4.恐れ
最初に火の手が上がってから、もう三日も経っていた。だが依然として炎は燃え続けている。少年の持つ全てを焼き尽くそうとするかのように。 「姉ちゃん、あれは何?」 少年は、炎の向こうから来る影を指さした。 「あれはイレイヤ公の軍隊よ。ああやって、焼け跡に残った金属や陶器を探しているのよ」 姉は少年の手を取って言った。 「行きましょう。彼らに見つかると大変なことになるわ。ルカ、わたしからの最後のお願いよ。あなたはまだ幼いけれど、大きくなったら必ずわたしを――いいえ、それは別にいいわ。わたしたちの町の人々の敵を討ってね」 なぜ姉が最後のお願いだと言ったのか、少年にはわからなかった。 それがわかったのは、翌日姉が居なくなってからだった。 |
翌日、カザートの住民全員にひとつの知らせが届けられた。 ヴォルテス王の結婚式が今度の日曜日に開かれるという知らせだ。王はまだイレイヤ公だった二十五年前に妻を亡くしており、王妃の座はずっと空席だった。その王がやっと結婚するということで、妖精族だけでなく人族まで巻き込んで盛大な式を挙げることになったのだ。 「そんなに嬉しいもんか? 他人の結婚式だぞ」 先程ジャンが家に来て、セイロンと色々話していた。それから保存肉を少し持って行った。結婚を祝う宴を人族でも開き、それで使いたいのだそうだ。 その後で今度は役人が来て、少しばかりのお金を持っていかれた。これもまた、結婚を祝う為なのだそうだ。 「自分の国の王様の結婚式だからね。僕でもちょっとは嬉しいと思うもん。ルカは……町を滅ぼされたんだから、お祝いしたくないんだろうけど」 セイロンが言う。 「でも、そんなに王妃って必要か? 子どもが居ないんならまだ分かるけど、イーメルが居るじゃないか」 ルカの問いに、セイロンはさあ、と首を竦めて見せた。 「憶測に過ぎないけど、王は存命中にイーメル姫に王座を継がせるつもりは無いんじゃないかな。カザートでは昔から家を継ぐのは男子と決まってるし、新しいお妃様との間に子どもが生まれてそれが男子なら、その子が第一継承者ってことになる。その子が大きくなるまでは、王はずっと王でいられるからね」 「大きくなるまでって、二十年かそこらで大人になるだろ。俺達からすれば二十年って相当長いけど、妖精族にしてみれば一瞬じゃねえか?」 妖精族は不老長寿だが、その成長速度が人族に比べてゆっくりしているというわけではない。二十歳くらいまでは人族と同様に成長していき、以降妖精族は老化しないのだ。寿命は百五十年から百八十年と言われ、王族になると二百年を超える者も居るという。 「ヴォルテス王はもう百八十歳を過ぎてるよ。だから娘のイーメル姫は百四十歳を過ぎてる計算になる」 「え? あれ? お姫さんってそんなに歳行ってたんだ」 初めてイーメルに会った時、年齢の話をしたら力で吹き飛ばされたのを思い出す。 「それに王は随分若い内に結婚したんだな」 妖精族は二十歳を過ぎてから老化しないから、別にそれ以降何歳で結婚しても不思議ではないのだが、大体八十歳から百二十歳の間に結婚する。もちろん再婚となると上限はない。 百四十歳。イーメルが怒ったのも分かる。婚期を逃した女性は、その手の話題に近づきそうになると大概怒るものだ。それにしても怒りすぎだとは思うが、他にも色々言った気がするし、仕方ないだろう。 「王の武勇伝を信じれば、それはそれは美しい女性だったということだよ。お互いに一目会って結婚を決めたと書いてある」 セイロンが一冊の本をルカの前に出して言った。 セイロンがルカに貸していた本の一冊だ。ルカも当然読んだことがある。年表を見るよりもヴォルテス王についてはこちらを見た方が細かく書かれている。ただし物語的な要素が強く、これを鵜呑みにするのは危険だとは思う。 「その美人な奥さんとは離婚することなくずっと仲良くやってたのか?」 「読めば?」 セイロンが頁を開いてルカに見せた。 『……一目会って結婚を決めた。この結婚生活は彼女の死によって終わりを告げる。イレイヤ公が趣味の狩を行っていた折、彼女はいつものように公に付き添っていたが、森の中で毒蛇に咬まれて死亡した。』 「うわ、あっさりと死んでるな」 結婚したことを書いている同じ頁内で死んだことまで書いているとは思わなかった。 「この狩の話は後でちゃんと詳しく出てるけどね」 セイロンが温めたミルクを飲みながら言う。 ルカにもミルクが入ったカップを差し出した。 この話を信じれば、結婚してから二十五年前に死ぬまで、王と一緒に居たってことか。 カップを受け取り、ルカは考えた。 やはり、イレイヤ公の妻が自分の母親になったとは考え難い。 となると、後はイレイヤ公の妻がイーメルの母親ではないという可能性。つまり、イーメルは本来の王女ではなく、騙されているとか、もしくは騙しているとか。 勿論、俺の姉じゃない可能性もあるけどな。 ミルクを飲む。 どの可能性もまだ否定はできない。 イーメル本人も記憶が無いと言うのだから、確認のしようがない。まさかヴォルテス王に聞くわけにもいかない。 「なあセイロン、一度忘れた記憶って、戻したりできないのかな」 「何いきなり。そんな簡単に出したり入れたりできるなら、勉強する手間が省けていいよね」 「そっか」 簡単にはいかないが、不可能ではないらしい。セイロンの言葉をルカはそう受け取った。 誰がこういうことに詳しいだろう。 ルカは考えて、イーメルの言葉を思い出す。 『しかも母が亡くなったのもその期間だというのに、それを必要の無い記憶だと言う医者の言うことも信じられぬ』 そうだ。医者だ。記憶云々ってのは医者が詳しいに違いない。 「ちょっと出かけてくる」 「え、今日の仕事は? どこ行くの?」 「ソルバーユのとこ。誰か来たら、俺具合が悪くて医者に掛かってるって言っといてくれ」 「は? 全然具合悪くないでしょ。そんな嘘誰が信じ」 セイロンが何か言っていたが、ルカは無視して家を出た。 |