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竜の剣のはじまりの物語

12

 卵の島に到着した。湾状になっているところに船を停泊して、小さな舟で浜に上がった。竜が住むという島も、この湾や鳥が沢山居る崖など一部は安全な場所とされている。
 島へ行くのはクレイスとリリーだけと話したのだが、フリードは絶対に付いて行くと言って聞かず、それならレナを船にひとり残すわけにもいかないので、レナにも上陸してもらうことになった。
「フリード、満ち潮でも浸からない辺りで、レナと一緒にわたしたちを待っていてくれないか」
 上陸してから、クレイスがフリードに言う。
「とんでもない。わたしもご一緒します」
「そう言うと思っていた。だが、レナはどうする?」
 フリードが後ろに従っていたレナを振り返った。
 レナは何の文句も言わずに、フリードの後をいつも付いて来る。
「レナをひとりここに残すつもりか。それとも、レナもわたしたちと一緒に、竜が住む場所まで行ってもらうか?」
 フリードを留めるために、レナを連れて来たのだ。それに気づいて、フリードは唇を噛んだ。
「では、わたしはレナと共に、若をお待ちしております」
 頭を下げて、フリードが言う。
 クレイスは頷いた。
「もしわたし達が明日の正午までに戻らない場合は、先にアセンに戻るように」
 丸一日分の食料が入った袋を肩に担ぐ。
 伝わっている地図が正しいとすると、竜が生息する地域まで、この浜からは一、二時間程度で着くはずだ。何事もなければ丸一日も掛からずに帰ってこられる。
「リリー、行こうか」
 クレイスに促されて、リリーは頷いた。
 レナに手を振って、森に入る。森の中は昼だというのに、暗かった。
「リリー、その、竜と話す為の契約というのは、どういうものなのだ?」
 クレイスが尋ねた。
 リリーは自分が契約した時のことを思い出しながら答えた。
「別にね、大したことはしないの。子竜の尻尾の肉を食べるの。子竜の尻尾って、切ってもまた生えてくるのよね。大人になるともう生え変わらないらしいけど」
「それだけで、竜と会話できるようになるのか? それならわたしにでもできそうだが」
 リリーは笑った。
「無理よ。竜の肉よ? エルフ族が食べたら死んじゃうわ」
「あ、そうか」
 頭を掻いてクレイスが言う。
「竜は元からわたしたちと同じ言葉を喋ることができるんだけど、契約した巫女としか会話しないの」
「契約は個別に行われるのか? その、契約していない竜とも会話できるのか?」
「竜の肉を食べた人間を、竜は識別できるから大丈夫なはずよ」
「なるほど」
 会話に一区切り付いて、暫く無言のまま歩いた。
 途中で雨が降り出した。木々が多い茂っていて、あまり空が見えない。やけに降っていると思ったら、急に雨はやんだ。今度は蒸し暑い。
 そのまま進むと川に出くわした。その川沿いに上流に向かえば、目的地のはずだ。
「雨が降っていたとは思えないほど、澄んでるわね」
 リリーが言う。
「そうだな」
 クレイスも答えて、川をもう一度眺めた。
 上流では雨が降っていなかったということだろうか。
 川沿いに歩いていくと、視界が急に開けた。
「聞いていたのが正しければ、ここが竜の巣だ」
 クレイスが言う。
 広場のようになっていて、見渡すと木々を重ねて作った鳥の巣を大きくしたような物が点在している。おそらくは、それがそのまま竜の巣なのだろう。
 リリーが子どもの頃に見た火竜の子も、本当にここで生まれたのかもしれない。
 影が二人を覆った。
 見上げると、それは上空を飛ぶ竜の影だった。
「大きいな」
 クレイスが呟く。
 リリーも火竜の子なら間近に見たが、成竜は遠目に見ただけだ。予想はしていたが、かなり大きい。こちらの声が届くかどうかも疑われるほどに。
 上空を飛んでいた竜が、目の前に降りて来た。青い鱗の竜だった。
 次の瞬間には、竜の前足が、クレイスを掴み上げていた。
「クレイス!」
 リリーが叫ぶ。
 青い竜がリリーを見たような気がした。しかし、竜はクレイスを掴んだまま上空へ上がり、そこからクレイスを落下させた。大した高さではない。そこら辺の木の上から落ちた程度の高さで、エルフ族なら死にはしない。
 リリーはクレイスに駆け寄ろうとしたが、近付く前に、青い竜が炎を吐いた。
 目の前が赤く染まる。クレイスはその向こうで倒れていて、炎の壁が邪魔で見えない。
 甘かったのかもしれない。
 リリーは思った。
 話を聞いてくれる可能性が低いということは分かっていた。それでも、最初の一言すら話す隙もなく攻撃されるとは思っていなかった。
「話を聞い――」
 最後まで言うことができなかった。青い竜の前足でリリーは弾かれたのだ。
 青い竜はさも不思議そうな顔で、リリーを見下ろす。
 竜の契約のことを、この竜は知らない?
 嫌な予感に、リリーは凍りついた。
 おそらく、リリーが他の人族と違うことには、この竜も気づいてはいるのだろう。しかし、それが『この人間と会話するためのもの』だとは分かっていない、そんな気がした。
「お願いがあるの」
 リリーは竜に向かって言う。
 青い竜が少し驚いたように、身を引いた。言葉は通じているのだろう。
「わたしたち、竜の爪か牙が欲しいの。ほんの少しでいいの」
 リリーは立ち上がって、竜に少し近付こうとした。
 リリーの行動に驚いたのか、竜は吼えて、炎を吐いた。
 ああ、嫌だなぁ。これじゃあ、前と同じじゃない。
 火竜の子を助けようとして、親竜と共鳴した火竜の子に炎を吐かれて火傷を負って、肝心の火竜の子は勝手に逃げていった。
「リリー」
 後ろから声が聞こえて、リリーは繁みに向かって押されて、炎から逃れる。
「クレイス」
 リリーを守るように、クレイスが抱きとめた。
 青い竜はそこに生えている木々ごと、二人が居る辺りを踏みつけた。
 木が倒れる音がして、リリーはクレイスの腕の中で身を固めた。
 辺りが静かになったので、リリーは目を開けた。クレイスに守られているので、まだ周りがよく見えない。
 額に付いた汗を拭おうとして、それが汗でないことに気づく。
 血。
 汗がこんなに沢山流れ出てくるわけが無い。
 自分が怪我をしたのかとリリーは考えて、どこも痛くないことを確認する。
「クレイス!」
 自分が怪我をしていないのであれば、これはクレイスの血だ。
 リリーはクレイスに呼びかける。
「あ、ちょっと、待って」
 頭上でクレイスの声がして、リリーは安心した。
 クレイスが自分に圧し掛かっている木々や草を少しずつどけていく。下手に触ると、上から木が倒れてきそうだった。時間を掛けて、やっと普通にリリーが外へ出られるくらいになった。リリーが先に外に出て、まだクレイスの上になっている泥や木を横へどけた。
「クレイス、大丈夫?」
 外に出たクレイスは、その場に仰向けに転がった。
 天井を竜が優雅に飛んでいる。
「ああ、大丈夫だ」
 エルフ族は人族よりも丈夫だ。それでも、大量に出血すると動きは鈍くなり、全体的な回復も遅くなる。
 リリーは自分の服を見て驚いた。
 白だったはずの服が、赤く染まっている。
 全部、クレイスの血?
 どう考えても自分は怪我をしていない。あまりにも痛いと逆に痛みを忘れるようになっていると言うが、そういう訳ではなさそうだ。
 木が倒れてきた時に怪我をしたのだろうか。
 リリーはその時のことを思い出そうとした。木が倒れてきたのは、青い竜がそこら辺をなぎ倒して、その後踏み潰したからだ。
「クレイス、背中を見せて」
 仰向けに寝転がっているクレイスは、額から多少の血を流してはいるが、それだけではリリーの服が赤く染まるほどの血にはならない。今、クレイスが隠している部分に、怪我を負っているとしか考えられなかった。
 クレイスがしぶしぶといった感じで、その場に座った。
 服の背の部分がぼろぼろに裂けて、皮膚が一部捲れ上がっている。
 血の気が引く気がした。実際に引いていたのかもしれない。クレイスと出会った時のことを思い出して、ぞっとする。あの時も、手当てが遅れていれば、死んでいたかもしれない。今は、どうやって手当てをすれば良いのだろう。
「これは……竜の爪の……跡よね?」
 声を絞り出す。
 クレイスの返事は無い。
「竜に、やられたのよね?」
 涙が溢れた。一番避けなければいけないことだった。竜の爪にはエルフを死に至らしめる毒がある。
「これを飲んで」
 泣いていても仕方が無い。助かる見込みが無いわけではない。
 村を出る前に、隣の家の婦人から貰った。竜の毒を打ち消す解毒薬。
 リリーはクレイスに小さな薬の包みを渡そうとしたが、リリーが触れるとクレイスは倒れてしまった。既に意識が無い。さっきまで意識があった方が不思議なくらいだ。
 粉末の薬を、クレイスに無理やり飲ませようとして、それでは駄目だと気づく。
 リリーは薬を自分の口に水と一緒に含むと、口移しでクレイスに飲ませた。
 この毒消しは竜の皮の毒を消せる。けれど、人族に取っては致死毒。何度もうがいをした。自分がどうなるか分からなかった。喉が焼けるように熱くて、がらがらして、咳をしても何も出るものがなくて、余計に痛くなった。
『リリー』
 耳の奥で声がした。
 誰?
『リリー、大丈夫?』
 大丈夫じゃないわ。助けて。助けて!
 リリーは叫んだ。声が実際に出たのかどうかは分からない。自分に声を掛ける者があるならば、助けて欲しかった。
『待ってて。今行くから』
 熱い日差しが、大きな影に遮られた。
 赤い竜だった。

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