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4.恐れ

 月の穴[サーマ・ニーチェ]は、その名の通り月のクレーターまで見えるという、貴族達専用の月見の施設だった。ただ月見の季節は決まっていて、それ以外では天文学の為に使われており、入り口は開放されているという。
 普段は気楽に出入りできそうなサーマ・ニーチェも、今日はすごい数の兵士が入り口付近を巡回していて、部外者が立ち入ることはできなさそうだった。
 その他の壁際や砂漠方面も、兵士が並んで立っている。
 さすがに、もう一度王に挑戦するのは無理だった。
 イーメルが泊まるという別荘はすぐに分かった。明らかに他の建物と様式も規模も違う。念のため、王の結婚式に参加する地方貴族を装って、近くの住民に聞いてみた。
「あの綺麗な建物は、誰の物ですか?」
「あれは我らがヴォルテス王の別荘ですよ。あなたも自慢していいですよ。我らの王は素晴らしい」
「ほう。三日かけてここまで来たかいがありました。この町も美しい」
「そうでしょう、そうでしょう。そうだ、一緒に飲みませんか。王の結婚を祝って」
 男の申し出を丁寧に断って、ルカはイーメルが泊まる王の別荘を目指した。
 それにしても大きな建物だ。いざというときに要塞にもなる城と違い、ただただ豪奢な佇まいだった。
 門には門番が居る。正面から普通に入れるとは思えなかった。周りは高い塀で囲まれており、塀を越えるのも簡単にはいかないようだった。塀の壁には凸凹がなく、手や足を掛けられそうな場所が無い。
 塀の周りを回って、上がれそうなところがないか探していると、隣の建物の塀とかなり近くなっている場所があった。そちらの塀は作りが大雑把で、何とか登れそうだった。
 辺りにひとが居ないことを確認すると、ルカはそちらの塀をよじのぼった。
 周りに人影は無い。塀の上に立つと、王の別荘が建っている方の庭に向かって跳んだ。
「って……」
 塀の上から隣の塀の上に飛び移るという器用なことができればよかったが、残念ながらそんな技術は身に付けていない。それでも、なんとか怪我をせずに済んだようだ。着地の時に痛かった足首を回して、その他にも異常が無いことを確かめる。
 次はイーメルの部屋を探さなければならない。
 それはすぐに分かった。一部屋だけ、窓が開け放たれ複数の召使と思しき妖精族女性達が掃除をしていたからだ。ただしその部屋は二階だった。
 ルカはイーメルに会いたいのだから、イーメルの方がルカに気付いて出てきてくれればそれが一番楽だ。屋内に侵入する必要はない。
 丁度、二階の窓まで枝を伸ばす大きな木があった。
 まだ掃除中だから、イーメルは到着していないのだろう。
 あの木に登って、イーメルが部屋に入るのを待とう。
 あの距離なら、木の枝を揺らせばイーメルが気付くと考えたのだ。
 ルカは木に登ると、部屋からの光が当たらないように裏側に隠れた。木の陰から部屋を覗き見る。真っ白な毛足の長い絨毯が敷かれていて、壁も白く塗られていた。そこには砂漠の国という雰囲気は無く、まるで別世界のようだった。
 日が沈み始めた。高い所にある間は動いている気配もないのに、沈み始めると早いものだ。
 辺りは薄暗くなり、建物の表側とイーメルの部屋にだけ明るく火が灯っていた。
 この様子では、この建物に泊まるのはイーメルだけのようである。ルカが思っていた以上に、イーメルの警護にあたる者は少ないようだ。
 不意に、部屋の中から男の声がした。侍従の中には男も女も居るだろうから最初は気に留めていなかったが、それにしては、声がするだけで姿が見えない。
 ルカは耳を澄ました。
「何にもないじゃないか」
「まあ待て。今にこの部屋の主が来る。俺の情報によれば金持ちの女らしいから、その女から金目の物くらい手に入るだろうよ」
「男より女の方が着飾ってるもんな」
「ああ、なるほど。疑って悪かったよ。でも、こっそり盗むならともかく、女を脅して奪うってのは可哀想じゃないか?」
「莫迦。今更そんな心配してどうする。妖精族なんざ、俺たちから奪うだけ奪っといて何にもしてくれやしないんだ。ここでどうなろうと、相手の自業自得ってことよ」
 二人、三人……か。
 声で人数を割り出す。喋っていない仲間も居るかもしれないが、あまり大人数ではないだろう。
 それにしても、王の別荘に泥棒に入ろうだなんて、突拍子もないこと考えるもんだ。
 見付からずに部屋に侵入できただけでも運が良い。しかしこの部屋に泊まるのはただの金持ちではない。この国の王女だ。侍従も多く連れ歩いているだろうし、訓練された兵士も居るだろう。仮に、他の兵士が皆王の警護に当たっていたとしても、あのオーヴィアという兵士だけは一緒に居るはずだ。
 俺と居るよりお似合いだよな。
 溜息を吐く。オーヴィアが妖精族の中でもそこそこ顔立ちが良いというのはルカにも分かるし、あの異常なまでに強い忠誠心はルカには真似できない。
 足音が近づいてきて、ルカはそのことを考えるのをやめた。窓が開け放たれているからほとんどの音が聞こえてくる。
 部屋の中でごちゃごちゃ話していた声もやんだ。
 窓の正面に、部屋の入り口の扉がある。足音がそこで止まり、扉が開いてイーメルが入ってきた。後ろに侍女をひとり連れている。青い髪のエルフ女性だ。以前会った時は長槍を持っていて、侍女というよりは兵士という印象もあったが、今は何も持っていない。服装も前より煌びやかで、イーメルと一緒に王の結婚式に出席していたのだろうと思われた。
「今香油をお持ちいたしますので、先に湯浴みをしていてくださいませ」
 侍女はそう言うと、イーメルを残して部屋を出て行った。
 部屋にはイーメルと、最初から入っている怪しげな男達だけが残った。
 何考えてるんだ、あの侍女。てかオーヴィアはどこ行ったんだよ。部屋の外か? それなら良いけど、ああもう。
 さすがに焦ってくる。
 あ、でもお姫さんも力使えるし、泥棒のひとりやふたり大丈夫か。
 以前ルカを吹き飛ばした、妖精族特有の力。あれがあれば、いかに非力な女性であれ、人族の男に負けたりはしない。
 イーメルは招かれざる客が居ることに気付いていない様子で、髪を結い上げていた留め金を次々と外すと、隣の部屋へ移動した。
 てことは、あっちが風呂か。
 ルカの居る位置からはそちらの部屋の中は見えないが、流水が水面を叩く音が聞こえてきた。
 人族が暖かい風呂に入る時は、大きな桶に水を入れ、沸かした湯をまえていく。しかし普通は風呂に入らず、何日かに一回川で汚れを落とすくらいだ。薪の数さえ制限されているのだから、すぐに捨てる風呂水を沸かすのに使うのは勿体無いのだ。セイロンの家では水道があって水はいつでも使えるが、基本的に湯ではなく冷水で体を洗う。
 隣の部屋の窓ガラスが曇る。
 当然、冷水が流れているのではなく、湯が直接出ているのだろう。
 肉体労働をしているのはどちらかといえば人族だ。暖かい風呂があるのならば、人族にこそそれを使う権利があるのではないか。
 そんなことを考えているうちに、イーメルが戻ってきた。
 まだ乾ききらない髪の毛から落ちる雫に、部屋の明かりが反射して光る。服装も、部屋に入った時の豪華な物ではなく白い簡素な物だが、こういう素朴なイーメルも良いと思う。
 が、その様子をゆっくり見物することはできなかった。
 部屋に入って髪を拭こうとしているイーメルに、男達が飛び掛ったのだ。
 イーメルの姿は窓の下に隠れて見えなくなった。時折、男達の頭が見える。
「大人しくしろ」
 男の声がする。
 暫くして、イーメルの頭が見えた。立ち上がったのだ。口には布で猿轡をされている。
 イーメルは扉の側にあった警鐘用の銅鑼を鳴らそうと、撥を手に取った。
 しかし追いかけてきた男の一人が、その撥をイーメルの手から奪い取る。次の瞬間、その男がイーメルの頭を撥で殴りつけた。
 イーメル!
 イーメルの体が沈み込む。妖精族に金属のナイフは効かない。だが木の撥での殴打なら普通に入ってしまう。
「は、ははっ」
 イーメルを殴った男が笑い声を上げた。
 木の上からでは、見ることはできてもイーメルを助けに行くことはできない。
 倒れこんだイーメルを後ろから抱えた別の男が、やはり笑い声を上げた。
「なあ、よく見ろ。いい女だ」
 木から下りようとしていたルカの耳に、男達の声が聞こえてきた。
「本当だ」
「妖精族っても、人族の女と変わらねえよ。なんだ、お前興味ありか? なら先にやれよ。俺は――」
 途中で木から飛び降り、ルカは入れるところが無いか探した。
 あの会話で、あの恥知らずな侵入者達がイーメルに何をしようとしているのか想像することは容易だ。
 考えたくも無かった。
 進入した人族の男は三人。よく喋る男がリーダー格で、あと少し若いのと、イーメルを殴った男が居る。
 しかしどこの窓も鍵が閉まっていた。表は明るく、おそらく門番が居るのだろうが、ルカがそこから入ろうとしたら先にルカが捕まってしまう。
 石を拾って、窓に投げつけた。
 音がして窓ガラスが割れる。これだけ広い建物だ。門番が音に気付いたとしても、ここまで来るのには少し時間が掛かる。むしろこの音に気付いて、別の誰かがイーメルに異変を知らせに行ってくれれば良いのだが。
 屋敷内に入ったルカは、イーメルの部屋を目指して走り出した。

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