔にならない程度の長さで切っている。前髪は少々長いようだ。細く釣り上がった目が時折前髪に隠れて見えなくなる。
「俺は漆黒。予告通りブローチは頂いた」
 漆黒は笑みを浮かべ、腕組みをして立っていた。

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