2.魔族来襲
3 ルカがカザートに来てから一週間が経った。カザートでは日曜日を起算とする七日間で一週間という括りになっている。日曜日は休みで、ルカの馬屋の仕事もない。日曜日の前日の晩に、二日分の餌をぶち込んでくるのだ。もちろん、それで放置しておくわけにもいかないから、実際は誰かが代わりに見に行っているのだろう。 |
台所からマギーとセイロンが戻ってくる。 「ねえ、おじさん。おじさんのお姉さんが見つかったら、おじさんはどうするの?」 マギーが尋ねた。 「そうだな。姉ちゃんと一緒に自分が生まれた町に戻って暮らしたいとこだけど、もう町に住んでる人も居ないだろうし。どうしようかな」 ルカが答える。 町が滅んだだけで人が生きているならば、またあの町は以前のような穏やかな町になっているかもしれない。けれど、ルカが住んでいた町を滅ぼした妖精族の軍隊は、見つけた住民を老若男女関係なく殺していた。仲良くしていた近所の子ども達も、死体になって道端に倒れていた。 だから、今戻っても町は廃墟のままだろう。 「おじさん、居なくなっちゃうんだ……」 マギーが呟く。 ルカは否定しない。姉が見つからなければ姉を探すために、姉が見つかれば永住できる場所を探しに、どちらにしろ、いつかはこの町を出るつもりだった。 「でも、ここ一、二年の間にユディトって人はこの町には来ていないみたいだよ」 セイロンが言う。 セイロンは時折入出者のリストを見て、ユディトを探してくれていた。一週間もしない内に二年分のリストを見ているのだから、見落としもあるかもしれないが、ここはセイロンが言うことを信じるしかない。 ルカがこの町のそういう資料を見る訳にはいかないだろうし、第一、もしルカ自身でリストを見るとなると文字を覚えるところからやらなければならなくて大変だ。 「年齢が、ルカよりもすごく年上の人だったら居たけど。さすがに今四十五歳ってことはないよね」 「それはないな」 ルカのおぼろげな記憶の中の姉は、十代の中ほどだったように思う。確か、ルカの倍以上は生きていると言っていた。当時のルカが六歳だったから、当時十二歳以上だったということは間違いなかった。そして、母親より若かったのも確かだから、二十歳も年が離れているということはないはずなのだ。 「わたし、もう帰るね」 マギーが言って部屋の扉を開ける。 「おじさん、お姉さんが見つからなかったら、ずっとここに住む?」 開けた扉の向こう側から、マギーが言った。 見つからなかったら? この町を出て、次の町へ行って姉を探すだけだ。けれど、いつこの町を探し終わったと分かるというのだろう。今まで町から町へ、国から国へと転々としてきたのは、明確に姉が居ないと分かったからではなかった。ちょっとした問題を起こして、その場所に居られなくなったからなのだ。 本当は、俺に姉ちゃんを探す気なんて無いのかもしれない。 本気で探そうとしていたなら、問題を起こさないように気を付けながら暮らしていたに違いない。それを、事あるごとに妖精族と対立して騒ぎを起こしてしまうのは、姉探しよりも、妖精族の言いなりになることの問題の方が、ルカにとって重要だったからだ。 「マギー」 声を出したのはセイロンだ。 「早く帰らないと、魔族が出る時間になるぞ」 「え、ああ、うん。じゃあ、またね」 ルカが答えをすぐに返さないのは、マギーが望まない答えを出したからなのだろう。 セイロンはそう思った。 マギーは、ルカにここに居て欲しいと願っている。最初からルカのことが気になっているようではあったが、今日のことではっきりした。 でも多分、ルカはここに長くは居ない。いや、居られない。 ここは、妖精族の住処に近過ぎる。はっきりと妖精族を敵視しているルカが、長い期間住めるとは思えなかった。 |
「ねえルカ、お姉さんと同じ名前のユディトって人が居たとして、どうやって本人って確認するの? ルカはお姉さんの顔を忘れてて、生まれた場所の地名も分からないんでしょ。当時はルカの方が小さかったわけだし、お姉さんだってルカを見て分かるとは限らないよ?」 セイロンが尋ねる。 「ああ、それは」 ルカは首に下げたナイフを鞘から抜いてセイロンに見せた。鎖ごと首から外しても良いが、鞘から抜くだけの方が簡単だ。刃が出るので危ないかもしれないが、相手はセイロンだし、触って怪我をするということもないだろうと思ったのだ。 「ここに模様があるだろ」 ナイフの柄頭を指差す。 ナイフがかなり小さいので、セイロンからはどこを指しているのかよく分からなかったが、とりあえず頷いて見せた。 「親父が、これをそのまま押し付けて模様を取った指輪があるんだ。それはお袋から姉ちゃんに譲られた。俺はこのナイフを親父から貰ったんだけど。だから、この模様と左右逆の模様の指輪を持ってるのが、俺の姉ちゃんだ」 「見てもいい?」 セイロンが言って、ルカが持っているナイフを手に取った。 それほど細かい装飾がされているわけではない。鳥の形だろうか。鳥の模様が入った指輪となると数多いだろうが、多少歪な形だから、逆に限定されるかもしれない。 「ありがとう」 ルカに返す。 「ま、ここまでしなくても、お袋や親父の名前とかで分かるんじゃねえの?」 ルカが言った。 「顔覚えてないのに名前だけは覚えてるんだ」 セイロンが呆れ口調で言う。 「んなこと言われても。顔ってなんか皆似てんだろ?」 「似てないって。兄弟とかなら似てるかもしんないけど、双子でもない限り、見分けが付かない程似ることはないから」 「ふーん、そっか。言われてみればそうだよな。でも、見分けるのと覚えるのって、また別な話だろ」 「うん」 当たり前だ、という顔でセイロンが頷く。 セイロンはルカより年下だが、話していると、自分が年下のような錯覚を起こしそうになる。 カザートでは、人族であっても優秀な者は役職を得られるという制度を取っているのだそうだ。セイロンが言うには、文字を全て覚え自由に筆記、及び朗読ができることが最低条件で、その文字を使った筆記試験で良い成績を収めれば、晴れて国の役人になることができ、その上身分も奴隷から平民に変えられるらしい。 その為に、セイロンは必死に勉強をしている。それで蓄えた知識は、ルカが身を持って経験し、得た知識よりも多い。そのせいで、セイロンが年上に思えてしまうのだ。 しかし、筆記試験を作るのも採点するのも妖精族だ。結果なぞどうにでもできるだろう。セイロンは疑ってもいないようだが、その制度は形骸的な物と考えてよさそうだった。 けれど、嬉しそうに知識を披露する時のセイロンを見ると、それを言う気にはなれない。形骸化しているというのは、ルカの思い過ごしである可能性もある。実際に人族を政治に取り入れるのであれば、それはルカが思い描く、人族と妖精族とが平等な社会の始まりになるかもしれないのだ。 そうなると良いのに。 そうはなりそうにない、と思う。 ルカはナイフを鞘に戻した。 |