index>作品目次>青い瞳の唄>5

青い瞳の唄

 リルスのブローチは漆黒に盗まれてしまった。花が咲くころにまた会うなどと言っていたが、春になればまた活動を開始するということなのだろうか。
 エウルニーズに助けられながら城の自室に戻ったリルスは、その日のうちに、荷物を纏めて城から出ようとした。エウルに合わせる顔がない。しかし、部屋を出て数歩も行かないうちに、侍女にどこへ行くのかと咎められて、また部屋に連れ戻されたのだ。
 それから五日以上寝込んだ。実際には普通に寝起きしていたのだが、ずっと寝ているふりをしていた。
 頭が混乱している。
 漆黒に好きだと言われた時、確かに嬉しかったのだ。
 攫われたのに。泥棒なのに。
 そう思うと悔しくなる。
 エウルが助けに来てくれたとき、漆黒に好きだと言われた時以上に嬉しかった。これも事実だ。
 でもだからと言って、漆黒よりエウルが好きという事じゃない。違う。漆黒のこともエウルのことも、好きなわけじゃないはず。
 漆黒は一度会っただけで、エウルも会ってそんなに経っていない。まだ好きだと決めるには早すぎると思う。
 だから漆黒は泥棒だから、好きになるような相手じゃない。
 自分に言い聞かせる。
 でも、もう少し漆黒と色々話をしてみたかったな。
 あんな形ではなく、普通に、友人として出会うことはできなかったのだろうか。
 エウルに会いたい。でも会えるわけないじゃない。他の男と、あんなこと……。
 エウルニーズなら、今の自分にでも優しい言葉を掛けてくれると思う。しかし、それは卑怯だと思う。いや、いくらあの優しいエウルニーズでも、今回のことを許してくれるとは限らない。
 どうしたらいいの?
 目を閉じても、寝台の中で薄暗い風景を眺めていても、同じことばかり繰り返し考えている。出口が見えなかった。
「お食事、ここに置いておきますね。お粥です。起きられるようでしたら、食べてみてください。残しても構いませんから」
 侍女が昼と同じことを言って、寝台の横に食事を乗せた台車を寄せた。
 侍女が部屋から出て行ってから、リルスは上体を起こして粥に目をやった。
 お腹は減ってるけど、食べたくないな。
 リルスは思う。全部食べると元気になったと思われる。元気になったら、先日のことを色々聞かれるだろうが、まだ何を答えればいいのか考えが纏まっていなかった。
 食事は時折食べるが、全部は食べずにわざと残していた。それで、最初は豪華な食事だったのが、リルスが食べやすいようにとその後は粥になったのだ。
 でも、前から同じことばっかり考えてるし……このまま考え続けても、やっぱり同じ気もする。
 リルスはおいしそうな粥を食べることにした。
 考えても結論が出ないのだから、嫌なことは早めに済ませてしまえばいいのだ。その結果、城から追い出されても仕方ない。元々、城に来たこと自体が奇跡のようなものだったのだから、無くなって困ることもないはずだ。
 食事を終えたリルスは、エウルニーズの部屋に向かった。
 侍女には部屋の前まで一緒に来てもらったが、待たなくてよいからと、先に帰した。
「こんにちは。今日もよい天気ですね」
 エウルニーズに声をかけられて、リルスは俯いたまま頷いた。
 きっと、色々聞かれる。
 そう思うと、笑顔を作ることはできなかった。
「わたしはリルスが、城での生活が窮屈になって家に帰ったのかと思って、あなたが暮らしていた寮へ行ったのです。そしたら、あなたの声が聞こえて。でももっと早く探しに行けばよかった」
 エウルニーズが言った言葉は、質問ではなかった。
 リルスの手を引いて、窓辺の椅子に座らせる。
 リルスが居なくなったことに気付いたのは、実際にリルスが攫われてから数時間後のことだったと言う。地上四階のリルスの部屋に、まさか外から侵入する者が居るとは思わず、廊下へ出る扉だけを見ていた侍女や警備の者たちは、リルスが居ないのに気付かなかったのだ。それでも最初は、リルスがひとりで部屋から出て行ったのを見落としたのだと考えられていた。それで、外へ探しに行くのが遅くなってしまったのだ。
 何も聞かないの?
 質問をするどころか、探しに行くのが遅れたと言って謝るエウルニーズ。
 リルスは自分から口を開くしかなかった。
「エウル、わたしはあの漆黒という人を一瞬でも信用してしまいました。わたしに落ち度が……」
「何もなかったのでしょう? でしたら、もう気にしないでください」
 エウルニーズは言って、優しく微笑む。
 リルスは漆黒に一瞬でも惹かれた。それはエウルニーズには言えないことだ。
 言えるわけない。自分でも良くわからないのに。
 怖くて、エウルニーズの顔を見ることができなかった。エウルニーズは優しいから、全部話しても許してくれるような気がして、本当に全部喋ってしまいそうで。
 どんなにエウルが優しくても、他の人を気にしていたなんて知ったら、許してくれないに決まってる。
 リルスは俯いたまま、床に落ちるエウルニーズの影を見ていた。
 その影が、自分の影と重なる。
 エウルニーズに抱き締められそうになって、リルスは体を強張らせた。
 エウルニーズがリルスから離れて困った顔をして、それから取り成すように微笑んだ。
「少なくとも、わたしは気にしていません。傷はゆっくり癒しましょう」
 抱き締められるのを反射的に拒否したのは、心の傷のせいではない。
 エウルではなくて、漆黒を好きだから?
 細く吊りあがった目、黒い瞳と、黒い髪。思い出すと、漆黒への気持ちで胸がいっぱいになる。それは、好きも嫌いも全部合わせた気持ちで、自分でよくわからなかった。
 漆黒といえば、リルスは一つだけ、エウルニーズに聞きたいことがあったのだ。エウルニーズからの質問が終わって、全部自分のことを吐き出してから聞くつもりだったこと。多分、取るに足らないことだ。
「エウル、あなたは漆黒を知っている」
 質問ではなくて、確認だった。
 自分のことに比べれば、エウルニーズと漆黒が知り合いかどうかなんて、些細なことだと、自分に言い聞かせる。
「何故そう思ったのですか?」
 リルスは震えた。エウルニーズが漆黒と知り合いなのは確かなことだ。しかしそれをエウルニーズに確認するのが怖かった。知り合いだとすれば、もしかすると、エウルニーズのこの優しさも、漆黒が垣間見せた姿と同じで、嘘かもしれないのだ。
「あなたは、部屋に居た彼を見て、すぐに『漆黒』と呼びました。漆黒の顔写真なんて出回ったことが無いのに」
 エウルニーズの返事は少し遅れた。
「なるほど。わたしとしたことが、我を忘れていたようです。これは言っては行けない決まりになっているのですが、」
 エウルニーズがリルスの隣に椅子を引っ張って来て座った。
「漆黒とわたしは、古くからの知り合いです。わたしが漆黒を見つけて、名付けた」
 エウルニーズが話す。
「初めて会ったのは、まだ十歳になったばかりの時です。わたしは休暇を別荘で過ごしていたのですが、そこに泥棒に入ったのが漆黒でした。事情を聞くと、漆黒は身寄りがなくて生きるために盗みを続けていたと。当時は漆黒もまだ子どもでしたので、捕らえたもののかわいそうになって逃がそうということになりました。けれどこのまま逃がしてもまた盗みを続けることになります。そこでわたしは父に相談し、取引をしてもらったのです。これからは王家から漆黒に盗みの依頼をして、成功すれば報酬を与える。失敗して捕まっても身元は王家が保証する。そういう取引です。漆黒には、昔王家から盗まれてしまった美術品や、貧乏だった時代に売ってしまった物を、盗んでもらっていました。いえ、取り戻してもらっていたと言った方が良いでしょうか。長い付き合いになります。彼はわたしの友人と言っても良かった」
 それで、漆黒が盗むものは美術品や骨董品が多かったのだ。
 漆黒という名前は彼の本名ではない。彼は自分には名前が無いのだと言った。だからエウルニーズが名付けたのだ。
「変な言い方ですが、彼は生粋の泥棒です。わたしたちが依頼した品以外にも時折盗みを働いていたようですが、それ以外の悪さはしない人でした。間違っても、女性に乱暴を働いたりするような人間では無かった。それなのに、なぜ……」
 リルスは漆黒から、好きだと言われた。
 それをエウルニーズに伝えれば、彼は納得するだろう。けれど、伝える気にはならなかった。
 伝えたら、きっとエウルとは一緒に居られなくなるから。
 優しいエウルニーズのことだから、友人である漆黒がリルスのことを想っていると知ったら身を引くだろう。リルスの気持ちは確認せずに。
 リルスは顔を上げて、エウルニーズを見た。涙が溢れてくる。
 なんで、こんなに優しいエウルが居るのに、漆黒のことが気になるの?
 自分が情けなかった。
「大丈夫ですか。辛い事を思い出させてしまいました。申し訳ありません」
 エウルニーズはリルスの涙の理由を知らない。辛い経験をしたからだと思っているのだ。
 エウルニーズがリルスの手を取った。
「リルス、正式にわたしと付き合ってくれませんか」
 リルスの前に跪いて、エウルニーズが言う。
「でも、ブローチがなくなったから、わたしが遺言の相手かわからなくなってしまいました」
「そんなものはもう必要ありません。わたしがあなたを実際に見て、あなたとなら生きていけると思ったのです」
 涙がこぼれて頬を伝って落ちていく。
「ありがとう、エウル」
 エウルニーズはリルスを抱き締めようとして、やめた。また怖がらせてしまうと思ったのだろう。リルスの手の甲に口付けした。

next

表紙へ戻る 作品目次へ 作品紹介へ

index>作品目次>青い瞳の唄>5