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3.道程

 姉が居なくなってから、ひとりでどうやってここまで来たのだろう。
 気付けば、少年は一人でどこかの町の中に居た。市場の店先に並んだ食べ物を掴んで、逃げる。
 少年は子どもだったが、勝手に人の物を取ってはいけないことくらい知っていた。
 それでも、盗らなければ、自分が死んでしまう。
 思い切り逃げたつもりだったが、大人はすぐに追いついてきた。大きな目の妖精族の男は、少年を見て一瞬怪訝な顔を見せ、それから大声で笑い出した。
 市場に居たひとびとが集まってくる。
 男は少年を指差して、言った。
「半妖精族」
 その後、幾人かはその場から逃げ出した。
 残ったのは下卑た笑いを浮かべる男ばかりで、いきなり顔を殴られた。物を盗ったことへの仕返しだと思って、少年は大人しくしていた。
 だが、いつまで経っても、少年への暴行は終わらなかった。

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 翌日、ルカはサルムに頼んで、少し早めに仕事を上がらせてもらった。
 いつものように、畑の畦道を歩いてイーメルと人族の子ども達が遊ぶ場所へ行った。普段より時刻が少し早いので、子ども達はルカを見て一瞬不思議そうな顔をした。
「まだ時間あるから遊んでろ。でもお姫さん借りるぞ」
 ルカが言うと、子ども達は鬼ごっこの続きを始めた。
 会話を聞いていたイーメルが、畑から畦道へ上ってきた。
「今日は早かったな。何か用か?」
「お姫さん、地図持ってねえかな。カザート全体地図」
「持ってはいるが、そなたには見えぬぞ」
 どうしてそんな物を見たいのか、と言いたげな表情でイーメルが言う。
 やっぱり石版か。でも、見えないってだけで、見てはいけないとは言わなかったよな。
「それ、借りられないかな。調べたいことがあるんだ」
「別に良いが、何を調べる?」
「俺の故郷、昔妖精族に滅ぼされた……って前にも言ったっけ?」
 イーメルが首を横に振る。まだ言っていなかったらしい。
「その妖精族の軍隊を率いていたのが……」
 イーメルが少し離れた場所から、自分を見ている。
 言いかけて、ルカは気づいた。ルカの町を滅ぼしたイレイヤ公がカザートのヴォルテス王本人かどうかを、ルカは確認しようとしている。そして本人であれば、ルカはヴォルテス王を倒す。つまり、イーメルの父親を倒すということだ。
「あ、いや。俺の故郷が妖精族に滅ぼされたんだけど、俺自分の故郷の名前を思い出せなくて。もしかするとカザートの中の町だったかもしれないから、見たら何か思い出せるかなーと」
「ふむ」
 イーメルが相槌を打った。
「その妖精族の軍隊を率いていたのが、我が父、つまりイレイヤ公だっのではないかと、そなたは考えておるのじゃな?」
「えっ、ああ、……」
 誤魔化したつもりだったが、何の意味もなさなかったようだ。
「では明日、地図をそなたに貸そう。そなたでは見ることもできないであろうが、金を払えば図面にしてくれる者もおるだろう」
 奴隷がそんな余分な金を持っているわけがない。どうせ見られないのだから、と思っているのだろうか。
「お姫さん、」
 忠告はしておこう、と思う。イーメルは人族を甘く見ている。無用心だ。
「もし、それで俺の町を滅ぼしたイレイヤ公が、確かにこの国の王だと確認できたら、俺がどうするか分かるよな? 俺の故郷で生き残ったのは多分俺だけだ。女子ども関係なく殺された。町を火の海にされた。俺は戻る場所さえ失った」
 イーメルは畑に戻りながら、ルカを振り返った。
「地図を貸すのは、いつも子ども達を送ってくれる見返りじゃ。別にそなたのために貸すわけではない。それに」
 立ち止まって、唐突にイーメルがルカの方へ戻ってきた。
 ルカの眼前に立って、イーメルが言い放つ。
「そなたの町を滅ぼした妖精族の名がイレイヤで間違いないと言うのならば、地図なぞ必要ない。ここ千数百年の間、イレイヤと名乗っていたのは父の家系のみ」
 イーメルは、ルカが確認したいのは、ルカの故郷がカザートの一部となっていれば父がルカの故郷を滅ぼしたと分かるということだと思っていた。しかしルカは、滅ぼしたのがイレイヤという名前の妖精族だと知っていた。それならば、それ以上の確認は不要だ。
 カザートは征服を重ねて大国となった。そこら辺の人族や妖精族はほとんどが征服した地の者達だ。以前の権利を失った者や、戦いで家族を失った者の中には、ヴォルテス王を恨む者が居て当たり前。
 わらわらは憎まれて当然じゃ。
「それでも地図が見たいのであれば、約束通り、明日持って来よう」
 笑い飛ばしたかった。
 王を倒すなぞ莫迦げたことだ、そなたでは王に近づくことすらできぬ。
 いつもならそう言っただろう。しかし今は、
 わらわを利用する気だったのか。
 その気持ちが強く出て、口を開けばそう言ってしまいそうだった。惨めな言葉だ。イーメルはルカに地図を貸すと言った。既に利用されているではないか。妖精族の王女が、なんということだ。
 ルカがヴォルテス王がイレイヤ公だと知ったのがつい昨日のことだとは、イーメルは思いもしなかった。
「お姫さん」
 ルカが言う。
「やっぱ地図貸してくれ。姉ちゃんが、あれはイレイヤ公の軍だって言った。だからきっとそれで間違いないんだと思う。けど、自分で確認したい」
 イーメルはそれを聞き、頷いた。

 イーメルに借りた地図は案の定というか、ルカには見ることができなかった。ルカが見ることができるのは、新しい物のみ。記録されてから一年も経つと見られなくなってしまう。古くなればなるほど、記録力が弱くなっていて見ることができない。それは純粋な妖精族でも同じだが、妖精族は保存状態の良い物ならば千年前の物でも見ることができると言う。
 ルカは羊皮紙を数枚セイロンに用意してもらった。文字を書いて覚えたいと言ったらあっさりと貰えたのだ。
 一枚に、ルカはサインを書いた。カザートに来て居住権を得る為の話をネルヴァとしていた時、ネルヴァが石版に記していたものを真似する。
 ルカに読めない地図を誰に書き写してもらうか、ルカはネルヴァに頼むつもりだった。しかし、ネルヴァが住む寮は分かったものの、入り口で門前払いされてしまったのだ。それで、ルカは以前ネルヴァが使っていた署名を利用することにした。
 前回と同じように、ルカは寮の門で呼び止められたが、素早く、ネルヴァの署名を真似たものが書かれた羊皮紙を門番に見せた。
「ネルヴァ様から、この通り特別な命令を受けまして。これが相手からの書状なのですが、ネルヴァ様に直接確認してもらわないと」
 地図の石版の頭を少しだけ門番に見せる。
 これだけしか見えないと、石版に何が書かれているのかは分からない。
「そっちを見せろ」
 ルカが持つ石版を指して、門番が言った。
「とんでもない。相手の方から、ネルヴァ様以外には見せてはならないと言われております。わたしも当然中は見ておりません」
「お前は阿呆か。人族が見ても見えるわけがないだろう」
「おっと、そうでした、そうでした。ここだけの話」
 ルカは声を潜めた。
「わざわざ人族であるわたしに使いをさせたのには、貴方様が仰いますように、どうしても書状の内容を見られたくなかったからではないでしょうか。相手の方はそれはそれは美しい女性の方でして……」
「ふむぅ。仕方ないな。ネルヴァ殿のサインもあることだし、今回だけ特別だぞ。次からはちゃんと手続きを取るよう、ネルヴァ殿に伝えておいてくれ」
 話の分かる門番だ。
 ルカは門番にお辞儀をしながら、寮に入った。
 ネルヴァの住む部屋は確認済みだから、まっすぐにそこを目指す。部屋は番号順に並んでいて、ネルヴァの部屋は三号室。番号というのは左から小さい順に並べるのが普通らしいから、部屋番号が石版になっていてルカに読めなくても、大体想像がつく。
 左から三番目の部屋の扉を叩く。
 一瞬、部屋の外を確認する為の小窓が開いて、その後扉が開いた。
「早く入れ」
 ネルヴァがルカを部屋に引き込む。
「ったく、なんでこんなとこに来た。それと、勝手に私の恋人を捏造するんじゃない」
 部屋には窓があって、そこから先ほどの門番が見えている。それにしても結構な距離だ。
 うわ。耳良過ぎだろ。
 妖精族の聴力が優れているのは知っているが、まさかあの小声まで聞き取られるとは思わなかった。
「言っとくけどな、お前の嘘がバレなかったのは、偶然、私がついこの前、実際に同じことをしたからだ」
「恋人と逢び――」
「田舎のお袋が病気で! 今一応警備の待機中だろう。普段は親とだって一週間に一度か二度、手紙でしか連絡できないんだ。でも様態が良くないらしくて心配でな。まったく」
 腕組みして、ネルヴァが言う。
「で? 何しにここまで来たんだ」
 言われて、ルカは地図をネルヴァに見せた。
「この地図を、俺にも分かるようにこっちに写して欲しいんだ」
 丸めて持ってきた羊皮紙も見せる。
「どれどれ」
 拒否するわけでもなく、ネルヴァは石版を手に持って見た。
「これはまた……細かい地図だな。全部写すとなると相当時間が掛かるぞ」
「大雑把なところだけでいい。町の名前とか形とか、目立つ道とか分かれば」
 ネルヴァにペンも渡す。
 受け取ってくれたということは、地図を写す気があるということだ。
「ルカ、いつまでここに居られる」
「明日の仕事が始まるまで」
「朝帰りはよせ。私が変人扱いされるから」
「なるほど。じゃあ、日付が変わる前には終わるって事か」
「まあ、そういうことだ」
 ネルヴァは石版を見ながら、まずはカザートから書き込み始めた。
 ネルヴァの作業は手早かった。国境、それに町と町の境界線を引くのはすぐに終わった。それからいくつか点を打っていく。
 それが終わると、ルカにペンを返した。
「地名はお前が書くんだ。私は人族の字を知らない。ここがカザートだ」
 地図をルカの方へ向けて、指差す。
「こっちがチュンウ。ああ、上が北な」
 国の名前を書き込んでいく。
「ここが『竜の洞窟[ダイゴラス・トーチス]』だ」
 点を指してネルヴァが言った。
「竜の洞窟? なんだそれ」
「ああ、カザートでは結構有名な観光地だよ。名所を入れると分かりやすいかと思ったんだけど、そっか。ルカはこっちの人じゃないんだよな」
「ふぅん」
「大きな鍾乳洞さ。中には『竜の剣[ディガー・ソード]』っていう伝説の剣があるそうだ。まだその辺がカザートじゃなかったころは、結構竜の剣を探す冒険者とか居たらしい」
「なんで伝説なんだ」
「見た人が居ないからだろ。噂ではそれは竜の牙で出来ていて、一撃で百の妖精族を倒すらしい」
 ネルヴァが言う。それほど関心はないようで、ネルヴァの言葉はどこか淡々としていた。
 確かに、一撃で百とか、竜の牙を使っているとか、何とも嘘臭い話だ。
「で、こっちがラグナダスって書いてある」
 言われた通りに、記入していく。元々知らない国。地名を聞いても何もピンと来なかった。
 暫くそれを続けていたが、やっとネルヴァが
「これで大雑把なとこは全部だ」
 と言った。それから小声になった。
「それにしても、どこでこの地図を手に入れたんだ? 私も知らないような道が細かく書き込んである。多分王族用の抜け道だ」
「え?」
 この地図はイーメルから借りたものだ。だからネルヴァが言うような王族用の抜け道が描かれていてもおかしくはないが、地図の用途はイーメルに伝えたし、そこまで細かな地図が欲しかったわけではない。
「なんだ、知らずに持ってきたのか。まあいい。出所は詮索しないことにするよ」
「いや、これは」
 おそらくネルヴァは、機密扱いの石版をセイロンがルカに渡したと思っているだろう。ネルヴァの親切は分かるが、勘違いによる気遣いは困る。
「イーメルが……」
 何の為に? これしか地図がなかった? そんなはずはない。俺の目的をお姫さんは知っていた。俺の目的はなんだ? 俺の町を滅ぼしたのがヴォルテスかどうか確認し、間違いなければ。
「王……す為に……」
 急いで口を噤む。小声だった。今度は間違いなく。声にすらなってなかったはずだ。だからネルヴァにも聞き取られていないはずだ。
「悪い、ネルヴァ。これは見なかったことにしてくれ。多分持ち主は、どうせ俺にこの地図は見られないと思って、あまり気にせずに渡したんだ」
 ネルヴァが頷く。
「わかった。とにかく、あまり危ないことに頭を突っ込むな」
 ネルヴァの言葉を聞きながら、ルカは石版を袋に入れ、羊皮紙は丸めて手に持った。
「すまない、ネルヴァ。ありがとな」
 ルカは礼を言って、ネルヴァが住む寮を後にした。

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