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青い瞳の唄

 雪道を歩く為の靴や服を新調するのに五日掛かって、準備ができるとすぐに出発した。王都でも雪が三日前に一度降っているが、今はまだ暖かい日が続くようだった。
 リルスは自分が相続した土地に足を踏み入れた。相続したことに気付かずほったらかしだったので、庭も建物もボロボロになっていた。古くなっているが、どことなく懐かしい。古い記憶に残る祖父の家がここなのかもしれないと、リルスは思った。
 自分の相続した物を見るのだから危険はないだろうと、警護は連れて来ていない。エウルニーズと二人だけだ。
 建物の扉を鍵で開ける。この鍵は資産を預けてある貸金庫に他の色々な物と一緒に入っていた。
 扉は音を立てて開いた。中は思っていたよりは汚れていなかった。ほこりもそんなに積もっていない。
 部屋の間取りがわからないので、とにかく全ての部屋を開ける勢いで歩き回った。このどこかに漆黒が居る。そう思ったのだ。
「面倒ですね」
 三部屋ほど見た後に、エウルニーズが言った。建物は三階建てで、敷地は相当広い。
「漆黒が隠れているのなら、また魔法で壁でも作っているのでしょう。わたしが探します」
 その場で剣を抜くと、エウルニーズは目を閉じ、剣の先を床に付けて呪文を唱え始めた。一般人が魔法を使うのは禁止されているので、リルスはあまり魔法になじみがない。剣の束頭に付いている宝珠が光って、剣を中心に円が地面に広がった。
 円がどんどん広がっていく。
 暫くして、エウルニーズは目を開けた。
「見つかりました。二階の奥から三番目の部屋に壁を作っているようです」
 エウルニーズが歩き出す。リルスもそれに続いた。
 エウルニーズが言った部屋を開ける。壁しか見えないのは最初からわかっているので、気にせずに奥へ進む。
 壁にエウルニーズが入ると、壁が消えた。
「何、この部屋……」
 部屋の中は、壁中に絵が飾られていた。有名な画家の作品ばかりだ。
「いらっしゃい」
 部屋の奥の寝台に、漆黒が座っていた。以前会った時と変わらず、尊大な態度だ。
「良い部屋だろ。絵画大好きなお前等からは羨ましくて仕様が無いだろう」
 漆黒が笑う。
 エウルニーズが漆黒に歩み寄った。
「ふざけたことを。ここはリルスが相続したものです。お前がなぜこんなところに居る」
「空き部屋を有効利用するのは俺の得意技なんでね。つーか、エウルニーズ王子はここに俺が居るって知ってて来てくれたんじゃねぇの?」
「確かに。では質問を変えましょう。あなたの望みは何ですか」
「取引か?」
 漆黒が目を細める。
「ここに、絵を飾ろうと思っていた。漆黒様の肖像画。公園で描かせた安いヤツなんだけど、他の絵にも劣らない名作だと思って。でも、お前が俺を追いかけるから、持って来る暇も無かった」
「その絵なら、」
 エウルニーズが目を伏せた。
「その絵なら、まだ保管してあります。必要なら返しましょう」
 エウルニーズが握り締めた右手に、さらに力が入る。後ろに居るリルスからは、その表情は見えない。
「なんだ、もう見たんだ。その絵描いた絵描きはさぁ、ほとんど毎日公園で似顔絵描きしてたんだよ。でもさ、見本に置いてある絵とかすっごい下手で。いやまあ、俺が良い絵ばっか見てたからそう思ったのかもしれないけど。客もほとんど付いてなくて。でも、彼女は風景画は上手くて、繊細で綺麗な色で描くんだ。今の流行じゃないからあんまり売れないだろうなぁ、勿体無いなとか、思ってた。まあ、俺の片思いだな。で、気になるもんだから、色々調べちまった。彼女が住んでる学生寮の空き部屋に隠れ家作ったり。そんなことしてる間に、御伽噺みたいに王子が登場して、彼女を妻にするとか言い出した」
 漆黒が腰に下げた鞄から、ブローチを取り出した。
「まあ、彼女が幸せになるならそれに越したことは無いから、諦めようと思った。何しろ王子様は優しくて何でもできる、俺の最高の友達。でもその時王子様が俺に言ったんだよ」
「漆黒!」
 エウルニーズが叫ぶ。
「やめなさい。言う必要はありません」
 普段のエウルニーズからは想像もつかない、冷たい眼差し。リルスには背を向けているので、見えていないことだろう。言えばただではおかない、そういう目だ。
 漆黒が声を出して笑った。
「王子様は俺に『見ず知らずの女とは結婚したくない。だからその証拠のブローチを盗んでくれ』って頼んだんだよ」
 そんなものだろうな。
 リルスは思う。すごい秘密を聞いたとは全く思わなかった。リルス自身も、いくら王子とは言え知らない相手と結婚はどうだろうと思っていた。むしろ親近感が沸いたくらいだ。
 エウルニーズがリルスの手を握った。
「リルス、漆黒の言うことは本当です。でも今はそんなこと微塵も思っていない」
 リルスはエウルニーズを見た。
 じゃあ、今はどう思っているの?
 エウルニーズは真剣な表情で漆黒を見ている。その表情からは、答えは得られそうになかった。
 漆黒が寝台の上に立ち上がる。
「まあそうだろうな。実際に俺が盗みに入ったら、偽者とすりかえられてたわけだ。だから話が違うって言いに行ったんだよ。でも金掴ませて追い返しやがった。金金金。金持ちは何でも金で解決できると思ってる」
「そういう訳じゃない。ただあの時は他にできることが――」
「知ってるって。で、俺は彼女を盗むことにした」
 漆黒が寝台から飛び降りて、リルスの前に跪いた。
「けれど、俺はどこかで間違えた。自分が制御できなくなって、リルスに酷い事をした。許してもらえるとは思っていない。ただ」
「もう気にしてないわ」
 リルスが言う。
 漆黒が頭を上げた。
「気にしてないって言ってるの。何も無かったのよ、わたしたち」
 また漆黒への気持ちが溢れてきて、涙が出そうになる。けれど、エウルニーズが手を握ってくれている。エウルニーズの気持ちに応える方が重要だ。
 何も無かった事にしたかった。忘れたかった。昔好きだった人だ。忘れなくてはいけないと思った。
 エウルはずっと優しかった。一緒に居て楽しかった。だから、これからもエウルと一緒に居たい。
 漆黒がブローチをエウルニーズに投げた。
「これも返す。開けようとしたけど、何か仕掛けがあって上手く開かなかった。地下室の突き当たりに隠し扉がある」
 エウルニーズはブローチを見ていたが、リルスにそれを渡した。
「リルス、あなたが選んでください。わたしか、漆黒か」
 エウルニーズがリルスの手の甲に口づけする。
 青色の瞳は、少し寂しげだ。
 漆黒がエウルニーズの肩を後ろから掴む。
「待て、いつからそんな話になった? おいクソ王子、いつも勝手に話進めるんじゃねえよ」
 漆黒はエウルニーズを突き放してから、リルスの腕を掴んで引っ張った。
「いやっ」
 反射的に、リルスは叫んだ。漆黒に腕を引かれて、嬉しかった。でも嬉しいと思うのが嫌だった。
 漆黒はリルスから手を離して、酷く残念そうな顔をした。
「ほら。リルスは俺とは一緒に行けない。エウルでないと」
「リルス」
 エウルニーズがリルスを呼び、肩を抱く。
 リルスは震えた。エウルニーズが怖いわけではない。ただ、この状況から抜け出したかった。
「リルス、我慢しないで」
 エウルに言われて、リルスは即座にエウルの腕から抜けた。
 我慢できるはずだった。エウルニーズを嫌いなわけではないから。エウルニーズの側に立って、毅然としていれば良いはずだった。
 わたし、まだ迷ってる。エウルを好きなのか、漆黒を好きなのか。
 そして迷っていることを二人に悟られたくないと思っている。卑怯な人間だ。
「漆黒も一緒に行きましょう。リルスもそれを望んでいる」
 リルスは確かに、望んでいたかもしれない。まだ自分の中で整理ができていないのだ。昔漆黒を描いた時の事を思い出してから、漆黒への想いが強くなっている。それでも、エウルニーズと一緒に居たいという気持ちは消えない。
 ただ、一緒に行ったところで、何か変わるとも思えなかった。

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