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3 恐れ(前編)

 最初に火の手が上がってから、もう三日も経っていた。だが依然として炎は燃え続けている。少年の持つ全てを焼き尽くそうとするかのように。
「お姉ちゃん、あれは何?」
 少年は、炎の向こうから来る影を指さした。
「あれはイレイヤ公の軍隊よ。ああやって、焼け跡に残った金属や陶器を探しているのよ」
 姉は少年の手を取って言った。
「行きましょう。彼らに見つかると大変なことになるわ。ルカ、わたしからの最後のお願いよ。あなたはまだ幼いけれど、大きくなったら必ずわたしを――いいえ、それは別にいいわ。わたしたちの町の人々の敵を討ってね」
 なぜ姉が最後のお願いだと言ったのか、少年にはわからなかった。
 それがわかったのは、翌日姉が居なくなってからだった。

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 ヴォルテス王の結婚式が行われた。相手は八十八歳の妖精族の女。娘のイーメルよりも若い母親になる。
イーメルは百四十五歳だというから、本当なら彼女こそ結婚すべきだった。
「王女、支度はおすみでしょうか」
 侍女が部屋の外から中のイーメルに向かって言った。
 イーメルの側の椅子には、卸し立ての衣装が無造作に掛かっていた。
「まだじゃ」
 イーメルに、その服に着替える気は無かった。意地を張っても、結局はこの服を着て父王の結婚式に出なくてはならないだろう。
(父上はわらわのことをどう思うておる? わらわは父上にとって必要無いのではないか?)
 イーメルはもう百四十五歳。普通の妖精の寿命が百八十歳くらいだ。いくら、王族は他の妖精より長命とは言え、自分自身がどんどん老いてゆくのがイーメルにはわかった。女性は皆、五十歳から百二十歳までの間に結婚をする。それなのに、イーメルはその適齢期を過ぎて何年も経っていた。
 王女であるのだから、次世代の王を産むために、結婚は欠かせないものだった。
 しかし、ヴォルテス王は娘の結婚相手を探さずに、自分が新たな妻を娶った。
 城の中では、ヴォルテスが娘に王権を継がすのではなく、自分の子に王権を継がす気なのだろうという噂があった。
 征服を重ね王になった男だから、齢取った娘が自分の地位を揺るがすのではないかと疑心暗鬼になっているのだ。その点、まだ生まれていない息子であれば、自分が死ぬまでに政治ができる程の齢にはならぬと思っているのだ。
 誰も直接イーメルに言いはしない。しかし、噂は自然と彼女の耳に入った。
「サガミ」
 イーメルは侍女を呼んだ。
「お呼びでしょうか」
「サガミ、そなたわらわの代わりに父上の結婚式に出席してはくれぬか」
 イーメルのとんでもない命令に、サガミは頭を振った。
「とんでもございません。なぜ王の結婚式をそれ程嫌がるのですか。妖精族だけでなく、人族までもがこの式を祝福しているのに」
「わらわには祝福できぬ」
 イーメルは近くにあった肩掛けを取って、それを羽織った
「新しい母君が気に入りませぬか」
 侍女が言った。
「フン、確かに母上も気に入らぬが。娘であるわらわより若い母上とはな。のうサガミ、父上の考え、そなた何ととる」
「は。王は御自身の安全ばかりお考えかと」
 侍女は思っていることを隠さず言った。
「人が自分たちの手で政治を行う、か」
「は?」
「いや、独り言じゃ。気にせずともよい。それよりサガミ、気が変わった。父上の結婚式に出席しよう。わらわの耳飾りと指輪を用意しておけ」
 イーメルが言った。
 侍女は安心したように部屋を出て行った。
(あの男、ルカとかいったか。なかなかおもしろいことを言うておった。あの男が父上と会ったら、一体どうなるか見ものよの)
 イーメルは真新しい服に着替えると、一人忠実な従者を呼んだ。
「そなた、三週間ほど前にパロス殿に訴えられてここに来ていた男を知っておるか?」
「はい」
 男は答えた。
「では話が早い。あやつを父上に会わせたい。どうじゃ、できるか?」
「仰せに従います」
 男はそう言って部屋を出た。

 奴隷の居住区でも、王の結婚の為にお祭り騒ぎをしていた。皆が泉に浸かり体を清め、王と王妃の為に一番奇麗な服に着替えた。
「ルカ、やっぱり君も行くつもり?」
「ああ。取り敢えず一度見ておきたいからな、俺の町を滅ぼした男を」
 頭にターバンを巻ながらルカは答えた。
「セイロンは。行くのか、行かないのか?」
「僕はあんまり行く気無いんだけど、マギーたちがね」
 セイロンは溜め息を吐いて言った。
 マギーとサラは、王の結婚式がまるで自分のものであるかのようにはしゃいでいた。自分たちでは一生身につけることのできない美しい着物や、飾り立てられた車などに女の子は憧れるのだろう。
「手に届かないお姫様に憧れてもな」
 ルカが言った。
「全くだよ……。え?」
セイロンはルカの言葉を聞いて、そこに二つの意味を見つけた。
(マギーやサラが憧れるのは王妃となる女性。もう一人の『お姫様』はイーメル。ルカが憧れる女性――?)
 セイロンは頭を振った。そんな訳が無い。ルカはイーメルには一度しか会っていないのだから。
 ルカの記憶の中で、彼の姉は確かに人間の顔をしていた。しかし、セイロンにイーメルがそうではないかと言われてから、その記憶が揺らぎ始めたのだ。
 少年のルカの手を握る姉が、次第に妖精に思えてきた。良く考えれば、ルカは半妖精だったが、見た目は妖精そのものだった。それなら、ルカの姉ユディトも妖精の顔をしていてもいいのだ。
「お兄ちゃん、お役人さんが来てるよ」
 マギーが小屋の外から兄に言った。
 セイロンがルカを見る。ルカはさあ、という風に肩を竦めた。
「御機嫌いかがかな、ルカ殿」
 見たことのない妖精だった。
「はあ、まずまずです。ですが、一体何の御用でしょう」
 ルカが言った。
「祭儀場に来て貰おう。ルカ殿に会って頂きたい方がおられる」
 妖精は言った。
 ルカにもセイロンにも訳がわからなかった。
「私に会わせたい方とは、どなたなのですか? あなたの話振りからして、かなりな身分の方だと思いますが」
「ヴォルテス王だ。だがこのことは他言無用。さあ、行くぞ」
 妖精はルカに耳打ちした。
「あ、ちょっと待って下さい。もう少しきちんとした格好にしますから」
 ルカはそう言うと、戸口に妖精を待たせて外套を羽織った。
 それから、短剣を帯の間に潜ませる。
「ルカ?」
「チャンスなんだよ。今を逃せば後は無いだろう」
「無茶だよ。それに大体もし失敗――」
 言いかけると、セイロンはルカに口を塞がれた。
「でかい声出すなよ、セイロン。外には役人が居る」
 小声でルカは言った。
「今だけ、俺のやりたいようにやらせてくれ。ここ三週間ばかりあのムカつく総督にもおとなしく従ってきたんだ。今だけ、な?」
 止めることはできないようだった。
「わかった、とは言えない。でも、僕にルカを止めることはできないよ」
 セイロンは言った。
 ルカは小屋を出た。外に居たマギーに、
「マギー、すまない、一緒に行けなくなった。セイロンと三人で行ってくれ」
 と言っているのが聞こえた。
(ばかだよ、ルカ。もう二度とマギーとも会えなくなるかもしれないのに。マギーなら、君が人でも妖精でも受け入れるのに)
 セイロンは思った。
(あーあ、ルカが死んだらマギーが悲しむだろうな。かわいそうに)
 小屋の外で友人が来るのを待つ妹を見て、セイロンはそう思った。

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