赤く燃え盛る炎の前に、耳の先の尖った少年が立っていた。その少年の手をきつく握っているのは少年の姉だった。
「お母さん。お父さん」
少年は目の前の炎に呼びかける。
燃えているのは、少年が住んでいた町だった。
姉は何も言わなかった。ただ、今にも炎の中に飛び込んで行きそうな弟の手をしっかりと握っていた。
姉に掴まれた少年の手に、水滴が落ちた。見上げると、それは姉の涙だった。
青年が気づくと、若い男、どう考えても自分より五つは年下の、が覗き込んでいた。
「気分はどう?」
少年はそう言って、青年が寝かされている寝台から一歩離れた。
「ここは?」
青年が聞く。
少年は彼に、ミルクの注がれた大きめのカップを渡しながら答えた。
「ここはカザート。ヴォルテス王の平和な地だよ」
「カザート」
青年が確かめるように呟く。
「俺をここまで運んで看てくれたのは君? それとも」
「僕の妹が牧草地であなたを見つけて、他の大人たちに知らせてここへ運んで、今は僕があなたの世話をしている」
少年は答えた。
「それから、これ、中を確かめさせて貰ったよ。念の為にね」
少年は、宝石などで飾り立てられた筒を青年に渡した。
「その必要は全然なかったみたいだけど」
「これは両親の形見なんだ」
青年はそう言って、筒を受け取った。
「ところで、あなたはどうしてまた牧草地なんかに倒れていたんです?」
それを聞いて青年は、この少年がなかなかくえない奴だと理解した。行き倒れた人間を助けて、危険な物を持っていない事まで確認し、それでも警戒を解いていない。見た目に幼い感じもするが、頭は良いらしい。
「俺がまだ小さかった頃に、火事で両親とも亡くした。そしてその火事の混乱の中で、俺は一人の肉親であった姉ともはぐれてしまったんだ。それ以来、俺は町から町へと姉を探して歩いている」
「そう。それなら一時この町に居るといいよ。広い町だから人も沢山居る。妖精もね」
少年が笑顔で言う。
「僕の名前はセイロン。今あなたが居るここは、僕に割り当てられた仕事部屋、兼寝室だよ。僕はここで人の出入りの管理をしているんだ。あなたの名前は?」
「ルカだ。俺は今二十二歳だが、君は幾つだ?」
「へえもっと若く見えるよ。十七、八かと思ってた。僕は十四歳だよ」
「へえ、もっと若く見えたけどな」
ルカが言った。
その通り、セイロンは十四歳には見えなかった。よくて十二歳くらいだ。セイロンが声を立てて笑った。ルカも笑った。
「でも、ルカって、変な髪形してるよね」
早速、セイロンは青年をルカと呼んだ。
ルカは一瞬、自分の長く伸ばした前髪に手をやろうとして止めた。
ルカの前髪は、なぜか左側は短く切ってあるにもかかわらず、右側は伸ばしていた。
(侮れないガキだ)
ルカは思って、何でもないことを主張する答えをセイロンには与えておいた。
「お兄ちゃん、こんにちは」
明るい声が、花束と一緒に部屋に入って来た。
「さっき言った、僕の妹だよ」
セイロンはルカにそう耳打ちして、少女を出迎えた。
「何だ。えらくサービスいいと思ってたのに、ただの雑草かよ」
「失礼ね。皆は雑草だって言うけど、ちゃんとわたしが育てた花よ」
少女はそのまま花瓶を自分で用意して、持って来た花を生けた。
「あら、おじさん、もう体の具合はいいの?」
ルカを見て少女は言った。
(おじさんって、俺が、か?)
ルカは自分を指さした。
「マギー、この人はルカという名前なんだ」
セイロンはマギーにルカを紹介し、それからルカを見て言った。
「ルカもそんな驚いた顔しなくても。僕らからすれば十分おじさんだよ」
フォローしたつもりだろうが、事実を突いているだけにルカには痛かった。
セイロンが十四歳ということは、その妹のマギーは十一、二歳だろう。十歳も歳が離れていたら、おじさんと呼ばれてもおかしくない。
「こんにちは、マギー。僕が倒れている所を助けてくれて有り難う」
ルカは挨拶と礼を言った。
「なーんだ。ちゃんとわたしたちの言葉喋れるんだ。つまんないの」
マギーがルカに言ったのは、今度はそんなことだった。
セイロンが笑う。
「マギーはルカのことを外国人だと思ってたんだよ。東の国の人だって」
「だって、東の国の人は髪が黒いって聞いたわ」
マギーは自分の栗色の巻き毛をいじりながら言った。
「マギーの友達のサラも髪は黒いだろ?」
「サラは、でも、わたしよりもクルクルした髪だもん。あれは南の国の血が混じっているんだって聞いたもの。この人は全然クルクルしてないもん」
(俺がクルクルしてないって、変な言い方だな。もっとちゃんと言葉使えよ)
ルカは心の中で突っ込みを入れながら、二人の話を聞いていた。
突然、マギーがルカの側に来た。
「それに、サラみたいな黒い肌じゃないわ。遠くから見てもよくわかんないけど、近くで見たら、これは確かに日に焼けた色よ」
マギーはルカと目が合うと、白い歯を見せて笑った。
(元気な女の子だ)
ルカは対応に困って、自分も笑顔を作った。
マギーの目的は花を生けることだけだったようで、適当に話すと帰って行った。
「多分、明日になったら役人が来て君に色々聞くと思うよ。ま、大したことは聞かないから、素直に答えていればこの町の居住権ができる」
セイロンが言う。
町外の人がここまで来ることはよくあることらしい。セイロンはそれに慣れた様子だった。
「僕が上手く話つけて、ルカがここに住めるようにしてもらうよ。その方がお姉さん探すのに都合がいいだろうから」
「そうか? それならそうしてくれると嬉しいが」
ルカが言った。
「ところで君の姉さんの手掛かりは何かあるの?」
セイロンが尋ねた。
ルカの答えはしどろもどろになった。
「それが、……実はよく分からなくて。……別に全く手掛かりが無いって訳じゃないんだぞ。名前は覚えてるんだ。ユディト、それが姉の名前だ」
「ユディト、異国風な名前だね。他には? 容姿とか。身長が分かるとずっと探し易くなるんだけどね」
「それが、……短く言えば、他のことは何にも覚えてないんだ」
セイロンが呆れ顔になる。当然だ。よくこれで姉を探しているなどと言えたものだ。
「どれくらい前の話なの? ルカとお姉さんが生き別れになったの、って」
「俺がまだ六つくらいの時だったな。俺の手をずっと握ってくれていて、俺は姉の顔を見上げたんだ。でも、その時確かに見たはずの姉の顔はさっぱり」
ルカは肩をすくめて言った。
翌日、ルカの所に来た役人は、セイロンが言った通り本当に簡単な質問をして、驚く程早くにルカのカザート居住を認めた。
「気さくな人でしょう? 妖精族の割には」
セイロンは役人に聞こえない所で、ルカにそう言った。
役人はまだ若い妖精で、百歳を越えていないようだった。
その若さが、セイロンにはいいのだろう。確かに、他の頭の固い年寄りとは違っていた。
ルカが住むことになったセイロンの仕事場、つまり管理室からは、畑一帯が見られた。逃げ出すものが居ないか、人間に人間を監視させるのだ。小癪なやり方だ。
ルカが大きく切り取られた窓から眼下に広がる畑を眺めていると、見回りをしていた妖精が疲れ果てた様子の老人を畑中の道まで引っ張り出して、その老人に鞭を与えようとしていた。
「むごいな、あのツェータも。今日の見回りはパロス総督自らがお出でなすった」
ルカのことを調べに来た役人が言った。
ツェータは老人を敬って言う言葉だが、妖精が人間に対して使ったのを、ルカは初めて聞いた。気さくな妖精というより、妖精の中では浮いているのではないか、と要らぬ心配までしそうになる。
「あのようになってまで働かそうなんて、無理に決まっています。それをどうしてパロス殿は」
セイロンも役人に合わせて言った。
鞭の音がルカにまで聞こえてきた。周囲の人々は、自分には関係ないことを装って、咳き一つ立てない。
「チッ」
ルカは舌打ちした。
「ねえ、ルカ。あれ、ルカ? どこに行ったの?」
セイロンがルカに話しかけようとした時、既にルカはその場に居なかった。
「あのバカ、」
妖精族の男が言った。
彼が窓の外を見ているので、セイロンも外を見た。
ルカはパロスに、ツエータを罰するのは筋違いだと言いに行ったのだ。
「何だお前は。見かけない顔だな」
パロスは言った。奴隷の一人に文句を言われても大して気にならぬようだ。
「人の話も聞けよ。年寄りはいたわるもんだ。少しくらい休ませてもいいだろ?」
「誰か、このうるさいハエをどこかへ連れて行け」
彼は総督なので、何人かの役人を連れ歩いていたのだが、その内二人がルカの腕を掴んで畑に突き倒した。
「奴隷は奴隷らしく、ずっと泥にまみれて暮らせば良いのだ」
輿に乗ったパロスが言った。
(妖精も人間もほとんど変わらないじゃねえか)
ルカは立ち上がると、かつがれた輿からパロスを引きずり落とした。
平均的な男子の肩辺りの高さから地面へ向いて落ちたパロスは、落ち方が悪かったらしく、一時起き上がれずにいた。
彼の連れて来た妖精が、誰一人として彼を助けようとしないことが、彼の人望の無さを浮き彫りにした。
「おのれ、人の子め。何という事をするのだ」
パロスはそう言いながら立った。
「この男を連れて行け。わしは王に話しておく」
再び輿に乗ったパロスは先程の二人にそう言って、何事も無かったように元の道を進み始めた。
ルカは両手を後ろで縛られ、二人の男に連れられて道を行った。
「来るそうそう大変な事をしてくれたもんだ」
セイロンの隣で妖精が言った。
「全くです。ネルヴァ殿には迷惑をかけます」
セイロンが言うと、妖精、ネルヴァは笑って言った。
「大丈夫だって。さっきの見てせいせいしたのはわたしだけでもなさそうだし」
本当に、パロスは人からだけでなく、同族の妖精からも嫌われていた。それはパロスの人柄が自己の利益のみを考えるものだったからだろう。
「わたしはもう帰ります。セイロン、今後出過ぎた真似はしないよう、ルカに言っておきなさい」
ネルヴァはそう言って小屋から出て行った。
(何が正しいんだろう。ルカのしたことは間違ったことだったの? 僕たちが奴隷なのは生まれた時から決まっていたこと。でも、本当にこのままでいいの?)
答えの無い問いかけを、セイロンは誰ともわからない誰かにした。
ルカたちが城に着くと門番に、
「王は今遠征に行かれて、おりません」
と言われた。
ルカはそれを聞いて驚いた。ルカは王に会わされる所だったのだ。都合よく王は居なかったが。ツェータを庇ったことによってではなく、総督に怪我を負わせたことが響いているらしい。
「代わりに王女が裁きをなさるそうです。パロス殿は既にいらして、奥で待っておられます」
門番が言ったので、ルカたちは城へ入った。
(王女、王の娘か。王にも会っておこうと思ったが、この際は娘でもいいか)
ルカはそんなことを考えながら裁きの間に入った。
パロスはもう来ていて、原告人の席に踏ん反り返っている。ルカは被告人の居るべき場所に、両腕は縛られたまま立たされた。
「裁判長代理、イーメル殿」
書記の一人が声を上げ、裁判官の登場を待った。
アーチ状のゲートから姿を現したのは、豪華な服に様々な装飾品を身につけた姫君であった。
妖精族らしく、特徴的な目と耳を持っていた。そして、年齢が分からないのも妖精族の特徴の一つであるが、この王女は何歳ぐらいであろう。人間の感覚で言えば十四・五歳に見える。
体は小柄で、いささか頭の比率が大きかった。
「父王は不在のため、代理としてわらわが裁判を行う」
落ち着いた声が部屋に響いた。
「まずパロス殿の言い分を聞こう」
「こやつは私を輿から無理矢理下ろして私に怪我を負わせました。どうぞ処罰を」
イーメルはそれを聞き、今度はルカの方を向いた。
「弁解があるのなら聞く。何か」
「確かに、パロス殿に怪我を負わせたのは事実です。ですが、私は彼から鞭を受けていたツェータを庇ったまでです。総督のやり方はあまりに酷すぎる」
ルカの言うことを書記が石板に写してゆく。
妖精族は彼ら特有の力で、彼らにしか読めない文字を石板に刻む。
「双方の言い分わかった。被告が原告に怪我を負わせたのは事実であるが、幸いその怪我は軽く済んだ。よって、被告には厳重注意をし、それでこの裁判は終わりとする」
パロスは不服そうだった。王まで引っ張り出そうとしたのに、厳重注意だけで終わってしまうからだった。
ルカの縄は解かれ、場所を移して王女から直接注意を受けることになった。
部屋に入るとイーメルは使いの侍女を残して他の全員を部屋から退出させた。
「よろしいのですか? 護衛もつけずに」
衛兵の一人がイーメルに言う。
「構わぬ。どうせ人ごときにわらわを傷つけることはできぬ」
イーメルにそう言われ、衛兵もおとなしく部屋を出た。
最後の一人が部屋を出ると、侍女が入り口の御簾を下ろした。
「そなたが厳重注意だけに済まされたのは相手がパロス殿だったからじゃ。他の者であればこれでは済まされなかったであろう」
イーメルが言った。
見た目はルカよりも年下だが、話振りは全く年寄りだった。
ルカは周りに自分を痛め付けるような妖精たちが居ないので、少し気が楽になっていた。いや、かなりと言うべきか。多少の畏れさえも持って会った王女が、見た目には迫力も何も無い姫君だったからだ。
「お姫さん、俺実は人捜しをしてるんだ。俺の姉で名――」
「王女に向かって失礼であるぞ!」
侍女の一人がルカの言葉を遮って言った。
「わらわにそなたの姉捜しをしている暇は無い。そなたには牛の番を申し付ける。そなたの上官はパロス殿じゃ。姉を捜したいのならパロス殿に頼めば良かろう」
イーメルは言った。
(偉そうなお姫さんだ。一体何歳なんだ?)
自分より年下にしか見えないイーメルを見て、ルカは思った。
「妖精族もそろそろ気づいていいころだぜ? 人間は奴隷としての身分に不満を感じ初めている。もう征服の時代は終わろうとしているんだ。いつか、人が自分の手で政治を行う時が来る」
ルカが言った。
「そなたが我らを倒すと言うのか? 無理に決まっている。もし我らを倒しても、民を統べる王はいずれ必要になる。その時の王はどうするつもりじゃ。そなたが王となり、結局は同じことの繰り返しじゃ」
流石に王女というだけあって、言うことには力がある。自信に溢れている。返す言葉が無いということだ。
「流石、年の功。お姫さんも若く見えるけど、本当は俺の何倍も生きてんだろうな」
ルカの言葉を聞くと、イーメルは立ち上がった。冷ややかな視線がルカに注がれる。
おもむろに、イーメルはルカに向かって手を掲げた。
不思議な波動が彼女の手から放たれる。空間を揺るがす、妖精族特有の力。
ゴオッ
風のような音がルカの耳には聞こえた。
次の瞬間には、ルカは壁に叩きつけられていた。
「それに、そなたら人族にはこのような力は無いであろう。我らが魔族をこのような力で押さえなんだら、今頃人族は一人残らず奴らに食い殺されているであろう」
イーメルは言った。
「魔族を治める権利が妖精族にあるって言うのか? その祖を共にしながら、魔族と妖精族はそれ程の差があるのか?」
体の痛みを我慢して、ルカはそろそろと立ち上がった。
「今俺を吹き飛ばしたお姫さんの力だって、結局は魔族のものだ」
「あのように言葉も持たぬ者共が、我らと同じ身分になれる訳が無い。あの者たちは進化の上で取り残された者たちじゃ」
「しかし、言葉を持って高い知能もあるとしても、俺たち人間をこき使う気なら、魔族に食われるよりも厳しい生活を俺たちは続けなければならない。お姫さんはこんなところに住んで居るから知らねえだろうけど、地方じゃ奴隷に対する役人の過度の使用が元で反乱が起こってるんだ」
ルカが最後まで言わない内に、イーメルは侍女に御簾を上げさせ部屋を出ようとしていた。
「ちょっと待ってくれよ、お姫さん。まだ話したいことが――」
「いい加減にせぬか。そなたは言葉が過ぎておる。相手が王女で良かったと思うほどじゃ。もし王であればどうなるかわからないのだから」
侍女は部屋を出る王女を見守りながらルカに言った。
王女はそのまま部屋を出、ルカも釈放された。
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