「ヒカルの碁(補)その34」、アニメ「ヒカルの碁」アフレコレポ他。
ダイエットの話。9月頭から始めて4か月になりますが、適度なカロリー制限と運動で約9キロ減りました。当初目標のBMI値22はクリアしたけれども、欲が出てきてもうちょっと痩せたくなったので続けています。もう若くないから、BMI値20になれば十分なので、順調にいけばあと二か月で達成できそう。
何か行動するときの下調べの第一段階は(当たり前ですが)ネット検索をしてますが、今回のダイエットでもネット検索であれこれ調べました。でもダイエットってジャンルは「商売」になることもあって、怪しげな製品だとか怪しげなダイエット法だとかの情報があふれすぎてて、うんざりすることの方が多かったです。
その中でも参考になったサイトは、All About Japanのダイエットカテゴリと、gooダイエットの連載コラムの「Dr.Fujitaの恋愛科学的ダイエット講座・LOVE LOVEダイエット!」。前者はダイエットに対する心構えの話、後者ではホルモンの体への作用の話があれこれ書かれていて参考になりました。ダイエットしなきゃなあと思っている人にオススメです。gooのダイエットカテゴリを読むには会員登録(無料)をしなければなりませんが。
あとは肥満をもたらす社会的背景についての知識を得るのに「太りゆく人類 肥満遺伝子と過食社会」も勉強になりました。
いろんなダイエット日記も読みました。まとめられた雑誌の記事の体験談とは違って、素人がリアルタイムで記録したものは生々しい。地道に順調に痩せている過程が書かれていて励みになる日記もあれば、むちゃくちゃなダイエットに飛びついてはリバウンドし続けて反面教師になる日記があったり。
その中に痛ましいものがありまして。ちょっと太めだった女の子が嘔吐と下剤の乱用でみるみる痩せて、ガリガリになって生理が止まっても「痩せたい」と思い続け、摂食障害になって過食と嘔吐を繰り返してる日記があるんですよ。
どうすればいいのかなあ、と思いつつ、何もアクションをせずにただ読み続けています。
あれだけ本人の身近な人が心配しててもどうしようもならないのに、最後まで付き合う覚悟のない外野の人間が中途半端に関わると逆に事態は悪化しそうで怖いですし… 見なかったことにして忘れるのが一番なのでしょうが。
それにダイエット日記あたりでは、自分に賛同する意見以外は最初から受け付けてない人たちって、結構いますから。「間違った」ダイエットをしている人に対して「まっとうな」アドバイスをしたことが元で荒れて閉鎖にいたった日記もいくつか見ました。無茶なダイエットをして体を壊したとしても、問題はその人の自業自得の範囲で留まりますから、望んでいないアドバイスをするのはひょっとしたら「大きなお世話」なのかも。
もっとも、その人が私にとって大切な友達であれば、相手にうとんじられることになろうとも、相手にとって耳の痛いことでも言い続けると思いますが… ネット上の「見知らぬ人」にまで「大きなお世話」を焼くべきなのかどうか。
ネット上の「見知らぬ人」とはどの程度の距離をとればいいかを未だにはかりかねていたりします。
「ヒカルの碁(補)その33」、アニメ「ヒカルの碁」情報他。
「ヒカルの碁(補)その32」、季刊「エス」の発売日、菊地秀行のムック、ジャンプフェスタ他。
12/7の日記で書いた、「書き手がリンクされることを想定していないページにリンクすることに関する議論」の続き。
圏外からの一言(2003/12/11)経由でりとる・ろまんす - 番外編・『ネットにおける儀礼的無関心問題』の技術的問題 (2003/12/09 #02)に。不特定多数の閲覧を望まない人が、簡単にアクセス制限できる方法についての技術的アプローチ法の話がでています。興味深い話で、リンク先をたどってあれこれ読みふけってしまいました。
話は微妙に変わりますが、私も「人に読まれることを想定していない」日記というのを書いてたりします。こことは別の場所で、別名義で。食事と体重を書き綴った、いわゆる「ダイエット日記」、あとは簡単な行動記録とか、そういうものです。自分のためのメモであって、誰にも知らせていないし、どこにも宣伝していないので読んでるのはほぼ私一人だけですが、そのくせ文章が妙に「人から読まれる」ことを意識したものになっているのが我ながら笑えます。ここの日記のせいで染み付いた長年の習慣はなかなか抜けません。
別に誰も読まなくていい日記をローカルファイルに書き綴るのではなくWebにUPしているのは、携帯電話で外出中でも簡単に読めるのが便利だからです。食事日記なので、買い物に行ったときに「そういえばこの前もアレ作ったような気がするな〜、どうだっけ?」と外からでも調べることができますから。
アクセス制限は一切かけていません。基本的にどこにも宣伝していないし、わざわざアクセス制限するほどセンシティブな情報はないし。アクセス制限していたら、自分が読むときに面倒だから、というのもあります。
ただ、ここの日記(自分のメンタル部分)とその別名義のダイエット日記(自分のフィジカル部分)が結びつけられたら、ちょっと嫌。もちろん、万が一結び付けられるようなことがあっても、致命的な情報がでることはないようには気を付けていますが。
それでも、不特定多数の人の目を気にせずに適当なことをかけるというのは気楽です。
もちろん、気楽ゆえに無責任な言動をとるのはどうかと思いますが、Webでの表現が「完全に閉じたもの」か「誰でもみることができる」かのどちらかしかないというのは極端で、その中間くらいがあった方がいいのになあと思うこともあります。
それで今回の「儀礼的無関心」の話題をきっかけにあれこれ考えて、思いついたアイデアが、Memoの12/9分にかいた分。
アメリカ「フレンドスター」のように、自分の友達を登録していくシステム上で、「友達の友達」までなら日記を読むことができる…というシステムであれば、「プライベートモードだけというのは広がりがなくてつまらないけれども、誰でも見に来るというのは怖くて嫌だ」というわがままなニーズを満たすことができるのではないでしょうか。友達の友達であれば自分と趣味が近い可能性が高いし、自分にとっては「未知」な人が日記を読む可能性が残っていますから、「外へのドアが少しだけ開いている、プライベートルーム」みたいな日記システムが実現できそうですし。
もし実現するとしたら、このシステムでは大手ポータル内に限定されたサービスでしょうから、別システムとの連携が一切できないという問題はあります。でも、技術的には難しいものではないので、どこかで作ってくれないかなあ…
「ヒカルの碁(補)その31」、「ヒカルの碁」アニメスペシャルの声優キャスト他。
今更ですが、あちこちで話題になっている「書き手がリンクされることを想定していないページにリンクすることに関する議論」について。(from 羊堂本舗 ちょき - 儀礼的無関心反応リンク集)
全部の発言は読んでいませんが、発端となったrecent events@TRiCK FiSH 2003/11/30 「ネットでの儀礼的無関心の可能性」は読んで"腑に落ちる"というか、「あ、わかるわかる」といいたくなるところがありました。
私自身の「リンクの自由」についての考えは、昔は「WWWは誰がみるのかわからないんだから、無断リンク禁止と言ったり、予想外の人の目に晒されたくらいでおたおたするなんて覚悟なさすぎ」でした。
それが今では「できるだけリンクは自由であってほしい。でも、悪意はなくてもリンクすることが"暴力"になってしまう可能性があることを、リンクする側も常に頭の中に入れておくべきなのでは」と変わりました。
考えが変わったきっかけのひとつは、小説「カラミティナイト」(高瀬彼方 角川ハルキ文庫)を読んだことでした。そのあたりは2000/11/22の自分の日記【ホームページを持つということ3】 に。「リンクについてのアンケート」雑感もその延長線上にありますね。
ちなみに作者公式サイトによると、「カラミティナイト」3巻は1/14に発売だそうです。とても楽しみ。
ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔 スペシャル・エクステンデッド・エディションをやっとみました。もー、ボロミアとファラミアに涙、涙でした。映画だけみるとファラミアは「よくわかんない、冷たい人」に見えましたが、(SEEで描かれた)彼の置かれた状況を鑑みることで、セリフや行動のひとつひとつにファラミアの背負っている重圧と苦しみが見えてきました。他のシーンにしても、細かい描写が追加されることで、話が格段にわかりやすくなっていました。
ただ、映画公開時には気にならなかった、字幕の戸田奈津子節が妙にひっかかって… 久しぶりにLOTR読み解き英語工房を見に行ったところ、物語を損なう訳が多いことに、多くのファンから不満の声が上がっているそうです。この状態では「王の帰還」の字幕はどうなることやら。字幕改善連絡室を参考に、なんらかのアクションを起こした方がいいんだろうなあ…
大阪近鉄劇場・鴻上尚史作品・ミュージカル「天使は瞳を閉じて」をみてきました。舞台の印象は「これって、太郎×トシ?」で、その意見が一緒にみた友達と一致… 私らの脳は腐り果てております。 「透明な壁」とは何であるのか、ラストは一体どういう意味なのかがさっぱりわからなかったのですが、2chの演劇板の該当スレをみてやっと納得できました。そういう意味があるのだとわかった上で思い返すと、切ないものがあります。
「ヒカルの碁(補)その30」、「ヒカルの碁」アニメスペシャルと、小畑さん作画担当の新連載「DEATH NOTE」について。