3/21の日記でソーシャルネットワーク・mixiの話を書きました。あれから一ヶ月、今は「友達のみ閲覧可」の日記でだらだらと適当に書き散らしています。mixiは閲覧者が限られているので他愛のないことも気楽に書き込みができるし、何より人の日記に気楽にコメントがつけられるので、コミュニケーションのハードルが非常に低いなあという感じがします。
長いこと閲覧していても親しくはなかったサイトオーナーさんと、mixiを通じて仲良くなれたりしたことが嬉しかったです。
ただ、前にmixiのことを日記で書いた時点では「友達の友達まで」閲覧できる日記に可能性を感じて実行していたのですが、現在は「友達のみ」閲覧に制限しています。「友達の友達」であっても、その人をよく知らない状態では「他人」でしかないのだなあ、というのが実際に体験した上での正直な気持ちだったり。
初期は「友達の友達」が日記を読みにきてくれてそのまま「友達」になったりというコミュニケーションの広がりも体験したのですが、「友達の友達」の数が増えすぎるにつれ、多くの人の目に、少々人目をはばかる日記(やおい話など)が触れることの方が不安になってしまって…
さて、今回、mixiに参加して改めて考えたのは、「実名」と「筆名」と「匿名」と、人を信用するということの問題でした。
(「実名」「匿名」との対比で「ハンドル」を「筆名」と表記します)
ネット歴の浅い人や、仕事でしかネットを使っていない人と話していると、時折私のようなネットジャンキーとは相容れない「壁」を感じることがあります。
彼らは、「実名」とは思えないような「筆名」を名乗っている人を「信用できない人」と思っており、「筆名」を名乗っている人を2chのような「匿名」と同一視しているようなのです。
私は今使用している筆名をネット上で10年以上、連続して使っています。それでも「普通の人」からみると、私は2chの「名無しさん」と同じように全く信用のできない匿名人間なのでしょうか…
私自身のネットでのトラブル経験から「実名であっても信用できるとは限らない」のではないかと思っています。「実名」と企業名や大学名などの「所属」を聞いたところで、確実な本人確認をしない限りは「本名か」「本名ぽい筆名か」の区別はできません。また、たとえその人が「実名」を名乗っていたとしても、その人が信用できるかどうかは別問題ではないかと思います。
私自身は、その人がどういう価値観の持ち主だかわからない人は、たとえ実名を名乗られていても警戒してしまいます。逆に怪しいハンドルでも、その人が自分のサイトを持っていて、その人の表現したものを通じてその人の価値観や内面が伺えると、一度も会ったことのない相手でも心を許してしまうこともあります。
(もちろんこれにしても、サイトをみただけでその人のすべてはわからないし、サイトの偽装なんていうのもやろうと思えば簡単にできることなのですから。)
この続きは、次回の「実名」と「筆名」のそれぞれのメリットとデメリットの話で。
「ヒカルの碁(補)その43」、「DEATH NOTE」と「ボボボーボ・ボーボボ」とのコラポレーション企画など。
突然ですが、ハンドル名を変更します。単に名字が増えるだけですが… ということで、単なる「麻弥」から「高永麻弥」ということで今後よろしく。厨な名字ですみません…
今頃…という感じですが、このライトノベルがすごい!。限定枠で参加した人たちのコメントの公開が始まっています。また一般参加での投票を受付中。久美沙織さんのコラムの連載も開始。
私は限定枠にお誘いいただいたんですが、結局不参加になってしまいました。参加しようか迷っているうちに限定枠の締め切りが過ぎてしまい… 迷った理由は、私はこの1年間、ロクに本を読んでいなかったということ。読了作品の中で、投票の対象となる作品のうち、自信を持ってオススメできる本(シリーズ)が2つしかなかったので。(須賀しのぶ「流血女神伝」シリーズと渡瀬草一郎「空ノ鐘の響く惑星で」シリーズです。小川一水「第六大陸」もすばらしかったですが、あれは私の中ではライトノベルではないので…)
もし来年があるとしたら、来年は気後れせずに参加できる程度には本を読みたいものですが。
昨日の日記にかいた株式会社ウェディング問題を考える会の件ですが、悪徳商法マニアックスのトピックスによると、株式会社ウェディングはBeyond氏への民事訴訟を取り下げたそうです。第一ラウンドはBeyond氏の不戦勝でしょうか。
今回のような自分の書き込み(もしくは自分が管理する掲示板での書き込み)が企業側と名誉毀損をめぐるトラブルとなり、民事訴訟を起こされた場合の対応法については、悪徳商法マニアックスの掲示板での【ウェディング問題を考える会】および27日に京都府警に行ってきましたのスレッド(特に「ものつくり屋」さんの書き込み)がとても勉強になりました。
来週発売のジャンプの企画綴じ込み小雑誌(JIJ)で澤井さんによる「DEATH NOTE」と小畑さんの手による「ボボボーボ・ボーボボ」という夢の企画(?)が実現。今から来週が楽しみです。
兵庫県立美術館「芸術の館」で開催中の「東山魁夷展」をみてきました。 絵そのものはすばらしかったです。特に微妙な色彩を重ねた白の透明感は印刷物では再現不可能、生の絵をみることができてよかったです。
ただ、展示方法に問題があったため、絵を堪能することはできませんでした。絵の前面を覆うガラスに照明が全反射して、鏡状態。特に色彩の暗い絵が見辛くなってしまいました。
絵の保護のためにガラスがあるのは仕方ないですが、他の展示会ではここまで見辛かったことはありませんから、なんらかの対処方法があったはず。
「芸術の館」では来館者を増やすためのイベントを積極的にすすめていますが、「絵を最良の状態でみせる」という基本にももう少し力をいれてほしいものです。
高林 哲の「検索技術論」(上)。コラムの「検索を巡る二つの法則」は短いながらも色々と考えさせてくれる内容です。検索エンジンの発達で、調べものは格段に楽になりました。でもその分、検索でみつけた情報を自分なりに吟味するというステップを経ずに鵜呑みにしてしまう人もいます。さらにはページの中身さえロクに読まずに、自分の思った内容そのままだと勘違いしたり。若い子に目立ちますが、あきらかに社会人と思われる人でもそういうことが…
たとえば、「IP抜けば情報全部わかるんだよ」という書きこみと共に私の作成したこのページがリンクされていたことが何度がありました。私の書いたことはむしろ逆だったのですが。
ただ、私も自分の知らない分野で(信憑性の検証ができないため)検索結果で得た内容をそのまま受け入れてしまうこともありますから、人のことはあまり言えません。気を付けないと。
株式会社ウェディング問題を考える会。
この件は私にとってもひとごとではありません。「ネット上の言論の自由を脅かす…」という大きな枠での話だけではなく、身近な脅威として。
私自身は小心者ゆえ、面倒なことには関わらないように避けていますし、表現方法も差し障りがないものにするように気をつけています。それでも、ネットのオープンな場で語る以上、自分の発言の影響範囲についてコントロールすることはできないですから、自分の書いたことが問題にならないとは言い切れません。
少し前に日記で、「責任を持つ」という言葉が何を意味するのかがわからなくなったと書きました。今でもよくわかっていません。でも、ひとつ言えるのは、問題が起った後の対処法を全く考えてない状態で気ままに書き散らすのは「責任を持った発言」ではないということです。
トラブルに発展してから「個人サイトだから許されると思っていた」とダメダメな言い訳をしながらおろおろしないためにも、事例を我が事としてとらえ、どうするべきかを考えるのは重要なのではないでしょうか。
今回の件は、悪徳商法マニアックスの掲示板の書き込みを読むことで勉強になったことがたくさんありますので、ささやかな恩返しとして、自分のできる範囲でカンパに協力するつもりです。
「ヒカルの碁(補)その42」、「DEATH NOTE」コミックスの話など。