酒場

　ガルイグは薄明かりの下で、数人の男と顔を合わせていた。
「そうですか。とうとう探し当てたんですね」
　ガルイグは左端に座る、白髪の老人に向かって言った。
「今は、我々が準備に入っています。こっちはそんなに時間がかからないはずですが、ガルイグの方は？」
　別の男が言った。
「『器』のことなら、あまり心配はいらないようです。彼は精霊に好かれていますから」
　ガルイグは男に答えて言った。
「精霊に好かれる？　そう言えばあんた、前からそんなこといってたな。そんなことがあるものか。精霊なんてものは、従えて使うもんだ。感情もないだろうし――」
　別の男が言った言葉を、途中で他の男が遮った。
「いや。私も『器』を少し見たことがあるのだが、確かにガルイグ殿の言う通りで、精霊たちが『器』にべったりだった。えらく数が多いから、それら全てを手なずけているのかと聞くと、ガルイグ殿によれば、炎の精霊は未だ一匹も確保していないといこと。我々が苦労しているのに対して、『器』は労なくして精霊を手なずけているようだ」
「それが『器』の資格、ということか」
「そうですね」
最後に、ガルイグが言った。

　少しばかり気の利いた飲み屋に、一人の若い女性が入って来た。
「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」
　店長が少女に、入り口近くのカウンターの席を勧めた。あまり奥の席に行くと、ガラの悪い男たちに絡まれかねない。
　少女――いや、女物の服を着たナティセルは、店長の勧めてくれた席に座った。
　元々、この手の飲み屋に来る女性は少ない上に、ナティセルくらいに美しいと、嫌でも目立った。
　席を変えて、ナティセルの隣に座ってきた男がいる。最初は黙ってナティセルの様子を伺っていたが、酔いが回っているらしく、ナティセルに話し掛けてきた。
「あんたみたいな若い子がこんなとこ来るなんて、感心しねえな。最近の若者は俺たちには理解できねえ」
「あなただって、若い時には、もっと年を召した方たちから『理解できない』って言われたんじゃないの？」
　ナティセルは言った。
　店の主人に、アルコールの入っていない果汁を注文する。
　男も酒を注文した。
「飲みすぎじゃありません？」
　ナティセルは男に言った。
「安い酒だから、酔いが回るのが早いんですよ」
　店主がナティセルに言った。
「安月給だから、高い酒は飲めねえんだよ」
　出された酒を一口飲んで、男は言った。
「不況ですからねえ」
　店主が言った。
「こっちは国から金もらって働いてんだ。なのに、国だからっても給料が安定しているわけじゃねえって、後で気づいたぜ」
　男がぶつぶつと言い始める。
　ナティセルはその隣で、店の客たちの会話を聞いていた。
　給料が安いことへの不満、今の政治形態を批判する者、それでも根強い王族信仰。
　客たちの会話の中に、シドの名が上がった。シドの動きを、ナティセルは知っておいたほうが良い。
　客の会話は、もし女王が亡くなったら、次の王は息子のセトか、それとも弟のシドか、ということだった。案外、シド派の人が多いのに、ナティセルは気づいた。
「王子は立場が弱いですね」
　ナティセルは言った。
「まあ、若い分はね。それに、シドにはお金がありますから。色々ばらまいているみたいですよ」
　店主がナティセルに答えるように言った。
　そこまで話した時、店に新たな客が入って来た。
「いらっしゃいませ。２名さまですね」
　店主が入り口に向かって言う。
　ナティセルも客の顔を見た。――セラと、彼女の従者だ！
　反射的に、２人から顔を隠す。
　何でこんなところに来るんだよ！？
　ナティセルは思った。
　考えられる理由は１つしかない。セラが、ナティセルの後をつけさせたのだ。
　丁度、入れ替わるように、五、六人の男たちが店を出ようとしていた。皆、『わたしは悪いです』と言っているような格好をしている。
　その中の一人が、セラとぶつかった。
「ごめんなさい」
　セラはそれだけ言って、店の奥に行こうとした。
「ごめんで済むことじゃねえだろ？」
　ぶつかった男が、セラの前に立ちはだかって言った。
　セラはそんな男のことは気にせずに、ナティセルを見つけて、ナティセルの方へ走り寄った。
「王子さま！」
　周りの客たちが、ぽかんとした表情になったのを、ナティセルは見た。
「誰が王子さまだよ？」
　セラにぶつかった男が、セラに詰め寄る。
「誰って、この方ですわ」
　セラは男の言いたいことがわからずに、ナティセルを指した。
「あんた、ばかだな。女捕まえて『王子さま』だって。もしかしてあんた、レ――」
　そこまで言って、男は横から殴り飛ばされた。
「ったく、いい加減にしろよな」
　ナティセルが席を立って、自分の前に倒れた男に言った。
「この女――」
　男が立ち上がって、ナティセルの胸倉をつかみかかる。
「姫は下がって」
　ナティセルはセラに言った。
「まあ手を離せよ。喧嘩［けんか］なら表でやろうぜ」
　続けて、男に言った。
　が、男は手を離さずに、ナティセルに拳を上げた。
　避けようと思えば、避けられたが、わざとナティセルはそれを受けた。全く防御もしなかったので、そのまま後ろのテーブルに叩き付けられる。テーブルに乗っていた調味料の容器が、音を立てて割れた。
　ナティセルは無表情に立ち上がった。
　「来いよ」
　相手を挑発する。
　ナティセルの口元に、笑みが浮かんだ。体を動かすのは嫌いではない。
「ふざけやがって」
　男が、かかって来た。
　繰り出された男の拳を綺麗な動作で避けて、ナティセルは反撃に出た。
　普通、喧嘩ではあまりやらないのだが、体勢の都合もあって、ナティセルは廻し蹴りをした。後になって、よくスカートでできたな、と思ったが。
　別の客が居るテーブルに、男が倒れこむ。
　観戦を決め込んでいた客たちが騒ぎだした。自分たちにも被害が及ぶかもしれないと思ったのだろう。
「野郎――」
　男が立ち上がってナティセルに殴りかかる。
　特別な訓練を受けているわけでもないチンピラは、自分の身を守る為の体術を一通り習っているナティセルから見れば隙だらけだ。
　男の拳が下りる前に、ナティセルの拳が男を殴り飛ばした。それから先は、ナティセルの一方的な勝ちだった。
　二度とナティセルに手を上げようとはしないだろう、というくらい男をボロボロにしておいて、ナティセルはセラの方を見た。
「怪我［けが］はありませんか、姫」
「ええ」
　セラはいきなり始まった喧嘩にも全く動じずに、普通に受け答えた。
　一方、セラと一緒に来た従者――男だが――は、かなりな衝撃を受けたようだ。何かを言おうと口をパクパクさせているが、声になっていない。
「この辺はガラの悪い連中が多いですから、来ないほうが良いですよ」
　ナティセルはそう言ってから、勘定を店主に払うと、店を出た。
　喧嘩のせいで壊れた店の備品は、負けた方が支払うのが当然だから、ナティセルが払ったのは、ジュースの分だけだ。
　ナティセルの後を、セラとその従者が付いて来る。
「王子さま」
　そう言って、セラがナティセルの横に並ぶ。
「とてもかっこよかったわ。王子さまは、武道もできるのね」
　喧嘩は武道とは違うが、セラにはその差がわからないらしい。世間知らずと言ったほうが良いかもしれない。
　そのまま、セラの他愛のない話を聞き流しながら、自分の館へ向かった。
「姫、もう遅くなりましたので、姫はお帰りください。私はこっちの道ですので」
　三叉路でナティセルは言った。
　セラが『王子さまと一緒に住む』と言い出して、六日ほど経つのだが、ナティセルはセラを客としてもてなすことにし、部屋を別棟に構えさせている。
「では、また明日」
　ナティセルはそう言って、セラとその従者に背を向けた。