1.新たな町の住人
1 赤く燃え盛る炎の前に、耳の先の尖った少年が立っていた。その少年の手をきつく握っているのは少年の姉だった。 |
先ほどまでとは違う、涼しい空気の流れを感じる。 助かったのか? 生きるか死ぬかという状況に陥ることは今までに何度もあった。別に殺し合いをしてきたわけではない。単に、喉が渇いて腹が減って、動けなくなる。それが青年にとっての、ここ数年の生きるか死ぬかだった。 ゆっくりと目を開けると、自分を覗き込んでいる少年と目が合った。 「気がついたんだね」 少年の顔が綻ぶ。短めに切った癖のある茶色い髪に、深い青色をした瞳。砂漠の中の町には似つかわしくない、象牙色の肌の少年だった。 横から挿す光が眩しくて、青年は左手で目の前に影を作った。日に焼けて茶褐色になった自分の腕が見える。 「ここは?」 腕の向こうに見える天井を見つめたまま、青年は少年に尋ねた。 「ここはカザート。ヴォルテス王が治める平和な国だよ」 そう言って、少年は青年が横たわっている寝台から離れて行った。 すぐに足音が戻ってきた。 「それからこれ、確かめさせてもらったよ。武器にはなりそうにもないし、返すね」 少年は言って、青年が寝ている横に、小さなナイフと麻布でできた巾着袋を置いた。 青年が起き上がって、ナイフを手に取る。ナイフの刃の部分はルカの掌よりも小さく、両手で掴むとナイフ自体が隠れてしまう大きさだった。金色の鞘に収められていて、その鞘には首に掛けられるように、鎖が繋いである。 「これは両親の形見なんだ」 青年はそう言って、ナイフを首に掛けた。 巾着袋を開けて中身を掌に出し、確認する。特に盗られた物はないようだ。 改めて、少年を見る。まずは助けてもらった礼を言わねばならない。 「ありがとう。おかげで命を失わずに済んだ。俺の名前はルカ。ここより西の地から来た」 寝台から降りて、少年に向かってお辞儀する。 立って見ると、少年は自分よりもかなり背が低かった。 「どういたしまして、と言いたい所だけど、あなたを助けたのは僕じゃないんだ。僕の名前はセイロン。あなたを見つけたのは、僕の妹だよ」 セイロンはそう言って笑った。 ルカにミルクが入ったカップを渡す。 「西から来たって言ったけど、紛争地域から来たの?」 ルカは首を横に振った。 「別に戦争はしていなかったな。俺も適当に歩き回ってるから、特にどこがどうとか知らないんだ」 今はカザートに居るが、別にカザートを目指して歩いていたわけではなかった。ルカが探しているのは町では無いのだから。 「そうなんだ。じゃあ何の為にカザートに来たの?」 「姉を探しているんだ」 ルカが言う。 「俺が六歳の頃、住んでいた町が妖精族の軍隊に襲われて、両親を亡くした。その時、一緒に逃げていた姉とはぐれてしまったんだ。それからずっと、俺は姉を探して歩いている」 首に下げたナイフを握り締める。 ルカの町を襲った妖精族は、町に火を放った。姉とはぐれて、どこへ行けば良いのか分からなかったルカは、焼け野原になった町へ戻り、そこでこのナイフを見つけたのだ。 町で金具を作る仕事をしていた父親。その父が作った玩具のようなナイフ。 「俺は小さな町で両親と姉の四人で暮らしていたんだ。それを、あのエルフが……!」 握り締めた拳に力が入る。 思い出すと、今でも悔しい。 あの時の自分はまだ幼かった。助けを求める声に耳を塞いで、ただ姉に手を引かれて逃げることしかできなかった。その姉さえも、居なくなってしまった。 「それは良いから、ルカのお姉さんのことを教えて? 名前とか、年齢とか」 セイロンの声で、ルカは我に帰った。 「一緒に探してくれるのか?」 言って、そんなお人好しが居るわけないと思う。しかしセイロンはあっさりと頷いた。 「うん。僕はここで人の出入りを管理する仕事をしているんだ。もしかしたら、ルカのお姉さんもカザートに来ているかもしれないよ。僕が知ってるのはここ数年の分だけだけど、それより昔の記録も調べられるし」 ルカは目の前に立つ少年を見た。見た目には随分若そうだが、しっかりしている。頼りになりそうだった。 「そうなのか。姉の名前はユディト。年齢は……あれ?」 思い出そうとして、年齢がさっぱり分からないということに気付く。名前だけははっきりと覚えているのだが、それ以外が曖昧だった。身長はルカよりかなり高かったが、何しろルカが六歳の時の話だから、それも当然のこと。顔は? 髪の色は? 肌の色は? 姉なのだから、ルカと似ているのかもしれない。しかし、父親似のルカと違い、ユディトは母親似だったかもしれない。 「どうしたの?」 セイロンが訝しげに、ルカを覗き込んでいる。 「あ、いや、うん。名前はユディトで間違い無い」 「そっか。小さい頃の話だもんね。もう忘れてても仕方ないよ。ユディトって異国風な名前だね。珍しい名前だからそんなに該当する人は居ないと思うし、問題ないよ」 セイロンが笑顔で言う。 珍しい名前と言われると、確かにそうなのかもしれない。 ルカは、自分が生まれた町の名前も場所も知らない。場所は大雑把な方角を覚えているくらいだ。世界には他にも沢山町があることや、町を含んだ『国』という物があることも、六歳だったルカは知らなかった。 ルカが生まれた国は、この砂漠の国であるカザートではないはずだ。この前に居た西の国とも違うはずだ。 夏は暑く、冬には雪が降る、そんな場所だった。 「暫くこの町に居ると良いよ。大きな町だから、沢山人族が居る。妖精族もね」 セイロンが言う。 「そうさせてもらうよ」 ルカは頷きながら答えた。 改めて、部屋を見回す。木の床と壁。窓の外には見渡す限りの畑が見えている。扉の向こうは台所のようで、同じ木の壁に開いた小さな窓から向こう側の流し台が見えていた。 「ルカ、もっと寝てなよ。お医者様がね、君は栄養失調だって言ってたよ」 西日がきつくなって来たからか、セイロンが窓にカーテンを引きながら言った。 「あとその目、光に当てない方が良いんだってね。新しい包帯くれたから、夜になったら替えておきなよ」 寝台の枕元にある棚に、包帯を置く。 ルカは、布切れを巻きつけた自分の右目に手をやった。 「この町には、医者が居るのか」 医者なら、この布の下を見たに違いない。そう思ったが、手で触れてみる限りでは、自分が巻いた時のままのように思えた。 「うん。本当は馬や牛を専門に診てるんだけどね。ソルバーユ様と言って、妖精族だけど人族も診てくださってるんだ。元々は別の国で人族と妖精族の治療をしてたって言ってたよ。ヴォルテス王がその国をカザートと併合したから、その時に王室に呼ばれたんだって。でもソルバーユ様はそれを断って、断っちゃったから、元々の仕事じゃなくて牛や馬の専門にされたみたい」 セイロンが説明する。 人族にとって妖精族は、自分達を支配する憎い相手だが、そうではない妖精族も居るということだ。 それにしても、医者が診たならなんでこの目をそのままにしてるんだ? かなり長い期間、この包帯代わりに使っている布切れを替えた覚えがない。医者でなくても、勝手に交換しようとする者が居るのが常だ。医者なら尚更、怪我をしているのかもしれないと、包帯を取って見るものだ。 まあ、見られてないなら、それでいいか。 ルカを栄養失調だと診断したということだから、病気が専門で、怪我は基本的に診ない医者だったのかもしれない。 ルカは寝台に入って寝ることにした。 |