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青い瞳の唄

 漆黒とのことがあってから一ヶ月以上が経った。エウルニーズは漆黒の行方を追わせているが、居場所を掴んだと思ったら逃げられるというようなことを繰り返していた。
「リルス」
 エウルニーズが、乗馬を習っていたリルスの元へ来た。リルスが乗る馬の手綱を引いていた講師が、エウルニーズに形式ばったお辞儀をする。
「今日、一緒に出かけませんか?」
「何時から?」
「今からでも。乗馬の稽古が終わってからでも構いませんが」
 言って、エウルニーズが講師を見た。
「ええ、今日の練習は終わりにしましょう」
 講師が答えて、リルスが馬から降りるのを手伝った。
 その様子を見ていたエウルニーズが首を傾げる。
 わたしが触れようとすると怖がるのに、講師なら平気なのか?
 リルスは形式ばった手の甲への口付け以外で、エウルニーズが近付くと逃げてしまう。リルスのダンスの練習に付き合おうとした時ですら、駄目だったのだ。
「どうかした?」
 リルスがエウルニーズを見て、不思議そうな顔をした。
「あ、いいえ、何も。町へ下りますから、そのつもりで準備してくださいね」
 エウルニーズが微笑みながら言ったので、リルスは笑って頷いた。
 自室に戻ったリルスは、部屋の前でエウルニーズと別れた。エウルニーズもそのままの服装では目立つので、もっと一般的な服に着替えるのだそうだ。
 リルスが自分の衣装棚を開けると、乗馬の練習に行く前にはなかった普段着が数着増えていた。
 エウルの趣味ね。
 意匠に凝った服を見て、リルスは溜息を吐いた。派手な色合いの服は最初から着る気になれない。真っ白なワンピースがあったので手に取ってみたら、大量の透明なビーズが幾何学模様を作っていた。
 同じような服でも、エウルになら似合うんだろうけど。
 服を一つ一つ手に取ってみて、一番マシだと思った白いワンピースに着替えることにした。
 着替えてから、その横にある鏡台に視線が行った。髪を梳かす時に使うだけで、化粧をしたことはない。鏡台には一通り化粧道具が揃っていた。
 化粧をしたら、ちょっとは綺麗になるのかな。
 鏡を覗き込んで、口紅のパレットを引き出しから取り出して唇に塗ってみた。
 何か違うなぁ。
 色合いが気に入らなくて、一度口紅を取ってから別の色を置いてみる。
 結局、元の唇の色と大差ない色合いで落ち着いて、リルスはパレットを引き出しに戻した。
 隣の部屋に出ると、エウルニーズが待っていた。リルスを見て微笑む。
「さあ、行きましょう」
 エウルニーズの服装は、町の人の普通の服装と変わりなくて帯刀もしていない。
 リルスがいつも見ているエウルニーズの姿は王子というイメージで固まっているが、今のエウルニーズはそれがない。いつもとはまるで雰囲気が違って見えた。
 城の入口から馬車に乗って、町の外れで下ろしてもらう。従者は今日は連れて行かないそうだ。
「町に来たの、久しぶり」
 馬車が去っていってから、リルスは周りを見渡した。寮から商店街までの近道だからと、ステフと一緒に良く通った道だ。
「何をしに行くの?」
 リルスは尋ねる。まだ町へ来た理由を聞いていなかった。
「リルスは、美術館は好きですか?」
 問われて、頷く。
 エウルが微笑んだ。
「あなたが通っている学校の創設者テソルクの生誕記念の企画展が、明日から国立美術館で開かれるのです。今日はその準備で閉館しているのですが、閲覧の許可を貰ってきました。一日早く、テソルクの名画をお見せしますよ」
「えっ、いいの?」
 驚いて、リルスは言った。テソルクは生涯で一万点を超える絵画を描いたそうだ。その為、普段見られるのはその中のほんの一握りなのだ。
 エウルニーズが懐中時計を見る。
「美術館に行く前に、少し寄りたい店があるのですが、いいでしょうか?」
 エウルニーズが言う。
「いいわよ」
 エウルニーズについて入ったのは、宝石店だった。
 エウルニーズを見て、店員が会釈してから店の奥に引っ込む。
「あなたのブローチの複製も、ここで作ってもらったのです。あのように大きなサファイアはありませんので、ガラスを使いましたが」
 エウルニーズが話しているうちに、店の奥からまた店員が出てきた。手に薄っぺらい鞄のようなものを持っている。
 その鞄を商品の陳列棚の上で開いて、中がエウルニーズに見えるようにした。
 リルスも覗き込む。
 色々な意匠の、彩の良い指輪がいくつも並んでいた。
 エウルニーズが少し横へ移動する。
「リルスはどれが好きですか?」
「え」
 わたしに指輪を選ばせて、どうするの? まさか、婚約指輪!? それとも、エウルが自分で使うのかしら。
 使わないにしても、宝石や金・銀はそれ自体が資産だから、性別に関わらず貴族は買い集めると聞く。
「えー……っと」
 並んだ指輪を見ていると、どれも綺麗で目移りした。
「ひとつを選ぶ必要はありませんよ。いくつか選んでください。そのまま使うわけではありませんから」
 エウルニーズが言う。
 そのまま使うわけじゃないって、じゃあ何のために選ぶのかしら。
 おかしな話だと思ったが、それでも気に入った物を三つ選んで店員に渡した。今までの話で、どうもこれをリルスがもらえるわけではない、ということはわかる。
「お嬢さまも会員登録なさいませんか?」
 店員が鞄を閉じてから、リルスに言った。
「では、わたしの紹介ということで」
 エウルニーズが言う。
 店員はにっこり笑って、リルスを小さなテーブルに案内した。
 店員に、紙に名前と住所を書くように言われて、まず名前を記入する。
「いらっしゃいませ」
 店員が、店に来たほかの客に向かって言うのが聞こえて来た。店員はそちらの客の対応に行ったようだ。
 住所を書こうとして寮の住所で良いのかと迷っていると、後ろに居たエウルニーズが住所の欄と紹介者の欄に、自分の名前をサインした。
 少しして店員が戻ってきた。店員がその紙を確認してから、別の紙をリルスに渡す。
「こちらが会員証と会員規約になっております。一通り目をお通しください。では、」
 リルスが渡された会員規約を読もうとしていると、店員が今度は銀色の輪が沢山繋がった妙な器具を取り出した。
「サイズをお計りしますね」
 そう言って、店員はリルスの右手と左手、全部の指のサイズを計り、その結果を先ほど名前を記入した紙に書き足した。
 また、店の扉が開く音がした。
「いらっしゃいませ」
 店員が顔を上げて言った。
 その表情が凍りつく。
 新たに店に来た二人は客ではなかった。顔には覆面をし、その手に猟銃が握られている。そして銃口は店員の方に向いていた。もう一人の覆面の男も、猟銃を先に居た客に向けている。
「殺されたくなかったら、この鞄に商品詰め込めるだけ詰めるんだ」
 銃口を店員に向けたまま、近付いてくる。
 強盗は空の鞄を、リルス達が居るテーブルに投げた。鞄の紐がリルスの頭に当たりそうになって、リルスはテーブルに伏せようとした。
「リルス!」
 すぐ後ろにいたはずのエウルニーズの声が、なぜか前方から聞こえた。
 強盗にリルスは捕らえられたのだ。強盗が銃口を店員から、リルスの頭に向ける。他の客に銃を向けていたもう一人が、店員に銃口を向けた。その隙に、先に店に居た客は店の入口から逃げた。
「さあ、早くしろ。妙な真似したら、この女の頭が吹き飛ぶからな」
 銃を持つ右手も、リルスを捕らえている左手も震えている。慣れた強盗ではない。
 なんで? なんでまたわたしが捕まってるの?
 男の腕から抜けようとしたが、震えている割に力は強く、抜けることができなかった。
 店員は男が投げた鞄に、陳列棚に並んだ商品を入れ始めた。
 エウルニーズが店員の様子を見ている。防犯ベルのスイッチが陳列棚の下辺りにあるはずだ。店員はそれを鳴らすことだろう。しかしそうなると、人質になっているリルスがどうなるかわからない。
 陳列棚の一番下の商品を出していた店員が、一瞬その動作を止めた。それはリルスにすらわかった。強盗にわからないわけがない。
 殺される!?
 リルスが思って目を閉じたのと、エウルニーズが駆け寄ってきたのは同時だった。
 その右手に、短めの杖を持っている。杖の頭に付いた宝珠が光った。
 銃が鳴った。
 音に驚いて、リルスは閉じていた目を開いた。リルスを捕らえていたはずの強盗が床に伸びている。視線を左へ移動させると、もう一人の強盗も同じように床に倒れていた。
 そしてリルスは、エウルニーズの右腕に抱えられていた。
 首を回して、自分を抱えるエウルニーズの顔を見た。エウルニーズの右頬に、銃の弾が掠った跡が赤く細い線になっている。
 強盗が撃った銃の弾は、店の天井に穴を開けていた。
「怪我はありませんか」
 エウルニーズが聞く。
「ええ、大丈夫」
 リルスが答えると、エウルニーズはリルスを床に下ろした。
 エウル、すごい。
 どうやって強盗を倒したのかリルスにはわからなかったが、リルスが思っていたよりもエウルが頼りになるということは強く認識した。
 二人の強盗が持っていた猟銃を取ると、牽制の為にその銃口を強盗へ向けた。
 警備員が数名で店へ来たのはその直後だった。
 銃を持っているエウルニーズが危うく拘束されそうになったが、店員とリルスの証言と、少ししてから来た警察がエウルニーズと顔見知りだったので、彼らは強盗二人を拘束して、リルス達は自由になった。
 エウルニーズが店員に杖を渡した。
「これの処分を頼みます」
 恭しく杖を受け取った店員は、杖そのものというより、頭に付いた宝珠を眺めた。宝珠の内部に細かい亀裂が走っていて、元の透明感がなくなっている。
「これは、魔宝珠ですね。わからないように処理しておきます」
 店員が言って、エウルニーズは頷いた。
 エウルニーズの頬の傷はごく浅かったので、もう血は止まっている。それでも、赤い傷がはっきりと分かって痛々しかった。
「遅くなってしまいましたが、行きましょうか」
 笑顔で言われて、リルスも笑顔で頷いた。

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