燃え続ける炎。涙をどんなに流しても、炎が消えることはなかった。助けを求める人々の声を聞いても、自分の身一つで精一杯だった姉弟には、どうすることもできなかった。
やっと火から逃れた二人は、離れた場所から、燃える町を見た。
半妖精の少年は、姉を見上げた。
突然景色が変わる。火は既に消え、辺りは黒い瓦礫の山だった。少年の姉が、鎧を着た兵士たちにつれ去られて行く。
『お姉ちゃん!お姉ちゃん!』
――いつも、自分の声で目を覚ました。
整形手術をしたばかりで、まだ自分の顔に感覚がなかった。
生きる為に、多少お金がかかっても仕方ないことだった。右目のみが、元のまま残っていた。
金を稼ぐ為には、どんなことでもした。法に反することもした。スリや万引きは朝飯前だった。それでも、人殺しだけはしなかった。
どんなに苦しくても、人が苦しむより、自分が苦しんだ方が良いと考えていた。そんな心を持っていても、彼は孤独だった。
結局、ルカはイーメルと一緒にダイゴラス・トーチスに行った。
「ダイゴラス・トーチスには、真実を試す鏡があるという」
「その話なら、俺もセイロンから聞いた。それが何なのか、――泉なのか、氷の壁なのか、俺には見当もつかないが。真実を『映す』んじゃなくて、『試す』ってとこが怪しいよな。嘘発見器だったりして」
ルカが言った。冗談だったが、
「あり得る……」
と、イーメルに言われてしまった。
観光用の地図を見ると、入り口付近の横穴は通行禁止にはなっているものの、ちゃんと奥まで調べられていた。しかし、奥の方はほとんど分かっていないらしかった。
「まず、あの道からだ」
ルカは自分の前方に見える横道を指して言った。
「待て、ルカ」
行こうとしたルカの服を引っ張って、イーメルが言った。
「何だよ」
「見ろ、と言っても見えぬか。わらわでもほとんど読めぬが、ここに文字が刻まれておる」
イーメルは岩肌を指した。
ルカは目を近づけて見たが、何も見えなかった。
「かなり古い。……もう風化して削れてきておるわ」
言いながら、イーメルは手をその岩にかざした。
岩が不思議な光を発した。妖精の文字を読むときは、必ずこうなるのだ。
「『我この洞穴〔トーチス〕に聖なる竜の剣〔ダイゴラスソード〕納めり。後の世の者が、この力を持つ剣を悪用するすも限らぬゆえ、我はこの聖剣を永遠に封印する』」
――我が名はクレイシステレス。そなたらは何者じゃ。
突然、声が洞窟に響いた。
「何!?」
――もう一度聞く。そなたらは何者じゃ。
「これが『真実を試す鏡』ってことか!?」
「わらわはイーメル。カザートの王ヴォルテスの娘」
――妖精族の娘か。良かろう。
イーメルがルカの腹をつっついて、ルカにも名を名乗るよう言った。
「あ、俺の名はルカ」
――そなた、何者じゃ。
「だから、ルカだって――」
「違う。奴はそなたがどの種族か聞いておるのじゃ」
「え、あ、そっか。俺の母は妖精、父は人だ。これで文句ねえよな」
――……。
「おい、何か言えよ、『真実を試す鏡』のおっさん」
「ルカ」
イーメルが困った顔でルカを見た。
さっきから話を聞くに、どうも声の主はかなりプライドが高いらしい。プライドの高い者に向かって、『おっさん』はまずい。が、
――良かろう。そなたらの試練はこれからじゃ
声はそう言った。
突然、地面が揺れ始めた。
岩が崩れる。
ガラガラと大きな音を立てて、天井が落ちて来た。
「お姫さん!」
「ルカ――!」
ガン
石がルカの体の上に落ちて来て、ルカは目を覚ました。
「ってえ。何なんだ。これが試練だってのか?」
ルカの声が、崩れた洞穴に響いた。
「……お姫さん? おい、どこに居るんだ 」
(居ない? ……まさか、瓦礫の下敷きに!?)
――案ずるな。妖精の姫君は無事じゃ。それよりもそれ、そなたの試練が始まるぞ。
「おい、おっさん、案ずるなじゃねえよ。何のつもりだ、俺をこんなとこに閉じ込めやがって」
――クレイシステレスじゃ。おっさんではない。
「やっと思い出したぜ。クレイシステレス、ダイゴラス・ソードを造って封印した賢者か」
ルカが言った。
――……。
(ちっ。また黙りやがった。仕方ねえな。こっから脱出しねえことには始まらねえ)
ルカは歩きだした。
――助けて
声がした。小さな声だ。クレイシステレスではない。
――助けて。
――助けて、熱い。
声の数が増えた。
女の声、男の声、子供の声、しまいには家畜の鳴き声までもがルカに聞こえてきた。
「やめろ――」
ルカは耳を塞いだ。
声は、ルカに幼い日の地獄を思い出させようとしていた。
――熱い。……痛いよ。
――キャー!
――助けて。
耳を塞いでも、声は聞こえてきた。
(助けたかった。けど、俺にはできなかった。自分で精一杯だったんだ)
――待って、置いていかないで。助けて。動けない。
「助けて!!」
はっきりと、ルカの耳に聞こえてきた。いつの間にか、聞こえてくる声が肉声になっていた。
熱い――。
「助けて」
「熱いよ。このままじゃ死んじゃう」
(ここは?)
ルカの周りに、炎が燃えていた。
「おじさん、助けて。お母さんとお父さんが、家の下敷きに」
黒髪の少年が、ルカの服の裾を引っ張って言った。
(誰だ?)
見たことがあるような気がした。
ルカは少年の言うままに、少年に付いて、崩れた家まで行った。
「ここだよ。ほら、あそこ、お母さんが」
少年が指した先には、少年の母親と見られる女性が、沢山の木材の下敷きになっていた。
(妖精?)
その女性は妖精だった。
(俺は自分の母親を助けられなかった。せめて、この子の母親は助けてあげなくちゃならない)
ルカが崩れた家に歩み寄ると、火の勢いが増して、母親ごと、火は家を飲み込もうとした。
「お母さん!」
少年が叫んだ。
ルカは少年の期待に応えようと、母親を助けに火の中を進んだ。
不意に、後ろから少年の声が、いやにはっきりとルカの耳に聞こえた。
「ばかだなあ。人の母親助けに行くなんて。さよなら、おじさん」
(何!?)
ルカが振り向くと、妖精の顔をした少年は悪戯っぽく笑って、姿を消した。
「駄目よ。戻って来ちゃいけないって、あれ程言ったのに……」
女性が消え入りそうな声で、ルカに言った。
ルカはその女性を見た。
「あなたは逃げて。そして、わたしたちの復讐を、わたしたちの幸せを侵したイレイヤ公に。……ルカ」
!?
炎が女性を包んだ。
(お母さん……?)
火が、ルカにまで迫った。
――復讐を。イレイヤ公に復讐を。
ルカの持つ金の筒が、ルカにそう囁いた。焼け跡から見つかった、ただ一つの形見が。
「ごめん、お母さん、お父さん。それに、助けてあげられなかった人たち。俺は、一人でも生きなきゃならなかったんだ」
ルカは走りだした。
炎から逃れるために。生き残るために。復讐するために。
――よく脱出できたな。あのままあそこに居れば、そなたは焼け死んでいたであろうに。
ルカは額を流れる汗を拭った。
「冗談じゃないぜ、『真実を試す鏡』のおっさん」
――クレイシステレスじゃ。
「どうだっていいだろ。それより、さっきので試練とやらは終わりか?」
――……さあな。わしにもわからぬ。そなたの心の迷いが
(あれ? どうしたんだ。おっさんの声が途中で切れちまった)
ルカが気づくと、そこはダイゴラス・トーチスではなかった。
どこか、町の中のようだ。
「お気づきになられましたか?」
ものすごい美女が、ルカを覗き込んで言った。
イーメルに似てはいるようだが、全然格が違う。妖精の中の妖精。人の言うまやかしのセイレーンとは、こういう妖精をいうのではないかと思わせるほどだった。
(これも試練か?)
ルカはちらっと思ったが、なぜかそのことについてしっかりと考えることができなかった。
夢を見ているようだった。ボーとしてしまって、考えたいことが考えられないのだ。
「どうなさいました、ルカ殿。まだ焦点が定まりませぬか?」
美女が言うと、辺りから笑い声が聞こえてきた。
「ホホホ……。まったくおもしろい方ですわね。ここに来るなり、つまずいて、机の角に頭をぶつけなさって、卒倒なさったんですわ」
別の女が言った。
よく見ると、ここに居るのは女ばかりだった。そして、最初にルカに声を掛けたのが主人で、残りは使用人たちらしかった。
「ルカ殿はきっと緊張なさってるんですわ。だって今夜は」
その先の言葉を聞いて、ルカは目が点になった。
(結婚!? この妖精の女と俺が、か?)
あまりに不釣り合いではないか、とルカは思った。
「もう大丈夫ですわね。皆を引き上げさせますわ」
美女が言うと、使用人は皆立って、一つ向こうの部屋へ引き上げて行った。その使用人の中に、一人だけ人族の少女が居た。
少女は悲しそうにルカを見て、それから他の使用人たちと一緒に隣の部屋に行った。
「さあ、ルカ殿。使用人たちに弦を奏でさせますわ」
イーメル似のイーメル以上の美女は、ルカにそう言った。
弦の音が、隣から聞こえた。
美女はルカが何もしないのに、勝手に服を脱ぎ始めた。スタイルも良かった。
だが、ルカの心を引き付けたのは、妖精の美しい容姿ではなく、弦の音の中にある、悲しげな旋律だった。
(違う。これは俺の世界じゃない)
ルカは思った。
あの悲しげな旋律こそが、ルカの世界の音だった。他の美しい調べは、全て偽物だった。
「ルカ殿」
人族の少女が顔を上げた。
「お幸せに」
(違う。俺はこれでは幸せになれない)
周りの光りも温もりも消え、またルカは元の冷たい洞穴に閉じ込められていた。
――そなたに心の迷いがある限り、試練は繰り返される。
クレイシステレスの声が言った。
「俺の心の迷い? それがさっきの幻影か」
――ダイゴラス・ソードは迷いのある者には使えぬ。迷いのある者が触れると、その者は一瞬にして灰と化す。
「それが、一振りで多くの妖精を倒す秘密ってわけか。あんたが封印した理由もわかるぜ」
――そうか。そう褒められるとのうー♪
「誰も褒めてねえよ」
ルカは溜め息を吐いた。
(もしかしてこのおっさん、目茶苦茶変な奴じゃねえのか?)
カララ……
岩が崩れて、一条の光がルカにまで延びた。
――行くが良い。そなたの夢を叶えるために。
クレイシステレスの声に見送られて、ルカは洞穴を抜けた。
(迷いを断ち切れたのは、俺の力ではない。俺は沢山の人に守られている)
ルカは思った。
今思えば、二度目の幻影に出て来た人族の少女はマギーではなかったろうか。
ルカにとって、大切な妹のようなマギー。自分が人に扮することを選んだのは、人が温かかったからだ。忘れそうな簡単なことを、マギーは思い出させてくれた。
「ルカはどうしたのじゃ」
――知らぬ。そなたは一人で試練を受けなければならない。
イーメルは、クレイシステレスにそう言われた。
「試練?」
――そう、試練じゃ。そなたの試練は辛いものになろう。
イーメルには訳がわからなかった。
元々お姫様で、いつも誰かと一緒に居た彼女だ。一人は寂しいものだった。
「反乱じゃ! 奴隷どもが城に向かって来おる」
大臣がそう言って、部屋に居たイーメルを驚かせた。
イーメルは窓から外を見た。
人々が黒い塊となって、城へ向かって来るのがわかった。
「門を壊された」
「入って来るぞ。早く、王と王妃をお守りするのだ!」
(何じゃ、何が起こっているのじゃ?)
「王女、ここは危険です。脱出用の通路がありますから、どうぞそちらの方へ」
衛兵がイーメルに言った。
(ルカ?)
衛兵は一瞬しか顔を見せなかったが、確かにルカだった。
他の兵士がイーメルに従って、一緒に脱出用通路に向かった。
「奴隷共を指揮しているのは、半妖精のルカという者です」
彼は言った。
(何じゃと? それでは、さっきわらわらにこの通路を使えと言ったのは――)
「罠か!?」
兵士は剣を抜いて、イーメルを守り戦ったが、人数が違い過ぎた。
やがては、イーメル一人になってしまった。
(これは、一体……)
訳もわからぬままに、イーメルは奴隷たちに連れられて、処刑場のような所に来ていた。
イーメルは丸太に縛り付けられて、群衆の目にさらされた。
人々は彼女を見て嘲り笑った。
「妖精の時代は終わった!」
口々に言った。
それぞれに小石を持って、イーメルに投げ付けた。
「もっと痛め付けてやらなきゃ気が済まない。今まで散々俺たちをこき使いやがって」
石つぶては数をました。
(血――)
イーメルの額から、血が彼女の頬を伝った。
(奴隷の分際で、主に向かって何ということを!)
イーメルは精神を集中させた。
力を使って、一気に周りの物を消滅させるのだ。イーメルになら、それができた。
『お姫さんの力だって、結局は魔族のものだ』
『こうなったのはお姫さんのせいだ』
ルカの言葉が思い出され、精神の集中が乱された。
「火を点けろ。火あぶりにしろ」
誰か一人がそう言うと、皆が口々にそう言い始めた。
気づけば、イーメルの下には既に薪が積まれ、火が放たれていた。
(人の時代が来るも良、か)
イーメルは目を閉じた。死を受け入れようとしたのだった。
しかし、なぜか気になってもう一度目を開けると、炎の向こうに馬に乗ったルカの姿が見えた。
ルカの後ろに、女性が乗っていた。
(誰じゃ? そうか、ルカの恋人か。それでも良かろう)
イーメルがそう思っていると、ルカが馬から降りて、自分の方へ走って来た。
良く見ると、ルカの後ろに乗っていたのは、自分自身だった。
(わらわが、あんな所にも居る)
死の近くにいる自分、そしてその自分を不思議そうに眺めている、もう一人の自分。
ルカが何かを、死のうとするイーメルに向かって叫んでいた。
(半妖精が何かわめいておるわ)
イーメルはそう思っただけで、後はルカのことなど気にしなかった。
火が、イーメルの衣を焼いた。肌を焼いた。
――愚か者が
空から声が降ってきた。
――そなた、何故に死を選んだ?
冷たい洞穴の中で、目を閉じたイーメルは、声に耳を傾けた。衣服の裾が焦げていた。
――わしが助けてやらなんだら、そなたは幻の中で死んでおったぞ。
クレイシステレスが言った。
「幻? あれがか」
突然意識がはっきりしてきた。
――何故に死を選んだ。
クレイシステレスは重ねて聞いた。
「それは、そこに安らぎを見出したから……」
――嘘を吐くな。生きとし生ける者、全て死を恐れるものじゃ。死を受け入れようとするなぞ、無理じゃ。そこには必ず迷いが生まれる。
「かなり、そなたの主観によっておるな」
イーメルは言った。
「『真実を試す鏡』よ、わらわを幻覚により試そうとするとは、いい度胸じゃ」
イーメルは壁の一点を見つめた。
「破」
イーメルのその言葉と共に、彼女が見ていた壁が崩れた。
全てが元に戻った。地震も起こっていない。洞穴は崩れてなどいなかった。
「やはり、全てが幻覚であったか。……クレイシステレス、ルカはどうした」
――奴はダイゴラス・ソードを取りに行った。奴は迷いを断ち切った。
「わらわをそこへ案内しろ」
――それはできぬ。そなたは迷いの中におる。
「うるさい。そなたも破壊されたいのか、クレイシステレスの残留思念よ。わらわの目をごまかせると思うな」
イーメルが言うと、辺りはシンとした。
――わかった。そなたをダイゴラス・ソードへ案内しよう。だが一つだけ忠告しておく。そなたは決してダイゴラス・ソードに触れてはならぬ。触れたらそなたは灰となるであろう。
クレイシステレスの声が止むと、光がイーメルに差した。
イーメルは光源を求めて歩きだした。
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