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「おっと大声は出すなよ」
漆黒は言って、リルスの腹に何か武器のようなものを突き付ける。本物の武器なのか、それとも実際には何も持っていないハッタリなのか、区別が付かない。
「秘宝展に偽物を展示するとはね。まさかそんな罠を掛けてるとはさすがの俺でも思わなかったよ」
言いながら、漆黒はリルスから離れた。武器のようなものは漆黒が後ろにすぐに隠したので見えなかった。ただ、カチリという音が聞こえた。
「本物をあんたが持ってるって情報を仕入れたんでね、あんたごと盗ませてもらった」
「なっ、何言ってるの? 盗んだじゃないでしょ。これ誘拐よ、誘拐!」
リルスは喚きながら、ブローチを探すが見当たらなかった。すでに漆黒に取られているらしい。
「何が目的なの? お金? わたしは身寄りのない貧乏学生だから、攫っても何も出ないわよ?」
叔母家族が居るので身寄りがないというのは嘘だが、攫っても何も出ないのは本当だ。
「だから、俺が欲しいのはブローチだっての」
漆黒はブローチを腰に下げた小さな鞄から取り出して、リルスの前で振って見せる。
「そのブローチ、もうわたしのじゃないから。わたしのだったらあなたにあげても良かったけど」
「へ? これあんたの家の家宝だろ」
漆黒が目を丸くしている。
「質屋に入れたの! それをエウルが見つけて買い取ったんだから、今はエウルのよ」
「質屋に……。あんたバカだろ。これは財宝の鍵なんだぞ。これを質屋に入れるより、ずっとたくさん儲けられる」
本当に呆れ返った顔をして、漆黒がベッドに座っているリルスを見下ろした。
「何それ?」
漆黒が言っていることがわからない。財宝の鍵とは、何のことなのだろう。
漆黒は腕組みしたまま、語り始めた。
「この青い瞳は、あんたの爺さんが隠した財宝の箱を開ける鍵なんだ。大体、その財宝を隠した土地はあんたが資産として受け継いでるはずだろ?」
言われて、祖父が死んだ後に分配した資産を思い出そうとする。しかし祖父が死んだのはリルスが幼いころのことなので、思い出せない。いや祖父が死んだらその遺産は父母が受け継いだはずで、父母が死んだ時にやっとリルスの物になったはずだ。
「ああ、そう言えば、なんかよくわからないものがあったわ。わたし、祖父が集めてた骨董品の名前だと思って、確認もしてなかった」
祖父を思い出す。もう顔は覚えていないが、よくリルスに骨董品を見せるくせに、リルスが触ろうとすると慌てて止めに来る、そんな思い出がある。祖父はリルスが大きくなったら良いものをくれると言っていたが、リルスが大きくなる前に、祖父は亡くなってしまった。良いものというのは、ブローチのことだろうと思っていたのだが、もし漆黒が言うような財宝があるとすれば、そのことなのかもしれない。
「で、その地名は?」
「忘れたわ」
それを聞いて、漆黒が溜息を吐く。
「まったく。あんたごと盗めば調べる手間が省けるかと思ったらこれか。仕方ない。俺が出かけてる間に逃げようなんて思うなよ」
漆黒はそう言うと、リルスに手を振って部屋から出て行った。部屋から出る時、扉ではなく壁にめり込んだように見えたのだが、リルスが疲れているのだろうか。
逃げるなと言われても、犯人が近くに居ないのであれば、逃げられるに違いない。リルスは立ち上がった。
ジャラ
足元で音がして、リルスは自分の足を見下ろした。右の足首に鉄の輪がついていて、それから伸びた鎖が、寝台の脚の支えの部分に南京錠で繋がれていた。
リルスは一気に逃げる気をなくして、その場に座り込んだ。
何なのよ、もう。
暫く座り込んでいたが、漆黒も帰ってこないし何もできないので、そのまま眠ってしまった。
気付くともう夜になっていた。
ベッドの上で膝を抱えて座り込む。
扉が開く音がした。
「ケイン、元気してる?」
女性の声がした。漆黒ではない。ケインというのが漆黒の本名なのだろうか。
また、壁から金髪の女性が顔を出した。
「あら、ケインってこんな趣味があったのかしら」
女性が言いながら、鎖を軽く持ち上げて見ている。
リルスは顔を膝にうずめたまま、声だけを聞いていた。どこかで聞いた声だが……。
「ん? ちょっ、リルス? リルスじゃない」
肩を掴まれて揺らされる。
顔を上げると、自分を覗き込んでいるのは学生寮で同じ部屋だったステフだった。
「ステフ……」
驚いた。泥棒の隠れ家で、親友と会えるとは思わなかった。安心してしまって、今まで我慢していた涙が溢れ出す。
「リルス、大丈夫? これどういうこと? わたしケインに、この部屋に居る猫に餌やってくれって頼まれて、ミルクとかパンとか買って来たんだけど……猫は居ないみたいね。リルス、食べる?」
頷く。朝から何も食べていない。
「そりゃあ、わたしが夜の仕事を勧めたりしてたけど、こんな危ない仕事は駄目よ。わたしに言ってくれれば、良い仕事紹介してあげられるのに」
ステフが言う。リルスが城に居ることは、当然ステフも知っているものと勝手に思い込んでいたが、誰からも連絡が行っていなかったようだ。
「違うの。わたし、お城に居たんだけど、漆黒っていう泥棒に攫われて」
説明する。
「お城? 漆黒? 何のこと? ここ、いつもの学生寮の一階の部屋よ?」
「え」
言われて、辺りを見渡す。リルスたちの部屋とは広さが違うが、壁の色や据え置きの家具が、確かに学生寮の物だった。
じゃあ、漆黒はわたしかステフと同じ学校の学生……?
「でも、わたしあんな人初めて見たわよ」
「ああ、神学校の男子は女子とは違う時間帯に授業とかあるから。わたしとリルスの授業時間は似てるけど。だから、男子と会ったことなくても普通よ」
ステフが言う。
神学校の生徒。
怪盗漆黒が魔法を使えるのは、そういうことだったのだ。それにしても、泥棒がどうどうと神学校に通っているとは予想外だった。それでは捕まらないのも納得が行く。まさか神学校の生徒が、と思うのはリルスだけではないだろう。
「あれ、お前ら知り合いだったの?」
漆黒の声だった。
顔を上げて、部屋に戻ってきた漆黒を見る。
「ちょっとケイン。リルスに酷いことしないでよ。この子、わたしと相部屋の子よ」
「あー、なるほど。そういやステフの相部屋の子って、一週間くらい帰ってないって言ってたよな」
漆黒が腰の鞄から鍵を取り出して、リルスの足枷を外した。
「それはすまなかった。痛かったろう」
何? 朝見たときと雰囲気が違う。
リルスは思う。朝見たときは、悪い雰囲気しか感じなかった。今はまるで普通の男子学生のようだ。髪型が違うわけでもない。服装も変わらない。それなのに、別人のように見えた。
漆黒がリルスを無理に立たせようとする。
バランスが悪くて、上手く立ち上がれずにその場に尻餅を付く。その勢いで、漆黒が覆いかぶさってきた。
「俺のことを喋るなよ。喋ったらお前もステフも殺す」
小声で囁く。朝と同じ雰囲気。
「リルス、大丈夫?」
今度はステフがリルスの手を取って立ち上がらせた。ステフにはさっきの言葉は聞こえていないのだろう。
「大丈夫よ。ありがとう」
体が震えていたのが、ステフにわかってしまっただろうか。ステフに漆黒のことを聞かれたら、どう答えればいいのだろう。
「ステフ、もう帰っていいぞ。今日はありがとな」
漆黒がステフに言う。
「えぇ。今日はお店に来てくれないの?」
ステフが猫なで声で言っている。
「そんなに金ねえよ。またバイト代が入ったら行ってやる」
「待ってるわ〜。あ、そうそう、リルスに酷いことしたら、ステフも怒るんだからね!」
ステフが手を振って、部屋から出て行った。
それにしても、やはり壁を抜けているようにしか見えない。
「逃げようと思うなよ。魔法で仕切りをしてある。そこから出ればすぐにわかる」
漆黒が言う。
壁に見えるところがその仕切りなのだろう。
魔法は神学校を始め、教会などに属する一部の人しか教えてはならないし使ってもいけないことになっている。神学校の生徒と言えど、卒業して正式な資格を得るまでは学校外では魔法は使えないはずだ。しかし、泥棒というやってはいけないことをしているくらいだから、魔法を使うくらい平気なのだろう。
「あの、お手洗い借りていい?」
それはともかくとして、朝からずっとトイレにも行ってない。
「ああ。そこら辺で垂れ流せって言うわけにもいかないからな」
部屋のつくりはリルスたちの部屋と大体同じなので、教えてもらわなくてもバスルームの位置はわかる。
「いちいちそんなこと聞くなよ」
漆黒の声が聞こえてくる。妙に恥ずかしかった。
漆黒は怖いが、同じ学生だとわかると少し親近感も沸いていた。
寝室に戻ってステフが持ってきたパンとミルクの残りを食べる。猫だと思われていたのだから、パンもあまり味のついていないものだ。
「あの壁のとこ、どうなってるの?」
扉が見える壁を指して言う。
「ああ、空き部屋勝手に使ってるから、あの壁はダミーだ。外から扉を開けて部屋を覗き込んだら、何もない部屋に見えるように。だからこっち側から見ると入り口が映ってる。まあ、ステフみたいな役に立つやつには教えてるけど」
「あなた、ステフの恋人なの?」
「まさか。飲み屋で見かけて同じ学生寮に住んでるって聞いたから、使えると思って声掛けただけ。あっちは俺のことを、金を注ぎ込んでくれるおいしい客くらいにしか思ってないんじゃねえの?」
なるほど、と思う。ステフの仕事はそういうものなのだろう。どっちが騙されているのかわからなくなりそうだ。
「おい、わざわざこの漆黒様があんたが受け継いだ資産を調べて来てやったぞ」
パンを食べ終わって、最後のミルクを飲んでいると、漆黒がリルスに数枚の紙を渡した。それは遺産相続の時の遺言書の写しだった。
「氷の花と鳥の翼二七〇坪」
読み上げる。これが、祖父が残した土地だ。両親が死んだのも子どものころだったため土地の広さを現す単位を理解していなかったのか、土地の名前がおかしくて見逃したのかどちらかだろう。
「って、どこ?」
「こっちがその土地の詳細な」
もう一枚の紙を指差して言う。
その紙には、土地の細かな位置や誰から誰に資産が移動したかといったことが書かれてあった。土地の持ち主の最後の欄はリルスの名前になっていた。
「にしても、ステフは俺の趣味を疑ったままだったな。まあいいか。こういう趣味も悪くない」
漆黒が、先ほどまでリルスの足を縛っていた足枷を持って言う。
「逃げられると困るんでな。ステフの手前、外してやったがもう一度付けさせてもらう」
足枷をリルスの左足に付ける。
漆黒がリルスを見上げた。
「抵抗しないんだな」
「だって、あなたそんなに悪い人に見えない」
漆黒は泥棒だから確かに悪い人に違いないのだが、人を殺したり傷つけたりする人間には見えなかった。
「ああ、そう。そんなに俺の演技が上手かった?」
漆黒が目を細める。
漆黒の視線が、リルスの爪先から頭の上までを舐めるように這う。その視線に、背筋が寒くなった。
突然、漆黒がリルスの両腕を掴んだので、リルスは身動きが取れなくなった。
「何するの!」
「こうするんだよ」
漆黒は左手でリルスの両手首を掴み寝台に倒した。
右足の膝の上を強い力で抑えられて、その痛みでリルスは短く叫んだ。
「痛いっ」
頭だけ何とか起こして、痛みが続く右足を見ると、漆黒が膝で押さえつけているのがわかった。
漆黒の空いた方の手が、リルスの顔に近付く。その手はリルスの首に掛かった。
「騒ぐな。へし折るぞ」
そう言って、気管の部分に指を食い込ませる。喉の奥から沸き上がる不快な感触に、リルスは呻いた。
本当に殺される。
リルスは強く目を閉じた。
暫くして漆黒の手がリルスの首から離れたので、リルスは目を開けた。その手がリルスのスカートの裾から腿へ伸びる。
「暴れすぎ」
漆黒が言うが、リルスは実際にはほとんど動けていなかった。両手は頭の上で漆黒に掴まれているし、左足には足枷がある。右足は膝で踏まれているし、体全体に漆黒が圧し掛かっていて、動こうとしても動かないのだ。
腿の内側を撫で上げて、漆黒が薄く笑った。リルスの反応を見て楽しんでいるかのようだ。
「ステフの友達なら、まさか初めてってわけじゃないよな」
ざらつく手で直接触られて、ゾッとした。それなのにくすぐったくて、笑いそうになって、リルスは歯を食い縛る。
漆黒の唇が首筋を這った。
「あんなクソ王子の所になんか行くな」
耳元で漆黒が囁く。
手首を掴んでいる力が、さらに強くなったように感じた。
反論しようと開きかけた唇を、漆黒に奪われる。
「君が好きだ」
驚いた一瞬の隙に、漆黒の舌がリルスの口の中に入ってきた。一緒に送り込まれてきた唾が喉を勝手に通って行く。
荒っぽいだけだった口づけが、急に甘いもののように感じ始めた。
好きと言われたから?
自分でもわからなかったが、抵抗する気がなくなったのは事実だった。
それを漆黒も感じ取ったのか、ずっと押さえつけていた右足から、膝をどけた。しかし手首は掴んだままだ。
漆黒の唇が離れて、それを寂しく感じて、「なんで?」と思う。
別に漆黒のこと好きなわけじゃないのに。
そう思うと、自分の唇をすぐにでも何かで拭きたい衝動に駆られた。あの感触をすぐにでも忘れかった。
漆黒が空いた方の手で、リルスの目の前に掛かった前髪を払った。ざらつく指先に嫌悪感を感じることは無かった。
廊下の床板を蹴る足音が耳に入った。
廊下は走っちゃいけないのに。
リルスは思う。目の前のことを考えないようにすることが精一杯の抵抗だった。
リルスの顔の輪郭を指でなぞっていた漆黒と、目が合った。漆黒の顔が近付いて来て、またキスされるのだと思った。
しかしその前に、扉が開く音がして、漆黒がリルスから体を離した。
「リルス!」
自分を呼ぶ声が聞こえる。
「エウル!」
リルスは自分を捜しに来た男の名を呼んだ。
部屋を仕切る壁が消えて、エウルニーズが駆け寄ってきた。漆黒に組み敷かれた状態のリルスを見て、エウルニーズの顔面が蒼白になる。
「漆黒! 貴様リルスに何をした」
エウルニーズが剣を抜いて、漆黒に突きつける。蒼白だった顔は、今は怒りで赤くなっていた。
「この間合いなら、お前の得意な短剣を出す隙は与えない」
言われて、漆黒はリルスの手首から手を離して寝台の上に膝で立ち、両手を上げた。
「そんなに怒るな、エウルニーズ王子。まだ何もしちゃいねぇよ」
漆黒は言って、素早く剣の間合いから抜けた。
部屋の前に、他にも人が集まって来た。エウルニーズの従者と、寮の管理人や野次馬の寮生も居るようだ。
「どこへ行く気だ?」
「せっかくの隠れ家だったのに見つかっちまったから、もうここには居られねぇ。別の隠れ家に移動さ。花が咲くころにはまた会えるんじゃね?」
漆黒が部屋の窓を開ける。
「あ、何もしてないって言ったけど、キスだけした」
漆黒は振り返って、目を細めて言った。そして窓から外へ出る。
エウルニーズがそれを追おうとしたが、窓から上下左右を見ても、もう漆黒の姿は無かった。リルスを残すわけにはいかず、リルスの元へ戻ってくる。
「リルス、大丈夫ですか?」
毛布でリルスを包みながら、エウルニーズが言った。
「大丈夫」
答えてから、リルスは泣いた。 |