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2 魔族来襲

 強大な軍隊が少年の村を襲った。目的は食料と衣料。奴隷は必要なかった。
 自然を味方にすることのできる妖精たちは、圧倒的な強さで村を征服して行った。
 人々は見つかるとその場で老若男女関係なく殺された。
 逃げ惑う人々。
 それまで戦争など知らなかったこの村の人民は、戸惑い、皆が狂ったように騒いでいた。その状況にさらに油を注ぐように、村の一角から火の手が上がった。
 強い風と乾燥した空気が手伝って、火はどんどん燃え広がっていった。
 必要な物を取り尽すと残った余分な物は全て燃やしてしまうのが、あの妖精のやり方だった。
 一緒に逃げていた村の人々の人数が次第に減ってゆく。火から逃げ切れなかった者が多く居た。また、妖精に殺された者も居た。
 そんな中で、なぜか少年とその姉だけは、運よく火からも敵からも逃れる事ができた。
「お母さん、いやだ。お母さん、お父さん!」

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「あちっ!」
 料理をしていたルカは、間違って火の付いた薪に触ってしまい声を上げた。
「ばーか。早く水で冷やした方がいいよ」
 セイロンが隣で野菜を切りながら言った。
「へいへい」
 ルカは返事をして、瓶に入っている水を柄杓で掬って指にかけた。
 ルカがカザートに来てから三週間が経つ。この辺りでは七日に一度を休みの日とし、七日で一週間とする習慣があった。ルカが今まで住んでいた地域には無かった事だ。さて、ルカが来て三回目の休日の日だった。
 ルカは何事にも一生懸命取り組む質らしく、来た次の日から始めた牛の世話も仲間たちからの定評を得ていた。肝心の姉捜しの方は手掛かりなしでさっぱりだったが。
「こんにちはーっ!!」
(マギーだな)
 声を聞いてルカは思った。
 休みになると、マギーは必ず兄の家に来るのだ。
「やあ、マギー。あれ?」
 ルカはマギーに声を掛けて、それからマギーの隣りに立つ肌の色の黒い少女に気づいた。
(あ、時々セイロンの言ってる)
「君がマギーの友達のサラちゃん?」
 ルカがそう言うと、サラはたちまち笑顔になった。
 マギーを見て、
「すっごいかっこいいじゃない」
 などと言っている。
(いやー、それほどでも)
 と、ルカが思っていると、その横を抜けて少女二人はセイロンの方に行った。
 実はサラはルカとだけでなく、セイロンとも初対面だったのだ。
「やっぱりマギーのお兄さんだけあってかっこいいわぁ」
 サラはそう言った。
「大したことないよ」
 そう言いながらも、マギーは兄を褒められて嬉しそうだった。
「あ、ねえ、おじさん、おじさんのお姉さんは見つかったの?」
 マギーが聞いた。
 『おじさん』とは勿論ルカのことである。
「いや、全然」
「おじさん、ずっと聞こうと思ってたんだけど、お姉さん見つかったらどうするの? 自分の家に帰るの?」
 マギーに聞かれて初めて、ルカはそんなことなど一度も考えたことが無かったことに気づいた。
(俺に、姉さんを探す気など本当は無いのかもしれない)
 ルカは思った。
 別れてもう十六年も経つ。顔も思い出せないのだ。姉を探すことより、ルカの中には別の目的があった。
「おじさん、質問の答えは?」
 マギーが答えをせかした。
「ああ。多分、帰ると思う。帰ってからやりたいこともあるし」
「じゃあマギーもおじさんと一緒に行けば?」
 いきなりサラが口を挟んできた。
「やだ、ちょっとサラ、何で……」
 顔を真っ赤にしてマギーが言った。
 小声だったが、その分ルカとセイロンの耳をそばだたせることになった。
 セイロンが短く口笛を鳴らす。
「あっそ。そりゃいいや」
 言って、クスクスとセイロンは笑った。
「お兄ちゃん!」
 マギーは言うが、否定しようとはしなかった。
 さて、一人物分かりの悪い人が居た。中心人物、ルカだ。
(何言ってんだ? サラもセイロンも)
 マギーは十二歳、ルカは二十二歳。十も齢が離れているから、ルカの目にマギーは恋愛対象として映りはしなかった。だから当然、マギーの言うことも意味不明のままだった。
 二人が帰ってから、ルカはセイロンに言った。
「何だかお前、サラちゃんといい雰囲気だったじゃないか。結婚すれば?」
「おいおい。僕にそんな気は全然無いよ。サラちゃんともし結婚したら、僕はこの楽な仕事をやめなきゃならなくなる。忙しいと駄目なんだ。ルカもわかってるだろ?」
 セイロンが言った。
 カザートの王ヴォルテスが定めた条例の中に、人族でも能力の優れた者は学者になれるというものがあった。もっとも、奴隷として働き続けていては勉強ができない。この条例は形だけのものだった。
 しかし、セイロンはそのことに気づいていなかった。今の仕事が暇なのでいつも勉強をしていた。
 勿論、法で定めているのだからセイロンの能力が優れていた場合、国の方も彼を学者にせざるをえないだろうが、内容の公開されない試験である。採点などどうにでもできた。
 この条例が制定されて三年目らしいが、未だ人族から学者が出たことはなかった。
 外が騒がしくなった。
「どうしたんだろう」
 セイロンが窓から顔を出す。
「魔族が現れよった。羊の村の辺りだそうだ。セイロンとルカ殿も早く避難した方がいい」
「ああ」
 セイロンは教えてくれた男に言って、近くに置いてあった袋を肩にかついだ。
「待て、セイロン」
 行こうとするセイロンを止めて、ルカは耳を澄ました。
『女の子が一人逃げ遅れたみたいよ。友達が居ないってサラが』
 女の声だった。
 ルカは、彼のみすぼらしい格好には似合わない美しい彫刻が施された筒を持つと、小屋を飛び出した。
「ちょっと、ルカ!」
 ルカの後ろ姿に向かってセイロンが呼ぶ。
「魔族が出たのはマギーたちの行った方だ」
 それだけ言い残して、ルカは人々と反対の方へ走って行った。
(何だって?)
「おいヨハン、被害は?」
 走って来た少年に向かってセイロンは尋ねた。
「もう四、五人食われた。捕まった人たちも数人」
「その中にマギーとサラが居なかったか?」
「さあ。女の子が捕まったとは聞いたけど、マギーたちかどうかは……」
「分かった。もういい、早く行け」
 セイロンは少年にそう言った。
(マギーが捕まったかもしれない。ルカは助けに行った。でも僕が行ったとしても役には立たないだろう。それなら逃げる方が……?)
 自分に問うてみた。
 逃げた方がいいとわかっていても、体は人の波に逆らってルカの後を追った。
「おじさん、おじさん!」
「サラちゃん」
 ルカはサラに会った。
「おじさん、どうしよう。マギーとはぐれちゃった」
 目に涙を溜めてサラは言った。
「ああ。わかった。サラちゃんはみんなと一緒に逃げな。マギーは俺が探すから」
「うん」
 不安そうにサラは頷いた。
 人が少なくなる。逆に言えば、魔族との距離が近くなっているのだ。
 魔族にも色々種類はあるが、普通群で生活はしない。だからどんな種のものが何人居るのか、全く知られていなかった。
「リオン」
 魔族を見てルカは呟いた。
 肉食で、口から吐かれる糸を巧みに使い獲物を捕獲、保存する、魔族の中でも最も下等なものである。
 ルカも何度か出くわしたことがあったが、その全てが雌だった。今回も例に漏れず女体である。
「マギー! どこだ」
 ルカは大声を出してマギーを呼んだ。
「おじさん!」
 マギーの声が聞こえる。
 マギーはルカのところまで走ろうとしたが、途中で足がもつれ転んでしまった。
 ドジだなあ、などと笑っていられる状況ではない。
 転んだマギーに、リオンの吐いた糸が絡み付こうとした。
(させるかっ!)
 ルカはマギーの所へ走り寄って、持っていた筒で糸を斬りつけた。
 粘着力のある糸も、簡単に切れた。はっきり言って、この筒は丈夫だった。剣の代わりとまでは言わなくても、ルカが持つと十分武器になった。
 リオンは巨大だ。だが、頭が悪く反応が鈍い。
(リオン退治は妖精族に任せておくか)
 まだ妖精族は来ていなかったが、ルカはそう考えて、自分は捕まった人を助けるのに専念した。
 やがて、妖精族の衛兵たちが数人やって来た。
 一人がルカに言った。
「人族の子よ、よくやってくれた。後はわたしたちに任せて、あなたたちは早く避難しなさい」
 よく見ると、それはルカに最初に会った妖精ネルヴァだった。
「よし、頼んだぜ!」
 ルカは助けた人達を連れて、なるべく急いでその場を離れた。

「マギー」
「お兄ちゃん!」
 途中でルカたちは、セイロンと会うことができた。
「お兄ちゃん、怖かったよお。みんな捕まって食べられちゃうの。わたしだけ、わたしだけまだ生き残ってて、魔族はわたしばっかり追いかけて来て――」
 マギーはそのまま泣き出した。
「だれもまだ食べられてなんかいないよ。ルカがみんな助けたんだ。だからマギー、まだ泣くなよ。ここも安全というわけじゃない。サラにさっき会ったよ。サラは先に行くって。僕たちも早く行こう」
 セイロンは妹をなだめて言った。

 魔族が退治されて、人々はやっと落ち着いて仕事ができるようになった。とは言っても、魔族が出たのは休日だったから、休息が減ってルカはそれが不満だった。
「魔族もどうせなら普通の日に出てくれりゃいいのに」
「彼らはそんなこと考えるようなやつらじゃないよ」
 愚痴をこぼすルカに、セイロンが言った。
「わかってるけど。でもなー」
「そう言えば、」
 セイロンが、沸かしたヤギのミルクをコップに注ぎながら言った。
「イレイヤ公が来月にも再婚するって」
「イレイヤ公? 誰だ、それ」
 ルカは聞いた。だが、ルカはその名を知らないわけではない。忘れるわけがなかった。イレイヤ公こそ、ルカの町を滅ぼした者の名だったからだ。
 ルカは初めて聞いた名であるかのように、セイロンに聞いたのだ。
「あ、まだ言ったこと無かったっけ。イレイヤ公っていうのは、ヴォルテス王のことだよ。イレイヤ公は十五年前カザートの国王になったとき、名前を新しく付けたんだ」
「王が、イレイヤ公だって言うのか」
(復讐の時が来た)
 ルカの脳裏にそんな思いがかすめた。
「イレイヤ公と知り合いなの?」
 セイロンがルカに聞いた。
 興味があるだけ、そんな目をしていた。
「今まで聞こうとはしなかったけど、そろそろ教えてくれる? 君の右目のこと」
 ルカが一瞬驚いて、セイロンを見た。
「やっぱり、一緒に住んでるんじゃ気づかれて当然だな」
 そう言って、ルカは笑った。
 長く伸ばした右側の前髪を耳に掛けた。
「この目が、俺の本当の姿だ」
 つり上がった大きな目。縦に長い瞳孔を持つ瞳。それは妖精族のものだった。
「他は整形手術をした」
「なぜ? 妖精なら、仲間と一緒に居ればいいだろ」
 セイロンの口調は、ルカを責めるものだった。
「俺は妖精じゃない」
 ルカは一旦言葉を切った。
「人間でもないが」
 ルカの言葉に、セイロンはハッとした。
「半妖精」
 人族と妖精族は見た目に少し違いがあるが、体の作りには大した差は無い。人と妖精との結婚は禁止されていたが、それでも法の目をくぐり抜け一緒になる者たちも居た。しかし、彼らの子供は妖魔の子として妖精から狙われ、匿うとその一家も殺されてしまうため、妖精からも人からも敵とされてきた。
 世界的に見るとどうなのかわからないが、さすがにカザートには半妖精は居ないと思われた。
「……イレイヤ公がどうしたの?」
「イレイヤ公――絶対に忘れるものか。あの悪魔め、俺の町を滅ぼしやがった。そして、姉を奴らは連れて行った」
 ルカの言葉には怒りや悔しさがこもっていた。
「ルカのお姉さんは、イレイヤ公に連れて行かれたの?」
 セイロンが聞くと、ルカは頷いた。
「何でそれを早く言わないんだ」
 セイロンは拳をテーブルに打ち付けて言った。
「おい、ミルクがこぼれるだろ」
「ミルクなんてどうでもいい。ルカ、僕はこんな噂を聞いた事がある。イレイヤ公の娘、つまり王女は十六年前不意に戻って来たとな」
「それが? まさか、お姫さんが俺の姉だなんて言い出すんじゃねえだろうな。名前はユディトだったし、それに、姉は見た目は普通の人間だったぞ」
 ルカは前髪を元に戻しながら言った。
「ルカ、確か前に、お姉さんの顔は覚えてないって言ってなかったっけ」
 セイロンが言った。
「うーん、覚えては無いんだけど、でも妖精の顔してたらそんな簡単に忘れるか?」
 ルカにそう言われ、セイロンは頷いた。
「うん、確かにね。でもルカ、町を滅ぼされたからって、王に復讐しようだなんて考えないでね」
 セイロンは言った。
 だがセイロンに言われたくらいで、一度思った復讐が諦められる訳がなかった。
(今しかない。俺はこれから年を取るばかりだ。今なら絶頂の時に奴を倒せる)
 さすがに今すぐに王を倒しに行こうとはしなかった。
 ミルクを、ルカは一息に飲んだ。

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