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3 恐れ(後編)

「ルカ殿、こちらへ」
 妖精に案内されて、ルカは祭儀場にある一室に入った。
「王はもうじき来られます」
 妖精はそう言って部屋を出た。
 だだっ広い部屋に、ポツンとルカだけ残った。
 床を擦る服の音が近付いて来た。王であれば、従者が一緒に居るはずなのだが、それは一人だった。
「お姫さん」
 イーメルの姿を認めてルカが言った。
 この前会った時よりも数段美しい衣装を着て、髪も立派に結ってあった。
「ルカ、父上に会って貰う前に、そなたに話がある」
 イーメルは言った。
「どうぞ」
 ルカが答えた。
 イーメルはルカに近付くと、外套の襟から手を入れ、簡単に短剣を取ってしまった。
「このような物、一体どうするつもりじゃ?」
 イーメルは短剣を持ってルカに尋ねた。
(ばれてる……)
 ルカは思ったが、まさか王に復讐するつもりだったなどとは言えない。
「護身用だ」
 そう答えた。
「奴隷が剣及びその他の武器類を所持することは、禁じられているはずだが?」
 イーメルはわざとらしく短剣を眺めながら言った。
「俺この町に来たばっかだから、知らなかったなー、……なんて…、」
 冷ややかな視線がルカに注がれる。くだらない嘘はやめろ、という顔だった。
「はははは……」
 仕方がないので、ルカは笑った。
 イーメルも笑顔を作ったが、すぐに真顔に戻りルカに短剣を返すと、言った。
「このような物ではわらわらを倒すどころか、傷つけることもできぬ。そうは言っても、そなたは納得せぬであろうから、自分で試してみるがいい。所詮、人の作った物は人にしか使えぬ」
「はあ」
 ルカはイーメルから短剣を受け取った。
 つまりは、この剣では妖精族を攻撃できない、ということだろうか。
(良くわからないお姫さんだ。まるで、俺に王を攻撃して貰いたいみたいな言い方をする)
 ルカは思った。
「ルカ、父上と会った時、わらわのことは口にするな。わらわがそなたらを会わせたのではないと、父上には思わせておきたいからな」
 イーメルが言った。
「ああ。だが、お姫さん、あんた一体……」
 言いかけて、ルカはイーメルの左手の中指に入った指輪に目を止めた。
(お姉ちゃん?)
 ルカは、その指輪を見て、姉を思い出した。
 ユディトは、銀の指輪をいつも左手の中指にしていた。
(まさか、本当にお姫さんが……?)
 ルカは思い、しかしすぐにそれを自分で否定した。
(そんなばかな。イレイヤ公が姉さんを連れて行ったなら、姉さんの指輪をその娘がしていたって、おかしくないじゃないか)
「わらわの手がどうかしたのか?」
 イーメルが聞いた。
「その、左手にしてある……」
「ああ、これか」
 右手には宝石の付いた豪華な指輪がいくつもしてあるのに対して、左手には、その銀の指輪ただ一つだけをしていた。
「これは母上の形見で、わらわが幼い頃から持っていたものじゃ。しかし、それがどうした」
 イーメルに問われて、ルカが答えようとすると、別の妖精が部屋の入り口からイーメルに声を掛けた。
「父上が来るか。ルカ、父上を怒らせぬようにな。今日は結婚式で父上は上機嫌じゃ。まあ大丈夫であろうとは思うがな」
 イーメルはルカにそう言ってから部屋を出た。
 入れ替わりに、イレイヤ公が入って来た。
 ルカはイレイヤ公を見た。
 妖精族はある程度まで齢を取ると、それから先は老化しない。王も、すでに百七十歳は越えているだろうが、若々しかった。
「そなたを見ると、十六年前を思い出す」
 ヴォルテス王は言った。
「わしが現在のラグナダスを攻める際に、食料の確保の為につぶした村にそなたによく似た半妖精の少年がおった」
 ラグナダスという地名には聞き覚えがない。しかし、それはルカが住んでいた町のことだろうと、安易に予想できた。王が言う少年とは、ルカ本人のことだった。
「よく、十六年も前のことを覚えておいでですね」
 ヴォルテス王は笑った。
「そなたら人族にとっての十六年は長いであろうが、わしらにとってはそなたらの一、二カ月前と同じような感覚じゃ。ふん、もっとも、あの時見た半妖精は妖精の顔をしておったがな」
「王よ、なぜその時その少年を殺さなかったのですか? 王はその町の住人を全て殺したのでしょうに、なぜその少年だけ」
(そう、あのとき俺も死んでいれば良かった。そうすれば、復讐などというものに縛られずに済んだ)
 ルカは外套に手を入れて、短剣の柄を握り締めた。
「わしにも多少の慈悲心というものがある」
 王が答えた。
(慈悲心だと? あんたは俺を追い込んだ。それのどこが慈悲だというんだ)
「慈悲ではなく、甘さだった。王よ、一族の仇!」
 ルカは短剣で王に切りかかった。
 従者たちが王を守ろうとしたが、王はそれを止めた。
「そなたらの剣では、わしを傷つけることはできぬ」
 王が言った。
 その言葉の通りに、ルカは王を傷つけることができなかった。
 剣を王に近づけただけで、剣がどろどろと溶けてしまったのだ。
 剣は元の形をとどめていなかった。
(お姫さんの言う通りだ)
 ルカは王の従者に押さえ込まれた。
「そなたのような者も、この国にはようおるわ。だがわしに手を上げたのはそなたが初めてじゃ。勇気ある愚か者よ」
 王はそのまま去って行った。
(くそっ)
 口の中で呟いて、ルカは自分を押さえ込んでいる妖精を見た。
 人間から見れば、妖精は皆同じ顔をしていると言う。種族によって目や髪の色が違うが、同じ種族だと人の目ではほとんど見分けられないのだそうだ。
 だが、ルカはきちんと見分けることができた。妖精独特の美意識も、ルカには理解できた。
 しかし、それでも、ルカは妖精ではないという。
 妖精はルカを奴隷として扱い、今も、家畜を引っ張るように、ルカの手に鋼の枷をつけて引っ張ってゆく。
「本来ならば、最低五年の服役は免れないのだが、今日は目出度き日、大目に見るということだ。命拾いしたな、小僧」
 手枷を外して妖精が言った。
「王にお伝え願いたい。いつか必ず一族の復讐をする、と」
「考えておこう」
 妖精は、ばかにしたような目をルカに向け言った。
 辺りではきらびやかに飾り立てられた物、建物や車や妖精、が王の再婚を祝って楽しげな音を立てていた。
「このような日が来るとは、思いもしなかったわ」
 女の妖精の、静かで一定の調和を保つ声が聞こえた。
「きっと、イーメル様が先にご結婚なさると思っていたのに」
 ルカは立ち止まった。
(イーメル――! ……俺の姉かもしれないんだ)
 ルカは祭儀場へ戻ろうとした。
 が、行くことはできなかった。さっき追い出されたばかりである。それに、今イーメルがどこに居るのか、ルカには見当がつかなかった。
(今はまだ無理か。だが今夜には)
 ルカは思った。
 今夜は皆騒いで、城の警備も薄くなっているだろう。イーメルに会って話をする必要は無いが、とにかく、姉か、そうでないのかでも分かれば良かった。もう一度イーメルに会えば、分かるような気がしたのだ。
 ルカはターバンを巻直した。いつもとは逆に、人の目である左目を隠し、吊り上がった妖精の目を見せた。耳を見せないように、深くターバンを被った。
 外套の下は奴隷の着る汚れた粗末な服だが、外套だけは立派である。これならルカはどこから見ても妖精だった。
 この格好なら、どこでもほとんど自由に動き回れる。考えようによっては、人族の家に勝手に入って、そこで用意された食事を食べることも可能だった。
 平民と奴隷の違いだった。妖精と人との違いだった。
 しかし、ルカにはそれでは納得できなかった。
 妖精は自分たちのやり方を人に押し付け過ぎている。人は妖精をおそれて自分では何もできない『物』になっている。
 半妖精はそのどちらでも無かった。そのどちらからも嫌われていた。
 ルカが育った町では、半妖精でも、場合によっては魔族でも、仲間として受け入れた。ルカが六歳の時までである。ルカが六歳の時、その町は現カザート王に滅ぼされてしまった。
 ルカはその後、色々な国へ、町へ行ったが、半妖精は受け入れられなかった。
 ルカは、妖精か人か、そのどちらか一方として生きなければならなくなった。ほとんどの半妖精は、そうやって自分の血統に嘘をついて暮らしていたのだ。
 ルカは人になることを選んだ。なぜ? 分からない。ルカは人の中で育ったからかもしれない。それとも、妖精のやり方が気に食わなかったからかもしれなかった。
 夕刻となった。辺りは昼と変わらず騒がしかった。
「すまぬが、一つ聞きたいことがある」
 ルカは屋台の準備をする男の一人に言った。
 顔を向けた男に、ルカは櫛を見せた。
「素晴らしい物だ」
 男は言った。
 当たり前だ。これはルカの物では無い。イーメルがルカから短剣を取った時、代わりに潜ませておいた物だから。
「質問に答えて貰えるか?」
「それは勿論」
 男は上目使いにルカを見て言った。
「では、今夜ヴォルテス王の姫君が泊まられる場所がどこか教えて貰いたい」
 ルカが言うと、何を思ったのか、男はニヤニヤした顔付きになった。
「旦那、それはちょっとまずいですよ。いや、教えないって訳じゃ無いですけどね」
「……だったら、教えて貰おう」
 ルカはこの男に聞いたことを少し後悔した。
 男は、そんな櫛よりも何か買っていけとルカに進めたので、他国から持ち込んでいた金貨で食物を買った。
 一応、イーメルの居場所は分かった。サーマ・ニーチェ〔月の穴〕と呼ばれる建物だ。ここから月を眺めると、月にあるクレーターまで見えるという、早い話、月見の為の王の別荘だった。
 王と新しい妃はおそらく祭儀場にある誓いの間で一夜を過ごすであろうから、サーマ・ニーチェに居るのはイーメルだけらしかった。
(サーマ・ニーチェに居るって言われてもなあ……)
 ルカは、考えただけでも嫌になるくらい広い建物を見て、溜め息をついた。
(仕方ねえ。とにかく色々見て回るか)
 ルカは、はっきり言って夜の方が良く目が見えた。妖精の血がそうさせているのだった。
 ルカは普通に大門から入って、サーマ・ニーチェを見学することができたが、まだイーメルは来ていないようだった。
 しかし、イーメルの部屋を見つけるのは簡単だった。一室だけ、奇麗に飾り付けられていたからだ。
(ここで待つのが得策かな)
 ルカはそう思って、部屋の外の繁みに隠れた。
 待っている間に、さっき買った食物を食べる。
 やがて外がガヤガヤと騒がしくなってきた。イーメルが帰って来たのだろう。ルカが目を付けた部屋に明かりが灯され、暖炉に火が付けられた。
(さて、そろそろ登るか)
 ルカは上を見上げた。
 葉を付けた木が丈夫に育っていた。
 その部屋の窓は小さく、やけに高い所にあったのだ。だからルカは、どうせ隠れるなら木の上に居ようと考えたのだ。
 木に登ると、丁度良い高さで部屋の様子を見る事ができた。
 ルカが木の上でじっとしていると、今はまだ誰も居ないはずのへやから、話し声が聞こえた。ひそひそと小声で、しかも声は三、四人の男のものだった。
 ルカの居る位置からは声の主の姿は見えなかった。おそらく隠れているのだろう。
(何か悪巧みでもしてそうだな)
 ルカは思ったが、この位置からではどうしようもなかった。それに万が一、悪巧みをしている人たちでなかったら、助けに入ろうとしたルカの方が悪者になってしまう。
 ルカが覗いていると、しばらくしてイーメルが侍女と共に部屋に入って来た。
 朝会った時と同じで、奇麗に結った髪がイーメルの美しさを一層引き立てていた。
「王女、じきに着替えを持って参りますので、王女はご入浴なさって下さい。お疲れでしょうから、寝台も用意しておきます」
「うむ。すまぬが、髪を元に戻してくれぬか」
「はい。少々お待ちを」
 イーメルと侍女との会話が、はっきりとルカの耳に聞こえた。
 イーメルを飾っていた装飾品が次々と取り除かれる。髪は固めてあったので、侍女が湯を持って来てほぐした。
 それが終わると、イーメルは隣の部屋へ一人移動した。
(ってことは、あっちが風呂か)
 目で追って、ルカは思った。
(家ん中に、しかも部屋のすぐ近くに風呂があるなんて、人族では考えられねえな)
 滅多に、いやほとんどの者が一生暖かい風呂に入れない自分たちとの差が、はっきり分かった。普通、人は川で汚れを落とす。
「ああ。噂だ。噂に過ぎないが」
 ひそひそ声が聞こえてきた。さっきと同じ声だ。
「一番初めの奴には、一人二十ずつやることにしようぜ」
 声が先程よりも大きく、聞き取り易かった。人数は三人だった。
「二十は高すぎやしないか? 合わせて四十も貰えるんだろ」
「別にお前が貰えると決まった訳じゃないだろ。でも、そんだけの価値はあるぜ。なんせ、噂では王女はまだ処女らしいからな」
 どんな鈍感な奴でもこれを聞けば、この恥知らずの侵入者が何をしようとしているのか、分かるだろう。
(あいつら……!)
 ルカはカッとなったが、今は木の上。その上、部屋には外からは入れなかった。
(ま、お姫さんも力使えるし、簡単にはやられないだろうけど)
 などとルカは思った。
 ルカを吹き飛ばしたあの力があれば、人間の男の一人や二人や三人……、どうってこと無いだろう。
 侍女がイーメルの着替えを持って来て、寝台を用意した。
 侍女が出て行って暫くすると、イーメルが部屋に戻って来た。そして、三人の男が部屋に潜んでいることも知らずに、服を着替えようとした。
「誰じゃ!?」
 イーメルが言った。
 木の上に居たルカは一瞬ビクッとしたが、それはルカに向けられた言葉ではなく、部屋に居る三人に向けられた物だった。
 男の内一人が姿を現した。
 イーメルが衛兵を呼ぶ為のドラを鳴らそうとすると、別の男がドラを叩く為のこん棒を先に奪った。
「妖精の肌は人とは違うって聞いたぜ」
 男が言いながら、イーメルの着物を剥ぎ取った。
 胸から太ももにかけてが、青っぽい色になっている。
「噂通りだ」
 抵抗するイーメルを、二人の男が床に押し倒した。
(おいおい、冗談じゃないぜ、お姫さん。力使えばいいだろ?)
 心の中でルカは言うが、実際にはそんな悠長な態度でいられる訳が無かった。
(イーメルを助ける)
 そう思うと、ルカの場合、すぐに実行に出る方だった。
 が、何度も言うように、今ルカの居る所から部屋に入るのは不可能だった。
(どこか入れる場所はねえのかよ)
 ルカは木から飛び降りて、入り口を探し始めた。
「無礼者、放せ!」
「おっと、黙ってて貰うぜ。やばいことしているのは自分たちでもよおっくわかってんだしな」
 一人がイーメルの口に布を押し当てて猿轡にした。
「妖精って言っても、あんまし人の女と変わりねえな」
「おい、誰が最初だ?」
 イーメルの上に、一人が馬乗りになった。
(わらわをどうする気じゃ。一体、この男たちは――!)
 両腕は別々に押さえられていて、動かすこともできなかった。
 自分一人ではどうしようもないという恐怖が、イーメルを襲った。
 その頃ルカは、ようやく建物に入れる場所を見つけて、この部屋に向かっている所だった。
 ルカが部屋に入った時は既に遅かった。
 何が起こったのか――、ルカが見たものは、部屋中に飛び散った血と、それと同じ血にまみれて座り込んでいるイーメルだった。
(何だ、これは……?)
 一瞬、よくわからなかった。ちゃんと考えればすぐわかることだったのに、ルカの頭は考える力を失っていた。
 イーメルの前に、千切れた腕が転がっていた。いや、腕だけではない。その向こうに胴体と足、それに恐怖に引きつった男の顔が、それぞれてんでバラバラに転がっていた。
 腹は引き裂かれ、内蔵が床に、血にまみれて光っていた。
 ルカの頭が考える力を取り戻して、やっとルカはこの惨事の原因に目を向ける事ができた。
 そうなってもまだ、イーメルは座り込んだままだった。
「おい、大丈夫か?」
 ルカは呼びかけてみた。
 しかし、イーメルの目は遠くを見たまま、動かなかった。
「しっかりしろ」
 今度は頬を叩いて、やっとイーメルは正気を取り戻した。
 イーメルは、自分の血にまみれた手を見た。
「わらわは……わらわは……」
(わらわも、人食いの魔族と同じ――)
 混乱していてのことだった。正気であれば、こんな事は起こらなかった。
 イーメルは酷く咳き込んだ。何かを吐き出そうとするように。
 ルカのことも目に入っていないようだった。
 咳き込んで苦しそうなイーメルの背を、ルカはさすった。
「大丈夫か? ――しっかり。わかってるか?」
 咳が収まって、やっとイーメルはルカを見た。
「……誰じゃ、そなたは。…さきの者共の仲間か!」
 イーメルは言って、ドラを鳴らそうとした。
「待て、お姫さん。今人を呼んだら大変なことになっちまう」
 ルカは、ドラを鳴らそうとするイーメルの腕を掴んで止めた。
(『お姫さん』……?その言い方は――)
「ルカ――? いや、そんなばかな。そなたは妖精であろう。人が妖精に化ける技など、聞いたことがない」
 イーメルは一人ごちた。
 相手が妖精とわかって、イーメルは安心したようだった。さっきからずっと目の前にいるのに、気づいたのは今、というふうだった。
(俺は正真正銘のルカなんだけどな。ま、この際、どうだっていいか)
 ルカがそう思った矢先に、イーメルはルカの持つ櫛に気づいた。
「これは、わらわがルカに持たせた物。――そなた、ルカか?」
 まじまじとルカを見て、イーメルが言った。
「ああ、そうだ」
 ルカはターバンを取りながら言った。
「俺がルカだ」
 右側の前髪が落ちて、妖精の目を覆った。
「ルカ。おおルカ。わらわは一体どうすればいいのじゃ? ……こやつらが悪いのじゃ。わらわを、わらわを――」
 イーメルの体が小刻みに震えていた。
(どうすればって言われてもなあ……)
 ルカはどうしようもなく、ただイーメルの言葉を聞いていた。
「わらわは悪くない。正当防衛――そうじゃ、正当防衛じゃ。そうであろう? のう、ルカ!」
「見ろよ。自分がしたことを」
 ルカは自分にすがり付くイーメルの目を、無理に死体に向けさせた。
「人のせいばかりにするんじゃねえよ。こうなったのは誰のせいだ? こいつらのせいだけじゃないはずだろ」
 イーメルは余計に震え出した。
「違う。わらわのせいではない。わらわではない」
(違うな。お姫さん、あんたのせいもあるんだ。そして、俺のせいもある)
 否定しようとするイーメルを見て、ルカは思った。
「お姫さん、よく見ろよ。お姫さんの力を使えば、こんな事にはならなかったんだ。こうなったのはお姫さんのせいだ。お姫さんがやったんだ」
 ルカは言い切った。
 イーメルはまだ混乱しているようだった。
「そうじゃ。わらわがやったのじゃ。こやつらがわらわを無理にしようとするから」
 イーメルはそう言ってから、突然ルカから離れて部屋の隅に行った。
「おお、そうじゃ。わらわは一体どうすればいい? こやつらは死んでおるのか? なぜじゃ。わらわは知らぬ」
 イーメルは吐き気を催したようだったが、吐く物は無かった。
「お姫さん、」
(俺のせいもある。知っていて。もっと早く止めるべきだった)
 ルカはイーメルに近づいた。
「ルカ、そなたもあやつらの仲間か! わらわを辱めるつもりか」
 イーメルは壁伝いに、そろそろとルカから逃れようとした。
 このままじゃ、何にもならない。何とか正気を取り戻させないと。
 近づくこともできずに、ルカは思った。無理に近づけば、最悪の場合、後ろでバラバラになっているあの男たちと同じ運命を辿ることになるだろう。妖精族が持つ、本能の部分。魔族と同じ、自分の敵をただ殺す為だけの力で。
「お姫さん、おいで。大丈夫。俺はお姫さんの味方だ」
 ルカは自分から近づくのは諦めて、イーメルに来て貰うことにした。
(まるでおびえる猫か犬だ)
 ルカは思った。
 わざとらしい、そう思いながらも、ルカはなるべく優しそうな笑顔を作った。イーメルが警戒心を無くすように。
 イーメルが逃げるのをやめて、じっとルカを見た。大きな妖精の目で。一歩、ルカへと近づいた。
 やっと、イーメルの心は落ち着き始めていた。
「ルカ――」
 イーメルはルカの衣にすがって泣き出した。
 ルカの纏っていた白い外套に、赤い血が付いた。
「怖かったのじゃ。そなたの言った通り、力を使えばこんなことにはならなかった。でも、わらわは、何をされるか分からなくて。とにかく怖くて」
 血にまみれた王女は、泣きながらそう言った。
「わかってる。もういい。反省したんならいいんだ。俺はただ、お姫さんがやったことが、たかが人を殺したってだけで終わって欲しくなかったんだ」
(実際に、人を殺しても気にも留めない妖精が多く居る)
 ルカは言葉の後に、続けてそう思った。
 ルカはイーメルが泣き終わると、散った死体の方へ行った。
「何をする気じゃ?」
 イーメルの問いには答えずに、ルカは死体が持っていた短剣を掴むと、その刃を自分の掌に当てた。
 ゆっくり剣を引くと、掌に赤い筋が浮き出た。
「お姫さんの仕業だってばれたら、大変なことになっちまう。お姫さんは、もう一度風呂に入って服を着替えな」
「まさか、そなた……。駄目じゃ、そのようなこと。そなたがわらわの犯した罪を被る必要はない」
 イーメルは言った。
「って、今頃言われても、遅かったかな。もう手、切っちまったもん。俺思ったらすぐ実行するタイプだからな――」
 ルカは笑顔で言った。
「そんな、ルカ――。……すまない」
 イーメルは言って、隣の部屋に駆け込んだ。
 血液は犯人を捜す最大の手掛かりになる。さらにルカは部屋のあちこちに血で手形を付けてまわった。普通、ここまであからさまに証拠を残す犯人は居ないのだが、場合が場合だ。まさか王女を犯人にするわけにはいかないのだから、多少証拠が妙でも、妖精たちはルカを犯人として追うだろう。
(……俺って、お人よしだよな)
 手形を付けながら、ルカは思った。
 しかし、こんなことをただのお人よしでできるわけがなかった。ルカには、知っていて止めることができなかったという、罪の意識が少なからずあったのだ。
 イーメルが戻って来た。風呂から出て来たのに、顔は青ざめていた。
「お姫さん、いいか。これは人間同士の争いだったんだ。こいつらが俺にちょっかい出してきて、俺が怒って追いかけて、こいつらが逃げる内にここまで来て、そこで俺に追いつかれた」
 ルカが言った。
「調べれば、そなたの嘘はすぐばれる」
 イーメルが言った。
「大丈夫だって。ばれたとしても、お姫さんの仲間はそれを必死に隠そうとするはずだ。なにしろ、お姫さんは王族のシンボルなんだからな」
「そなたが罰せられるのは嫌じゃ」
「俺だって嬉しかないよ。ま、俺はこれから逃げるけど、ある程度時間が経ったら人を呼んで、さっき俺が言ったように説明するんだ。うまくやれよ」
 ルカは言って部屋を出た。
「あっ、と。それから、なるべく俺の弁護してくれよな。まだ死にたかねえや」
 振り返ってルカは言った。
 イーメルは無理に笑顔を作って頷いた。

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